ちくわ氏が語っている「自分の言葉」について*1。 おそらく、オレたち凡人には計り知れない強力な情報ソースを有して尚、自らこそが市井であると憚りない大先生には敵いません。 実際には、自らを「市井」と称していたのは、ちくわ氏だ。その発言からは、憚っているような意識は感じられない*2。 判決を重く受け止めつつも、控訴する気満々なのは結構だけど、正直これは負け続けで終わるだろうなあ。市井目線では、間違いなく橋下の勝ちなんだけど。 ちくわ氏の発言に対して、「形式的に手続きを踏んでいても、事実誤認だらけの訴えが通らないこと」を知るという仮定で市井目線の理解を推測したが、自らを市井と称したことはない*3。現実的には、大きな報道がされていない以上*4、市井の大方は、関心どころか橋下徹弁護士の地裁敗訴を意識にのぼらせてすらいないだろう。残念なことだと思う。 「市井」という表現には、もう一つの問題がある。なぜ