「国が適切な規制を怠ったから被害が広がった」。提訴の後、会見する大阪・泉南地区の住民ら=2006年5月26日、大阪地裁 「結局、約束は守られなかった」。古川和子さん(60)は落胆した。 「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」副会長。七年前、夫をアスベスト(石綿)による肺がんで亡くして以来、患者や家族のサポートに力を注ぎ、仲間たちと共に、「すき間のない救済」を訴えてきた。 参院本会議で今月十一日、可決成立した改正石綿健康被害救済法。クボタショックに押された制度導入から二年。今回の改正で、生前に認定申請せずに死亡したケースなど、これまでの救済対象は確かに拡大した。 患者・遺族らには「一歩前進」との評価もあるが、抜本的な改正を求める声は根強い。 住民が中皮腫などになれば、支給金額は医療費の自己負担分と療養手当が月十万円。これでは生活はできない。もともと労災補償との格差は大きく、改正法でもこの
十一万棟以上。阪神・淡路大震災後、復旧・復興を急ぐ被災地では、崩れたり傾いたりしたビルなどの建物が次々と解体された。重機のアームの先に取り付けられた巨大カッターでコンクリートや鉄筋、鉄骨が砕かれ、現場や周辺には大量の粉じんが舞った。 「ほこりがたたないよう水をまいてもすぐ乾く。そのうち気にしなくなった」。大阪から被災地に派遣され、いくつもの解体現場で作業に当たったという男性(42)は振り返る。コンクリートや鉄骨に交じって、アスベスト(石綿)の吹き付けらしきものもあったが、ほかの廃材と一緒にトラックに積み込んだという。 震災から十三年が過ぎた被災地に今年三月、衝撃が走った。神戸市内で解体作業に携わった三十代の男性が中皮腫を発症、姫路労働基準監督署が労災を認定した。 「震災時の解体作業による石綿の飛散が大きな要因になったとは考えにくい」。兵庫県の井戸敏三知事は、直後の定例会見で、被災地での作業
クボタショックから一年半後の二〇〇六年十二月、西宮市の兵庫医大に設立された医療研究機関「中皮腫・アスベスト疾患センター」。医師をはじめ研究者、看護師、ソーシャルワーカーら専任のスタッフが患者の臨床治療とともに、早期発見や予防法の開発などに取り組んでいる。 センター長を務める同医大呼吸器内科の中野孝司教授は、これまで何人もの中皮腫患者を診察、医師として、被害が拡大していくさまを目の当たりにしてきた。 中野教授が初めて中皮腫患者を診たのは、同医大病院の研修医だった一九七九年春。製紙会社に勤める四十代前半の男性だった。当初、主治医の診断は「肺がんの胸膜への転移」。だが、中野教授は、肺を覆う胸膜が炎症を起こし、水がたまっていたことなどに着目、当時はまだあまり知られていなかった中皮腫を疑う。再び病理部門に掛け合い、カルテに「中皮腫」と書き込んだ。 男性に石綿を扱った記憶はなかった。だが、胸膜には中皮
三年前、石綿による健康被害がクボタ旧神崎工場(尼崎市)周辺に及んでいることを告発した住民の一人、土井雅子さんが昨年十月、入院先の病院で亡くなった。五十九歳だった。 「家内は健やかな生活を心がけて暮らしてきましたが、突然、病(中皮腫)を得ました。この病気に苦しんでいる人たち、頑張ってください…」 告別式のあいさつで夫は涙に暮れた。 「クボタによる陰湿な殺人」と企業責任を厳しく問い続け、土井さんとともに患者や遺族らの先頭に立って石綿健康被害救済法成立に道をつけた前田恵子さん=当時(74)=は前年の二〇〇六年三月、クボタとの交渉に当たった平地澄彦さん=当時(60)=は土井さんが亡くなる十日ほど前、それぞれ息を引き取った。 「尼崎に住んでいただけで、どうしてこんな悲しみを背負わなあかんの?」。平地さんの妻千鶴子さん(54)はくちびるをかんだ。石綿は長い歳月をかけて体をむしばみ、患者たちの命を次々と
石綿による健康被害で、大手機械メーカー「クボタ」旧神崎工場(尼崎市)の従業員や周辺住民の死亡が明らかになってから二十九日で丸三年になる。同様の被害はその後、全国各地で次々と発覚、患者や遺族の救済が進められるが、被害の全容解明には至っていない。いまだ埋もれたままの石綿禍の実態に迫る。 □ □ かつての同僚たちの名前が記された名簿に「死亡」の文字が並ぶ。「仲間が次々と亡くなっていく。やっぱり怖いね」 尼崎市に住む男性(72)が、クボタの旧神崎工場で働き始めたのは高度成長真っただ中の一九五九(昭和三十四)年。国鉄(現JR)尼崎駅の東側に建設された工場では操業開始から五年が過ぎ、水道管などに用いる「石綿パイプ」の生産が本格化しようとしていた。 当時の従業員は約三百五十人。イタリアのメーカーの技術を取り入れ、セメントに石綿などを混ぜて作ったパイプは鋳鉄管よりも格段に軽く、コストも低かった。 男性
石綿による健康被害で、大手機械メーカー「クボタ」旧神崎工場(尼崎市)の従業員や周辺住民の死亡が明らかになってから二十九日で丸三年になる。同様の被害はその後、全国各地で次々と発覚、患者や遺族の救済が進められるが、被害の全容解明には至っていない。いまだ埋もれたままの石綿禍の実態に迫る。 バックナンバー (5)不作為のつけ国の救済 対応後手に(2008/06/28) (4)震災の影復興に隠れた「被害」(2008/06/27) (3)「未知」の病認識遅れた医療現場(2008/06/26) (2)「公害」の源周辺住民の犠牲多数(2008/06/25) (1)死の粉じん被害拡大 全容見えず(2008/06/24)
(注)・計量の方法は$光学顕微鏡50視野法。 ・平成6年度は2回(平成7年2,3月の平均)。 ・平成7年度は9回測定の平均(中央区役所は7回、神戸市役所は2回の平均)。 ・平成8年度は月1回、年12回の平均値(ただし、環境保健研究所は6カ月に1回、年2回の平均)。 ・平成9年度は神戸市役所と須磨区役所が月1回、年12回の平均$それ以外は2カ月に1回$年6回 の平均。 ・平成10年度は月1回、年12回の平均。 ・平成11年度以降は3カ月に1回、年4回の平均。 ② ところが、最近になって「平成17年度以降のアスベスト調査」と称して、下記の表が神戸市HP上に出てきた。 これを見ると、なぜ上記から調査地点が変更されたり、増減されているのか?なぜ平成17年5月は2ヶ所だけの調査なのか、なぜ数値が小数点以下1桁だったり、2桁だったりするのか、場当たりで、お
7月27日に放送されたラジオ番組『木村拓哉のWhat’s up SMAP』(TOKYO FM)。番組内紹介されたメールの内容は、「自分はいじられキャラなのだが、いじられるのは嫌だ。すごく傷ついている」という深刻なものだった。これに対し、木村は真剣な口調でこう語り始めた。 「言葉を書いてみてもわかるけど、“いじり”と“いじめ”って一文字違いだし、紙一重だったりするんじゃないかな。相手が傷ついてたら、それはもういじめに片足をつっこんでるようなもんだよ。相手を傷つけているなら…」 ラジオでいじめと真剣に向き合う姿勢を見せた木村だが、彼もまたかつては“いじめられっ子”だったといわれる。 アイドルとして世に出始めたころ、木村は地元の高校に進学した。しかし、人気が出るにつれ、それを面白く思わない地元の不良たちにボコボコに殴られる日々が待っていた。帰るときには服装が泥で汚れ、ボタンが取れ、ポケット
東日本大震災から1年以上たった今でも、被災地の努力だけでは解決しきれない、がれき(災害廃棄物)の問題が残っています。そして、学校の校庭や運動公園、競技場などの運動施設ががれきの仮置き場として使用されていることにより、子どもたちのスポーツ環境が著しく制限されている課題を抱えています。そこで、『日本の力をひとつにプロジェクト』は、公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)の協力のもと、7月27日から開幕するロンドン・オリンピックを通じ、この課題をより多くの方々に理解いただくことを目的としたものです。 宮城県石巻市と南三陸町において、ロンドンオリンピックに出場する選手たちのために、震災による「流木がれき」を用いた「お守り」を制作しました。素材に使用している「流木がれき」は、南三陸町志津川地区のもの。「お守り」の全体デザインは、JOC第2エンブレムのデザインを手がけたことでも知られる世界的ファッ
連日のメダル獲得に沸いている競泳日本代表チーム! その中でも、一番、驚かせてくれたのは・・・ 女子100m平泳ぎで銅メダルを獲得した 山梨学院大学水泳部の後輩である『鈴木聡美選手』です。 聡美~おめでとう!!! 山梨学院大学水泳部OGとして、最高に嬉しいし、誇りに思います。 100m平泳ぎ決勝、ハプニングがありました。 スタート台に立ちましたが、機械の故障の為、競技が中断しました。 スタート台から、全選手が下され、競技開始を待ちました。 その際、聡美は、笑顔で、その時を待っていたのです。 他の選手たちは、明らかに動揺し、顔が引きつっていました。 対照的な表情に、私は、良いパフォーマンスが出来そうだな・・・と思いました。 しかし・・・銅メダルを獲得するまでは、想像していませんでしたが(笑)!! 聡美にとっての会心のレース! 素晴らしいレースが見れて、本当に幸せに思います(*^_^*) 現在、
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