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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (164)

  • 『自由の壁』 - Arisanのノート

    自由の壁 (集英社新書) [ 鈴木貞美 ] ジャンル: ・雑誌・コミック > 文庫・新書 > 新書 > その他ショップ: 楽天ブックス価格: 756円 このの第一章では、明治以後近代化と共に日に入ってきたものと思われがちな「自由」の概念が、江戸時代以前の日において独自に成熟していたものだということが説明される。 それには中国からの影響が非常に大きかった。 近代化(西洋化)に先立つ、江戸時代の日の思想・社会の独自な成熟に着目する論は少なくないが、ここでの特徴は、この中国、特に陽明学(王陽明、李卓吾など)の影響を重視していることだ。 ぼくには、この部分が一番面白かった。 著者によると、王陽明らの思想は、朱子学の「性即理」(現実世界が「理」にそって運行していることを重視する)に対して「心即理」という立場に立ち、「情」を含めて人間に『自然に備わっているものを自由闊達に発現』するべきことを

  • 「歴史性」と「非人格的」 - Arisanのノート

    存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫) 作者: ジャン=ポールサルトル,Jean‐Paul Sartre,松浪信三郎出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/11/01メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 56回この商品を含むブログ (55件) を見る 以前、ここにも書いたことがあるが、シモーヌ・ヴェイユのを読んでいると「非人格的」という語が重要なものとして肯定的に使われていて、それに関心を持っていた。 今回、このを買って読み始めてみると、冒頭の文庫版への注記というところに、「非人格的 impersonnel」という語について書いてあり、まったく同じかどうか分からないけど、サルトルもやはりこういう言葉を重要なものとして用いているのか、と思った。 それで、注意して読んでいくと、第二部第二章の「時間性」というところの後半まで来て、ようやく「人格 personne」

    「歴史性」と「非人格的」 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/23
    「それは、「対自」という、いわば自己と非同一的なものである意識が経験する反省だが、自分(意識)自身を対象化しない、「観点をとらない」反省のあり方だと言われている。」難しいけど目から鱗です。
  • 「中級国家」と統一・非核化の問題 - Arisanのノート

    毎日新聞を読んでる人はご存知だろうが、日曜の経済面にこんな記事が載っていた。 中級国家ニッポン http://mainichi.jp/select/biz/ushioda/news/20091018ddm008070045000c.html アメリカの金融機関ゴールドマン・サックスが、朝鮮半島が統一されれば2050年にはGDPで日ドイツを上回るだろうという予測を出した、とのことである。 ドイツ統一のような無理をしない。当面、通貨も統一せず通行も制限する。徐々に統合する香港方式。北朝鮮の労働力の若さや豊富な資源の作用で大発展するという。はてさて、これをどう評価すべきか。私に明快な答えの用意はない。 2050年というと、えらい先の話でもあり、もちろんぼくにも「答えの用意」などあるわけがない。 朝鮮半島の統一、あるいは分断状況のスムースな解消が、そこに住む人たちの幸福や希望につながるような形

    「中級国家」と統一・非核化の問題 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/19
    「アメリカの金融機関ゴールドマン・サックスが、朝鮮半島が統一されれば2050年にはGDPで日本やドイツを上回るだろうという予測を出した、とのことである。」
  • 広島・長崎の五輪開催案に思う - Arisanのノート

    先ごろ、広島と長崎の市長が、五輪の開催地候補に共同で名乗りを上げるというニュースが報じられた。 この事も、それを聞いたときには、やはり唐突の感がぬぐえないオバマ大統領のノーベル平和賞受賞の報の直後でもあり、どこか違和感があるとは思ったものの、それをどう言葉にすればいいのか分からなかった。 「まあ、東京になるよりはいいよなあ」と漠然と思ったぐらいである。 各国の国威発揚の場であるばかりでなく、すっかり商業化してもいる現在の五輪のあり方が、「核廃絶の必要、平和の尊さを訴える」といった開催への理念にそぐわないという言い分を考えてみても、「そうした五輪のあり方を考え直す機会にする」という反論が用意されているようなので、どうも始末がわるい。 それに、両市の人たち、とりわけ被爆した人たちの間にも、さまざまな意見があるようである。 開催に反対だとインタビューに答えていた老人の「この気持ちは被爆した者にし

    広島・長崎の五輪開催案に思う - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/19
    「まるで日の丸や君が代のために(金儲けのためにはもちろんのこと)、被害を受けてきた人、そして亡くなった無数の人たちの存在と心情が、利用されているような構図になるではないか。」
  • サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート

    『存在と無』(ちくま学芸文庫)のなかの第一部第二章では、「自己欺瞞」という心理現象の分析をとおして、人間の意識のあり方に迫る試みが行われている。 この部分がたいへん面白いと思ったので、ここにメモしておきたい。 まず、これはとても重要なことだが、サルトルはここで、嘘や虚構と、自己欺瞞とを明確に分けている。 嘘をつく人の内心の気持ちは、肯定的である。つまりその気持ちは、肯定的判断の対象ともなりうる。嘘をつく人は、だます意図をもっているのであり、この意図を自分に隠そうとはしないし、意識の半透明性をおおい隠そうともしない。(p173) 虚偽は一つの超越的な行為である(p174) この「意識の半透明性」というのがよく分からないのだが、まあいいだろう(「無」が関係してるのだろう。)。 ともかくサルトルがここで問題にするのは自己欺瞞であって、嘘(虚偽)や虚構ではない。自己欺瞞は、「超越的」ではない。私が

    サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/14
    「われわれが基本的には自己欺瞞を免れ得ないのは、われわれがわれわれ自身とぴったり重なることのない存在だからだ。」免れえない条件を必ず自覚すること。
  • サルトルと私と労働 - Arisanのノート

    『存在と無』(ちくま学芸文庫)を読んでたら、こんなところがあった。 朝、鳴る目ざまし時計は、私の可能性たる私の仕事に、出かけていく可能性を指し示す。けれども、目ざまし時計の呼びかけを、呼びかけとしてとらえることは、起き上がることである。それゆえ、起き上がる行為そのものが安心を得させてくれる。なぜなら起き上がる行為は《仕事は私の可能性であるか?》といったような問いを免除してくれるからである。したがって、起き上がる行為は、クイエチスム(静寂主義)や、仕事の拒否や、ついには世界の拒否や、死などの可能性を、とらえる余裕を私に与えないからである。要するに、目ざまし時計の音の意味をとらえることが、その呼びかけに応じてすでに起き上がっていることであるかぎりにおいて、この把握は、目ざまし時計の音にその要求を付与するのは私でありしかもただ私だけである、という不安な直観から、私をまもってくれる。同様に、日常的

    サルトルと私と労働 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/13
    初期柄谷、好きでした。私も猛烈に読みました。社会的な自明性の喪失。漱石を通じて近代、労働への疑問。あと自明性の喪失は「フランクル」ではなく「ブランケンブルク」だったかなと思います。
  • 『トウ小平 政治的伝記』読了 - Arisanのノート

    とう小平 政治的伝記 (岩波現代文庫) 作者: ベンジャミンヤン,Benjamin Yang,加藤千洋,加藤優子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/08/18メディア: 文庫 クリック: 6回この商品を含むブログ (6件) を見る 承前。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090923/p1 この長い伝記に寄せられた序文の冒頭で、政治学者のロス・テリルはトウ小平を、ポスト毛沢東の時代の中国における『非(ノン)毛沢東主義の巨人』と呼んでいる。 この言葉にあらわれているように、トウ小平については、毛沢東との対比、対立において語られ、考えられることが多いと思う。つまり、トウ小平とは毛沢東の政治の批判者、否定者であり、逆に毛沢東主義はトウ小平以後の中国(資主義化)が放棄した理想そのものである、といった見方だ。 だがこのでは、毛とトウ、両者を対立的にとらえ

    『トウ小平 政治的伝記』読了 - Arisanのノート
  • わけのわからない非難 - Arisanのノート

    どのぐらいのけが人なり逮捕者が出たのかとか、詳しいことを知らないけど、映像と関連記事を二三読んだ感想を書いておきます。 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090929/p1 上の記事に書かれてることだと思うけど、こうした排外主義の行動、最近では個人をターゲットにしたデモなどが行われてるということ自体が、まず暴力です。どこの国のどんな社会にもあることかも知れないが、だからといってその暴力が黙認されていいことにはならない。 ところが日の場合には、それが社会全体からたいてい黙認されている。これが、排外主義の対象になってる人にとっては、実際の行動以上の暴力でしょう。 それに比べると、この映像に映ってる直接的な暴力というのは、さしたる問題でないとさえ言える。 ぼくも、こういうデモについては、「ほっとけばいいのになあ」とか思ってしまうけど、それは、自分が矢面に立ったり

    わけのわからない非難 - Arisanのノート
  • 立岩真也『税を直す』 - Arisanのノート

    税を直す 作者: 立岩真也,村上慎司,橋口昌治出版社/メーカー: 青土社発売日: 2009/08/24メディア: 単行購入: 2人 クリック: 27回この商品を含むブログ (15件) を見る 近年、この問題を繰り返し論じている立岩真也他による著作。 理論的な部分を立岩が執筆している他、詳細な試算と、豊富な文献紹介のパーツから成っている。以下では、立岩の執筆部分を紹介する。 論の基線 民主党を中心にした新政権が発足したばかりだが、新たな政策の財源としては基的に歳出のカット、つまりは無駄な支出と思われるものを極力削っていくということを方策としているようである。 たとえば評判の悪かった後期高齢者保険制度のようなものも、公的な健康保険の制度のなかでは財政的に限界に来ているのでそれに対処する苦心の策として打ち出されたものだったと思うが、新政権ではそれを廃止する方針のようで、その代わりに健康保険

    立岩真也『税を直す』 - Arisanのノート
  • 土井正三さん - Arisanのノート

    土井正三さんが亡くなられましたね。 ご冥福をお祈りします。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090119/p2

    土井正三さん - Arisanのノート
  • 『トウ小平 政治的伝記』 - Arisanのノート

    とう小平 政治的伝記 (岩波現代文庫) 作者: ベンジャミンヤン,Benjamin Yang,加藤千洋,加藤優子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/08/18メディア: 文庫 クリック: 6回この商品を含むブログ (6件) を見る まだ読んでいる途中なのだが、めっぽう面白いなので、少しだけ感想を書いておく。 著者のベンジャミン・ヤンは、いわゆる文革世代で、トウ小平*1の息子と同じ紅衛兵のセクトに属していたが、文革の時期にひどい迫害を受けたらしい。この(トウの)息子の方は、半身不随になるようなのだが、その経緯はまだ分からない。 さて、こんなエピソードが書かれている。 共産党が国民党との激しい内戦を戦っていた1931年、トウ小平は自分が指導的な立場にあった紅七軍という部隊の壊滅の危機に際して、「党中央に状況を報告してくる」と告げて、自分の判断で隊を離れるということがあった。 この

    『トウ小平 政治的伝記』 - Arisanのノート
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    ishikawa-kz 2009/09/24
    何が大事かという政治的プライオリティーへの感覚、その陰で犠牲となるプライベートな暮らし。
  • 公明党の政治を再考する - Arisanのノート

    今更という話だが。 今回の選挙で大きく議席を減らし、与党の座からも滑り落ちた公明党だが、連立政権時代に公明党の果たした役割について、考え直せるのではないかと思っている。 たしかに公明党が自民党と連立を組んでからというもの、国旗国家法の成立だの教育法の改正だの多くの悪い法案が通り、アメリカのイラク侵攻への加担や自衛隊海外派兵も大っぴらになった。また貧困の拡大も進んだかの感がある。とくに、右傾化ということについては、公明党の連立与党としての責任の大きさを、非難する意見は強いだろう。ぼくもそのように思ってきた。 だが今考えてみると、そうした法案や政策はどれも、公明党が連立を組まなかったとしても、実現し遂行されていたのではないだろうか。 もし公明党が自民党と連立しなければ、自民党は民主党と連立・連携したであろうからである。要するに保保連立ということだ。 その場合、政治は「自公連立」で実現され

    公明党の政治を再考する - Arisanのノート
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    ishikawa-kz 2009/09/05
    少数党の連立と右傾化へのけん制。
  • 『一九八四年』 - Arisanのノート

    一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫) 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2009/07/18メディア: ペーパーバック購入: 38人 クリック: 329回この商品を含むブログ (350件) を見る どうしても立ち直ることのできない出来事、自分のやった行動というものがある。何かが胸の内で葬られる、燃え尽き、何も感じなくなるのだ。(p452) この小説に描かれている社会を、監視・密告・洗脳・拷問といった権力の行為によって維持されるような体制であるとしか見なさないなら、この作品はすでに古びているということになるだろう。 だが実際はそうではなく、ここに描かれているのは、そうしたさまざまな手法を通して、最終的には人を己のエゴイズムに直面させ、その自覚のなかに閉じ込めることによって秩序に服従させるという、権力のあり方である。 これはまったく、現代的なテ

    『一九八四年』 - Arisanのノート
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    ishikawa-kz 2009/08/17
    オーウエル『1984』書評。鋭い切り口。読んでみたくなった。
  • Web評論誌『コーラ』に寄稿しました - Arisanのノート

    今日刊行されたWeb評論誌『コーラ』8号に文章を寄稿しました。 シリーズ<倫理の現在形>というところです。お読みください。 以下、案内のメールを転載します。 ■■■Web評論誌『コーラ』8号のご案内■■■ 誌は〈思想・文化情況の現在形〉を批判的に射抜くという視座に加えて、 〈存在の自由〉〈存在の倫理〉を交差させたいと思います。そして複数の 声が交響しあう言語‐身体空間の〈場〉、生成的で流動的な〈場なき場〉 の出現に賭けます。賭金は、あなた自身です。 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html ●シリーズ〈倫理の現在形〉第8回● 倫理のふるさと ──存在の暴力性と、共に存ることの基盤 岡田有生 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/rinri-8.ht

    Web評論誌『コーラ』に寄稿しました - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/08/16
    コーラ8号
  • 『脇田滋 x くびくび - 灼熱のトークセッション!』at the 京大 - Arisanのノート

    キョートット出版・ユニオンエクスタシーの小川恭平さんから、以下の企画の案内が届きましたので、転載します。 7月27日の夕方、場所は京大です。 転送転載大歓迎、とのことです。 脇田滋 x くびくび - 灼熱のトークセッション! 「5年でくび」は許されるのか? http://extasy07.exblog.jp/10673488/ こんにちは、ユニオンエクスタシー組合員、くびくびカフェの井上と小川です。 京大非常勤職員・一律5年でくび(5年条項)に反対して、2月からストライキを続けてきたけれど、まだまだわからないことだらけ。 脇田滋先生(龍谷大教授・労働法)にくびくびカフェの2人が5年条項、非正規雇用、労働法について様々な疑問をききまくる! こんな疑問: ・五年条項は違法? ・期待権とは何? ・契約とは何?(納得してサインしただろ問題) ・くびくびは裁判(地位確認訴訟)に勝てる? ・同一価値労

    『脇田滋 x くびくび - 灼熱のトークセッション!』at the 京大 - Arisanのノート
  • 『父と子の思想』(読了) - Arisanのノート

    承前。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090706/p1 父と子の思想―日の近代を読み解く (ちくま新書) 作者: 小林敏明出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2009/06メディア: 新書 クリック: 9回この商品を含むブログ (8件) を見る このでは、「父」をキーワードとして、明治から現在に至る日社会の構造的・精神的な変容が丁寧にたどられている。 著者は、「子」である自分(知識人)を見つめる「父」の視線、というものに注意を集中しているといえる。それは、実際の父の視線であると同時に、かつてはたとえば、「大衆」や「農村」(地方)の視線でもあった。一言でいえば、私を見つめる他者のまなざしである。 「ポストモダン」が言われるような今日の日では、それは消失したのか、というのが著者の(怒りを含んだ)反問だ。 このの中で、とくに力強さを感じる箇所のひとつ

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    ishikawa-kz 2009/07/10
    「父「浜村龍造」のまなざしの効果が、サルトルの『存在と無』の一節を援用して解析される。この部分は、ぼくには非常に鮮烈だった。」興味深いアプローチ。大江とサルトルならありそう。大江と中上の影響関係も深い
  • 身代わりと人質 - Arisanのノート

    『存在の彼方へ』はひととおり読み終わったのだが、気になることはたくさんあるので、もう少しメモ。 存在の彼方ヘ (講談社学術文庫) 作者: エマニュエル・レヴィナス,合田正人出版社/メーカー: 講談社発売日: 1999/07/09メディア: 文庫購入: 6人 クリック: 23回この商品を含むブログ (28件) を見る 一番気になる「身代わり」という語について。 こういうことが言えるのではないか。 「身代わり」には、他人に何かを分かち与えるという意味が込められている。 レヴィナスは実際、「他人の身代わりになる」ということを、「自分の口からべかけたパンを引き離して、他人に与える」ことだ、という風にも表現している。 ここで、「分かち与える」というのは、余っている分をあげる、ということではない、ということが強調される。自分が飢えているときに、最後の一切れのパンを他人に与える、それが「身代わり」とい

    身代わりと人質 - Arisanのノート
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    ishikawa-kz 2009/06/12
    「「身代わり」は、自分なりに少し分かってきた気もするが、レヴィナスの言う「人質」の方は、まだピンと来ない。」
  • 憲法についての基本的なことのメモ - Arisanのノート

    きのうのエントリーを読んで、戦後の日が「暴力的な社会」「暴力的な国家」だというなら、平和憲法はどうなるのだ、それは何の意味も持たなかったことになるではないか、と思う人がいるかもしれない。 しかし、そうではない。 戦後の日の憲法は、元来、国家がもつこの暴力性への歯止めとして存在するものなのだが、その目的が十分に果たされず、誤った用いられ方をしてきた、とみるべきだと思う。つまりそれは、その来の機能を十分に展開しないままに、悪い用いられ方をしてきたのであって、必要なのは、この「用法」の方をあらためる、ということである。 国家は、ある人を、他人や他の勢力、場合によっては他の国による暴力から守るという機能を果たす。だが、その方法は、暴力の合法的な独占ということであるため、国家自体が巨大な暴力となって、個々の人に襲いかかるという事態も生じうる。 憲法においては、こうした事態に際して、個々の人を国

    憲法についての基本的なことのメモ - Arisanのノート
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    ishikawa-kz 2009/05/18
    「、日本国憲法第25条(略)これはたんに、国家の力によって人が生存する権利を保障しよう、と言っているだけではない。 同時に、国家の力が暴走した場合、この国家の力から個人の生存を守る、ということを保障」
  • 草なぎさんの件につき - Arisanのノート

    草なぎ剛さんが逮捕された件に関して、世論が概ね支持か擁護に傾いたことは、ぼくにもちょっと予想外の出来事だった。 なぜあれほど支持されたのかと考えてみると、これは草なぎさんというタレントの、普段からの印象に大きな理由があるのではないかと思う。 彼は真面目そうで、どこでストレスを発散するのか心配になるほどだ、という芸能関係者の声を、事件後であったか、いくつか聞いた。そう言われると、テレビを見てもたしかにそんな印象があった。 それは一口に言うと、ストイックな雰囲気を見る人たちの多くに感じさせたといえるのではないかと思う。 無論、実際の草なぎさんがどんな人かは、知る由もない。 ぼくは、あの時の彼の行動が、警察に抵抗したということも含めて、ストレスや泥酔によるものと片付けたくない気持ちもある。 また、普段『ぷっすま』などで見せていた、ちょっと風変わりな感じも、ストレスの現われと受け取れないでもないが

    草なぎさんの件につき - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/05/07
    僕も同じような心配があります。松ちゃんは死んじゃったらあの松ちゃんの物まねが見れずにさみしいと思う。けど草彅さんを清らかにしすぎ?だから僕は最近泉谷しげるの歌聴いて清濁併せ呑む感じを思い出してるのかな
  • 『<不在者>たちのイスラエル』 - Arisanのノート

    「不在者」たちのイスラエル―占領文化とパレスチナ 作者: 田浪亜央江出版社/メーカー: インパクト出版会発売日: 2008/05/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 5回この商品を含むブログ (3件) を見る 卓越した内容の著作であり、イスラエルという特異な(だが無論普遍性を持った)国の内情が非常に詳しく描かれているが、ここでは一点にだけ触れて考えたい。 「あとがき」に示された著者の真摯な自己分析は、この優れた書物の価値を、さらに大きく高めているといえる。 そのなかで著者は、このの大きなテーマのひとつといえる、イスラエル国内のアラブ人(かつてこの土地に先住者として暮らしていた、パレスチナ人とも呼ぶべき人たち)に対する、自分の複雑な感情を打ち明けている。 イスラエルで暮らす以前に、アラブ諸国のアラブ人たちとの交流をすでに深めていた著者は、イスラエル国内の、アラブを蔑視・敵視する

    『<不在者>たちのイスラエル』 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/04/15
    胸を打たれるものがありました。本の中の言葉にも評者の言葉にもなによりイスラエルに住まう苦しむ人の言葉に特に。被害と加害を丁寧に考えるという石原吉郎の姿勢にもつながりうる。