【読売新聞】徳川家康が合戦を前に必勝祈願をしたとされる愛知県岡崎市の伊賀八幡宮で、ハスの花が見頃を迎えている。同神社の蓮池では、直径約15~20センチの淡いピンク、白色の大きな花やつぼみが、葉の間からその姿をのぞかせている。今年は昨
【読売新聞】徳川家康が合戦を前に必勝祈願をしたとされる愛知県岡崎市の伊賀八幡宮で、ハスの花が見頃を迎えている。同神社の蓮池では、直径約15~20センチの淡いピンク、白色の大きな花やつぼみが、葉の間からその姿をのぞかせている。今年は昨
愛知県三河地方の浄土真宗の門徒たちの間で、リーダーとして慕われた女性など、戦国時代の真宗の実像に焦点を当てた企画展が、岡崎市の真宗大谷派三河別院で開かれている。美術史的にも珍しい、桃山期の女性肖像画など約30点が並ぶ。 この企画展は「家康家臣団と浄土真宗」展。NHKの大河ドラマ「どうする家康」でも、浄土真宗の門徒らが徳川家康と戦った三河一向一揆が丁寧に描かれている。 浄土真宗は西三河で広く信仰を集め、一揆側に加勢する家康の家臣が続出した。一揆の収束後、西三河では真宗寺院が相次いで取りつぶされ、約20年間も禁教となった。武士に改宗の動きが広がったが、その妻や母には真宗門徒として生き続けた人がいた。 家康のおばにあたる芳春院(ほうしゅんいん)妙西もその一人だ。三河の門徒を率いる存在で、禁教の解除に尽力したとされる。芳春院をはじめ女性4人の肖像画が展示されているほか、徳川家臣団の旗印一覧図など、
先日、愛知県の伝統工芸品のパンフを読んでいて、岡崎市の石工団地という場所に「石工団地神社」という神社があり、ご朱印を頂くことができる、という情報を目にしました。 それは珍しい!ということで、岡崎名産の花崗岩(=みかげ石)をみる目的もかねて、先月、「石工団地」に出かけました。 [http://:title] ①「石工団地」と「石工団地神社」 ②「石工団地」の秘密? 最後に ①「石工団地」と「石工団地神社」 JR西岡崎駅の南、歩いて5分のところに「石工団地」はあります。*1 歩いてすぐに、石屋さんと石の仏様が見えてきました 巨大な仏様と、足元には花崗岩がごろごろ 白みが多くてきれいな、「ザ・みかげ石」という石です。 石工団地の入り口付近 さらにまっすぐに進むと、「石工団地協同組合」の建物と神社がほどなく見つかりました。 「石工団地協同組合」(白い建物) 南側から撮影 建物の横にある「石工団地神
岡崎市の神社や寺院をスタンプを集めながら巡る「おかまいりスタンプラリー」が一日、始まった。徳川家康の出生地、岡崎の歴史を感じてもらおうと市観光協会が企画した。来年一月末まで。...
矢を放って農作物の作柄などを占う「武者的神事」が二十日、岡崎市伊賀町の伊賀八幡宮で開催され、多くの参拝客が見守った。 射手は同市鳥川町出身の会社員小野浩紀さん(23)が務め、厳かな雰囲気の中、二十八メートル先にある、三十六センチ四方の的を狙った。放たれた矢は二本とも的を外れ、結果は「麦」が昨年より好況で、「天候」「米」「工業」「繊維」が昨年並みと判定された。同市美合町の三浦治吉さん(84)は「的は外れたけれど、天気がいい中で開催されたので、いい一年になるのでは」と話した。
松平・徳川将軍家の菩提(ぼだい)寺、大樹寺(岡崎市鴨田町)から家康が生まれた岡崎城(同市康生町)までの直線約3キロをサーチライトで照らす「光ビスタライン」が23日夜行われ、江戸時代から約380年間守られてきた歴史的眺望が夜空に浮かび上がった。 現在は市立大樹寺小学校の敷地になっている同寺総門前に据え付けられたサーチライトが午後5時に点灯されると、家やビルの隙間を縫って光の束が岡崎城に向けて延び、小さく見える天守閣をほのかに照らし出した。ライン一帯には大勢の市民が訪れ、中空を渡る光を楽しんだ。
岡崎市康生町の菅生神社で、徳川家康ゆかりの歴史や地元の行事を絵柄にした季節限定の御朱印が人気だ。女性の間で御朱印ブームが広がっており、絵柄に桜を取り入れた四月は、受け取るのに五時間待ちの日もあった。アイデアを出した児玉喜代美さん(62)は「岡崎や神社の歴史を知ってもらうきっかけになれば」と話している。 菅生神社は岡崎最古の神社で、代々、松平家が神主を務め、家康が二十五歳の時に厄よけに訪れたといわれている。そのため家康との関係が分かり、季節の行事の記念になるような御朱印がほしいという声が出ていた。 宮司の妻である児玉さんと神主の奥村侑子さん(28)は昨年九月、近くの乙川に約三万球の発光ダイオード(LED)ライトを流したイベント「泰平の祈り」に合わせ、川の流れをイメージした御朱印の絵柄を考案。評判が良かったことから、家康が厄よけに参拝したと伝わる二月は、若いころの家康や葵(あおい)の御紋のデザ
六名の歓楽街を後にして、もう一つの目的地である岡崎城に向かった。岡崎は何度か車で通ったことはあるが、観光するのは今回が初めてだ。 徳川家康の生地である岡崎城は完全に再建された城で、そのせいか、街の中に突然現れる。私が生まれ育った犬山の城は高台にあるため、近づくと気配を感じるのだが、岡崎城はすっと姿を見せるのだ。 岡崎城は街に溶け込んでいることもあり、観光客や市民との距離が近いように感じた。近代化された都市の歴史シンボル。この日はイベントがあったようで、大勢の人で賑わっていた。 岡崎城を観覧した後、3kmほど離れた大樹寺に向かった。大樹寺は1400年代に建てられた寺で、「家康生誕の地を望めるように」という家光の配慮で、岡崎城が見えるように門が配置された。 下の写真は、岡崎城の望遠鏡で大樹寺の門をフレームに入れたもの。 上の写真は、大樹寺の門から岡崎城をフレームに入れたもの。手前が大樹寺の門前
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く