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学問に関するjunkcollectorのブックマーク (12)

  • 寺田寅彦 学位について

    「学位売買事件」というあまり目出度(めでた)からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑(にぎ)やかで無味な空虚の中に振り播(ま)かれた胡椒(こしょう)のごとく世間の耳目を刺戟した。正確な事実は審判の日を待たなければ判明しない。 学位などというものがあるからこんな騒ぎがもち上がる。だからそんなものを一切なくした方がよいという人がある。これは涜職者(とくしょくしゃ)を出すから小学校長を全廃せよ、腐った牛肉で中毒する人があるから牛肉をうなというような議論ではないかと思われる。 こんな事件が起るよりずっと以前から「博士濫造」という言葉が流行していた。誰が云い出した言葉か知れないが、こういう言葉は誰かが言い出すときっと流行するという性質をはじめから具有した言葉である。それは、既に博士である人達にとっても、また自分で博士になることに関心をもたない一般世人にとっても耳に入りやすい口触わりの好い言葉だからである。

  • 『恋人の有無が中学生の意識に与える影響』まとめ (東京大学大学院教育学研究科紀要, 2012) | ぱろすけのメモ帳

    『恋人の有無が中学生の意識に与える影響』まとめ (東京大学大学院教育学研究科紀要, 2012) By ぱろすけ on 5月 2nd, 2012 『恋人の有無が中学生の意識に与える影響 : 「恋人のできやすさ」に着目して』と題する論文が東京大学大学院教育学研究科紀要において発表され、僕の周りではそのタイトルのインパクトから大変話題になりました。しかし、タイトルの誇る印象に比べ、中身はそれほど読まれていないように思います。特に、タイトルだけ眺めて「これで論文になるんだから教育学部はクソ」という声が多く飛んでいます。それはよくない、きちんと中身を把握してから物を言うべきです。ゆえに、エントリではこの論文の内容を簡単にまとめます。 論文自体は東京大学学術機関リポジトリから誰でも手に入れることができます。 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspac

  • 第一種過誤を恐れる物理学者、第二種過誤を恐れる経済学者 - himaginary’s diary

    CERNが光速を超えるニュートリノを観測したという今話題の発見に事寄せて、Econospeakでピーター・ドーマンが経済学者と物理学者の統計的過誤への態度の違いについて論じている。 以下はその概要。 今回のOpera(Oscillation Project with Emulsion-Tracking Apparatus)チームの発見について、プロジェクトに関わっていたメンバーの中には自分の名前を出さないように要請した者もいたという。 その理由は、これだけ常識を覆す発見だと、誤りである可能性もまた大きいからである。測定誤差が12メートルあれば、結果は引っ繰り返る。 後に誤りと判明した発見に自分の名を連ねた物理学者は、経歴に回復不能に近い傷を負う。以前説明したように、自然科学者は第一種過誤(偽陽性)を非常に深刻に受け止めるのだ。反面、第二種過誤(偽陰性)はそれほど問題にならない。 一方、経済

    第一種過誤を恐れる物理学者、第二種過誤を恐れる経済学者 - himaginary’s diary
  • 国際金融論、藤井英次 : 金融日記

    国際金融論、藤井英次 国際金融学、国際経済学の手頃なテキストをずっと探していたのですが、とてもいいのを見つけました。 現在、ニュースなどで実際に話題になっている経済問題をもっと理解しようと思って大学生の経済学の教科書を開いてもさっぱり役に立ちません。というのも現在のホットな話題、たとえば中央銀行の量的緩和、経常収支のグローバル・インバランス、円高、金融危機、人民元の固定相場制、新興国のバブルなどといった重要な話題は、大学生が勉強するような経済学の教科書ではほとんど触れられていないからです。 経済学部に入学するとまずミクロ経済学というのを勉強します。ミクロ経済学というのは個人や会社がどうやって自らの利益や幸せを最大化するのか、あるいはどういう仕組みにしたら最大化できるのかといったことを数式を使って定式化する学問ですが、そのほとんどが商売をやっていたら自明のことばかりで、はっきりいって何にも面

    国際金融論、藤井英次 : 金融日記
    junkcollector
    junkcollector 2011/02/11
    本の紹介より経済学の説明が素敵
  • 先生の学校【集中講義】 授業法と評価法・講師:芦田宏直

    昨日の芦田先生の講義を日まとめました。ところが #ashida0206 では昨日(2011/02/06)の15:33までしか遡れませんでした。そこで、それ以前のツイートを補うために、@Yamamot_nobhiro @AkiraNagao @FukushimaKokugo 氏のツイートを追加しました。これで流れは追えると思いますが、応急処置です(時間が立つほど消えちゃうRTすんなw)。それ以前の #ashida0206 のサルベージは後で考えてみる…。 ↓こちらに2011/02/06 15:33より前のツイートがあります。 参考: @Hamyuts_Meseta さんの「presented by @jai_an #ashida0206 先生の学校【集中講義】 授業法と評価法・・・芦田宏直  2011/02/06」をお気に入りにしました。 http://togetter.com/li/97

    先生の学校【集中講義】 授業法と評価法・講師:芦田宏直
  • 法学は科学たりえるか/科学の反証可能性

    玉井克哉(Katsuya TAMAI) @tamai1961 いまわれわれが科学と呼んでいるのは、17世紀以降に成立したものです。法学は11〜12世紀に成立したものですので、科学ではありません。 RT @currywhats 素朴な疑問です。法学は科学たりえるのでしょうか。 2010-10-05 21:27:24 Hiroshi Yamaguchi @HYamaguchi 来、取り組むべき課題かと思います。RT @tamai1961: いまわれわれが科学と呼んでいるのは、17世紀以降に成立したものです。法学は11〜12世紀に成立したものですので、科学ではありません。 RT @currywhats 素朴な疑問です。法学は科学たりえるのでしょうか。 2010-10-05 21:31:30

    法学は科学たりえるか/科学の反証可能性
  • 思想化するニセ科学批判 | 社会学玄論

    ニセ科学批判は、思想として観察することが適切である。今やニセ科学批判を科学として観察しては的を得ない。 私は、これまで社会科学・自然科学を問わず、一つの観念体系が思想として人々に採用されていく現象を観察することに心がけてきた。宮台社会学についても、科学というよりも、思想として観察してきた。湯浅氏の反貧困理論、後藤氏の俗流若者論批判や浜井浩一らの治安悪化神話批判も、一つの思想として機能している。 学説や理論は、いくら提唱者が科学や事実等と称しても、それとは次元を異にして、ネットやマスコミを通じて他者に伝達され、人口に膾炙した時点においては、人々に思想として利用されてしまうのである。そして、一度、思想となると、観念体系は別の機能をもちはじめる。これを観察することが、私のブログの目的である。 社会学的立場からは、思想の定義は以下である。 思想とは、自我統合機能や社会統合機能をもつ観念体系である。

    思想化するニセ科学批判 | 社会学玄論
  • 現代経済学の直観的方法 20010527 長沼伸一郎

    ■ 推薦の言葉 いま世界が必要としているのは、経済成長の方法ではなく、むしろ成長の速度を遅らせても倒れないシステムである。地球環境を考えれば、成長に限界があることは誰の目にも明らかなのに、それに取って代わる新しい概念を人類は未だに見いだせていない。しかしそのヒントはある。それが書であり、私は20年前にこのの原稿に出会ったときに大きな衝撃を受け、私のその後の人生に大きな影響を与えた。普通の視点からいえば過激に見える内容も含まれているが、表面的なことで挙げ足をとるのはやめて、長沼氏の深い思想を味わってほしい。20年経った今でも全く色あせず、我々にこれからどう生きればよいか迫ってくる書は、万人に読んで頂きたい一冊である。 -- 東京大学 先端科学技術研究センター 教授 西成 活裕 昨今の厳しさを増す経済状況のもと、例えば技術系の職場など、これまで経済の知識とは無縁でいられた場所でも今やそん

  • オンリーワンの研究を目指せ

    「事業仕分け」が世の中に吹き荒れている。 「仕分け人」がばっさばっさと「ムダ」を切り捨てていく様子は、見ててなかなか爽快なものがあるが、研究を生業とする者として、強烈な危機感を抱かざるを得ない。科学技術費を含む、教育・研究関連の予算が、バッサリやられているからだ。次世代スパコン事業が「凍結」と判定されて以降、ノーベル賞受賞者たちが大反論を展開したのは、同じ研究者として大いにうなずける。即効で役に立たない「研究」分野は、いつの世の中でも、冷たく扱われてきた。 「日の科学技術水準を低下させてよいのか」という反論の狼煙は、主に理系の先生方から次々にあげられているが、危機感は文系も同じである。特に筆者が衝撃を受けたのは、日国際問題研究所の、外務省補助金の「廃止」だ。日国際問題研究所といえば、日の国際政治学を引っ張ってきた、老舗の研究所である。 国際政治研究や、海外の諸地域を研究する地域研究

    オンリーワンの研究を目指せ
    junkcollector
    junkcollector 2009/12/01
    仕分けへの外交畑からの視点
  • アカデミズムという俗世間 - 『完全なる証明』

    ★★★☆☆ (評者)池田信夫 完全なる証明 著者:マーシャ・ガッセン 販売元:文藝春秋 発売日:2009-11-12 クチコミを見る 大学というのは、世間では学問に専念する純粋な人々の集まる世界と思われているかもしれないが、実際にはきわめて俗っぽい世界だ。日の大学は、准教授になった段階で事実上のテニュア(終身雇用)がえられ、授業さえこなしていれば何もしなくてもいいので、ほとんどの研究者はその段階で研究をしなくなる。これに対して欧米諸国、特にアメリカの一流大学の研究者の競争は激烈だ。教授になってもテニュアは簡単に取れず、業績が上がらないと他の大学へ転出するよう圧力をかけられる。国際学会の権威ある査読つき論文以外は、業績とはみなされない。 ところが2002年に、arXivというコーネル大学のウェブサイトにディスカッション・ペーパーが投稿された。著者はグリーシャ・ペレルマンという、どこの大学に

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  • 阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology

    明日から京大に異動になります。阪大には6年間、助/准教授として働きましたが、当に楽しい6年間でした。 最後に日の社会学に対する危惧を一つ述べておきます。日の社会学の特徴は、アカデミズムの軽視だと思います。すなわち、学会報告や学会誌を軽視しているということです。学会発表もせず、学会誌に論文を投稿もせず、それでも社会学者づらしてを出版したり、さまざまなメディアで発言することができるのが、日社会学の実情です。このようなことが起きるのは、学会報告や学会誌が、新人の登竜門として位置づけられており、その評価が低いからだと思われます。エライ先生はしか書きません。エライので査読を受ける必要もありません。こっそり紀要などに考えを公開することはありますが、人から評価されるのは恐ろしいので、学会誌には絶対投稿しません。出版社もが売れさえすればいいので、研究の水準や主張の真偽は気にしません。エライ先

    阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology
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