明治維新後、草創期の警察機構を揺るがす事件が起きた。西郷隆盛、木戸孝允と並ぶ「維新の三傑」として、要職の内務卿(現在の首相に相当)に就いていた大久保利通の暗殺だ。 明治11年5月14日朝、現在の東京都千代田区紀尾井町で発生した。馬車で赤坂仮皇居に向かっていた大久保を旧加賀藩士の島田一郎ら士族6人が襲撃。「車外にひきずりだして乱刃のもとに殺害」(吉川弘文館「国史大辞典」)したという。 日比谷図書文化館の学芸員、高木知己さんによると、「当時は士農工商制度が廃止され、給料を減らされるなどして士族の不満が高まっていた時期」という。島田らは西郷の思想に共鳴しており、大久保が政府軍を指揮した西南戦争で、前年の明治10年、西郷が自決に追い込まれたことも大久保が標的とされた背景にあるようだ。 事件に衝撃を受けたのが、大警視(初代警視総監)の川路利良だ。西南戦争でも大久保の指揮のもと抜刀隊を編成するなど関係
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