そのため、「野球もしっかりやりたかった」という宮崎は開成中学の軟式野球部ではなく、地元、千葉のボーイズクラブに入団した。開成中学は土曜午前も授業があり、その時間はボーイズの練習に参加できないハンデを乗り越え、3番ライトとして活躍。中心選手となり、チームも関東大会まで進出するなど順調に力をつけていった。だが、この時点では社会人はおろか、東大野球部に進むことも考えていなかった。 「ボーイズはしっかりした守備練習がメインで、打撃については、『上から叩け』のような昭和っぽい指導。体の大きい選手は距離を飛ばせますが、僕の体格だと、思ったほど長打にはならない。そういう練習環境の中にあって、自分は今後もっともっとうまくなれるだろうという、伸び代のイメージを得られなかったんです。だから、野球をやるのは高校までだなと思っていました」 「外野ノックはゼロ」開成高校の独特な練習法 成長の天井を感じていた宮崎を東