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ファシズムに関するko_chanのブックマーク (2)

  • 抗日戦勝記念式典は、いつから強化されたのか?

    騒動の原点 毛沢東時代に行われなかった式典を始めたのは江沢民(江の肖像写真のそばに立つ衛兵) Jason Lee - REUTERS 毛沢東時代には行われていなかった抗日戦勝記念式典は、いつから行われるようになったのか? 習近平政権を読み解くには、そのきっかけと推移を考察し、逆行する対日強硬論の根源を探らなければならない。 大々的な式典は江沢民時代の1995年から始まった 8月26日付けのコラムで、「毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない」と書いたが、それならいったいいつから、そしてなぜ抗日戦勝記念式典を行うようになったのだろうか? まず結論から言えば、大々的な式典という形で開催し始めたのは江沢民時代の1995年からである。 式典という形でなく、北京やその他の地方における地域性の座談会的なものは、改革開放後の80年代初頭から徐々に始まっている。しかしそれも、江沢民が国家主席になるまでは、

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  • ヒトラーにただ1人敬礼しなかった男の1枚の写真 | THE NEW CLASSIC

    この有名な写真をご存知だろうか?この1枚の写真は、昨年からワシントン・ポストやフランスの週刊誌「レクスプレス」などで大きな話題を呼んでいるものだ。 彼の名はアウグスト・ランドメッサー。仕事を探し求めてナチスに入党した彼は、1936年のある日、ハンブルクの港において新しい戦艦の出航を祝うために集まった群衆の中、ただ一人ナチス式の敬礼を拒んでいる。 なぜ彼は拒んだのか? 25歳の彼には、それをおこなわない個人的な理由があった。彼は、この写真が撮られた1年前の1935年に、22歳のイルマ・エクラーと結婚したからだ。エクラーはユダヤ人だったのだ。ランドメッサーは、1931年にナチ党から除名された上で最終的に2人は1938年に逮捕された。 2人は強制収容所に連れて行かれ、ランドメッサーは41年の釈放後に前線へと送られ、は42年に収容所で亡くなったという。夫婦にはイングリートとイレーネという2人の子

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