秀吉の経済政策はまっとうです「落日の豊臣政権」に書いていないこと 河内将芳著「落日の豊臣政権・秀吉の憂鬱 不穏な京都」の意図はタイトルにもあるように、秀吉の政策がいかにひどくて、人心の離反を招いたか、にあるわけだが、そこで指摘されている秀吉の失敗したとされる経済政策を見てみると・・・あれ?秀吉の経済政策全部まともじゃね?という感想が浮かび上がってくるのは私だけでしょうか。 ここで批判的に書かれる秀吉の経済政策は三つ。「公共事業」、「金くばり」、「ならかし」である。 「公共事業」についてはいうまでもないが、秀吉の「普請好き」は有名だ。京都に聚楽第を建設すると、当然その周りに大名や奉公人たちの屋敷や家々が建築され、彼らにともなって人と経済の大移動が始まり、京都は一大都市へと発展していく。 聚楽第建築以前の京都は人口8千人程度の小さな町にすぎなかったが、聚楽第以後はその10倍以上の大都市になって