杜撰の根源はどこにはっきり言って、見てくれだけよくて、中身をちゃんと詰めていない、いい加減な計画や作業ばかりなのである。エンブレムの決定と中止の過程については、まだこれから詳細が明らかになるであろうが、審査に厳格さを欠いていたことは否めない。 そもそも日本の公共プロジェクトの世界は、利権関係者だけの「お手盛り」の世界という批判が永く続いていた。それゆえ、近年は公共支出や政治への国民の監視が厳しさを増し、事業仕分けに代表されるように、事業選定から予算に至るまで相当に絞り込まれるのが通例となっている。 にもかかわらず、というか、それゆえに久々のビッグプロジェクトに舞い上がったとでもいうのだろうか。 ここまでプロジェクトの運営が杜撰となると、当初計画を立てたオリンピック招致委員会、それを改変した現在の運営主体のオリンピック運営委員会、加えて新国立競技場の建設主体である日本スポーツ振興センターは、
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