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ブックマーク / mubou.seesaa.net (15)

  • 今だからこそ、「実名/匿名」問題を個人的に総括してみる。: 不倒城

    早い話、「実名/匿名」という基準と、「責任/無責任」という軸を結びつけて語る時代はとっくの昔に終わった、という話に落ち着くんじゃないかと思う。 先日Twitter周辺で、「匿名批判」を声高に論じている人を久々に見かけた。その際、この人は何をいっておるんじゃろうな、みたいな違和感を感じたので、ちょっと自分の中でその違和感をまとめてみたくなった。今更なあ、と自分でも思わないでもないが、整理の為ということでご容赦願いたい。 以下はおはなしの要点。 ・匿名批判の中核は、実名を出すかどうか、ということよりも「発言にリスクをとっているかとっていないか」「発言に責任をとっているかいないか」という部分にあると思う。 ・しかし、実名であること、匿名であることがどの程度のリスクになるか、というものは人それぞれであって、責任ある発言・無責任な発言を保証するものではない。ありふれた名前の人、珍しい名前の人、実生活

  • 毎日新聞の補助金要求が一貫しまくっていて凄絶な件: 不倒城

    素で感嘆したので思わず釣られる。 メディア政策:新政権に望む 「表現・報道の自由」規制、デジタル社会、そして… 民主主義社会ではジャーナリズムが不可欠だ。日では社会文化政策として新聞ジャーナリズムの公的な支援論議はほとんどされてこなかったが、いまこそ始める時ではないか。再販制度や特殊指定制度は、新聞事業を維持するために、その意義が一層強まった。 欧米の政策を参考にした税制上の優遇や、教育文化政策の一環として、ジャーナリズムの社会的な重要性を学ぶためのカリキュラムを強化したり、義務教育が修了する15歳を機に新聞の1年間無料配布を検討してもいい。年500億円で足りよう。 いや、なんというか。確かに突っ込みどころはあり過ぎて一瞬途方に暮れてしまうのだが、これ、一民間企業として考えれば極めて利に叶っている。ある意味毎日新聞を見直した。企業エゴ的な意味でだが。 毎日新聞が立ち位置的に反自民、親民主

  • 「生き方の一般化」が無理過ぎる話: 不倒城

    要は、勇気がないんでしょ? [悪意]id:guri_2という、こいつが生きているからこの世界は駄目なんだというような糞野郎を、このリルリルが貴重な時間を浪費して罵倒してあげる この辺を見ていて、ふと思ったこと。 ここしばらく、「ポジティブ vs ネガティブ」であるとか、「生き方強者 vs 非生き方強者」という様な論争を頻繁に見る。 まず第一に。当たり前の結論から先に言うと、こういった「生き方」的なものを一般化することは来不可能である。 人間の人生というのは、生まれた瞬間から扇形に枝分かれしていく。生まれた当時は同じ赤ん坊でも、「ある人の十年」と「他のある人の十年」が同じである可能性は、当たり前だが皆無である。 経済状況から現在の環境、好み、人間関係、果ては思考から性格まで無限のパターンが存在するのに、「ある人にとって適した生き方」が「他の人にとっても適した生き方」である可能性が、一体どれ

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2008/03/18
    「「一般化の無理具合」を認識していない人は、生き方議論を「自分にとっての話」として受け止めてしまう。」
  • 不倒城: ただ口汚いだけのテキストを、「毒舌」といラベルで救済するのはそろそろやめにしようよう

    世界があまり変わらないのでブログやめようかと思う 政治的な左右を問わず、相変わらず汚い言葉で自分の感じている正義を主張する大小の声にちょっとうんざりして。こちらを読んで、ふと思ったこと。ブクマでもそのまんま書いたことだし、正直タイトルの時点で完結してしまってる訳だが。 汚い言葉、というか。問題は汚い言葉じゃなくて、「強い言葉」と「汚い言葉」を混同している人、だと思う。汚い言葉を使うことの印象だけに目がくらんで、その印象が説得力を強化するという幻想を抱えて。 そして、その混同を自覚しないままに、自分の文章の吐き散らし方を「芸風」「持ち味」だと思い込んでしまう人、でもあると思う。前者がレベル1なら後者はレベル2だ。 レベル3になると、ただ思い込んでしまうだけならまだしも、これが自分の芸風なのだと周囲に喧伝してしまう人、という称号を入手してしまう。この辺にくるとそろそろ引き返せない。後戻りをしよ

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2008/03/04
    未熟な・腐った文章を「毒」と称することが多い
  • 時代を越える、モテエリートの恐怖: 不倒城

    ふと思ったのだが、この世に生きるありとあらゆる人々は、モテエリートの系譜に属しているんではあるまいか。 以下、遺伝学って何ですかべ物ですか、的な思考法で話を進める。 考えてもみよ。我々の両親を始め、我々直系のご先祖様は一人残らず、遺伝子競争に打ち勝って子孫を残すことに成功した人々ばかりなのである。これ、改めて考えると結構凄いことなんじゃないだろうか。100%ですよ、100%。一件の漏れもなく。 普通の統計なら、「90%」とか言われると「超高い」って印象がある。「95%」とか言われると「全部じゃん」とすら思う。それが100%て。おかしい。統計的に何か騙されている気がする。誰かズルしてるんじゃないだろうか。 ここまで「遺伝子競争勝者」の血というものが凝縮されていると、生き残った人々の潜在的モテ力(もてぢから)というものは実は凄いんじゃないだろうか。なにしろ、「子作り競争に勝利して子孫を残した

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2008/02/23
    「ティーラ・ブラウンの遺伝子」を思い出した
  • 「通説・権威を否定するメソッド」について。: 不倒城

    10年くらい前、出版社にバイトで出入りしていた頃、「ハウツーを売るコツ」みたいなことを聞きかじったことがあった。 その内の一つに、「一般的に信じられている通説、あるいは権威の言葉をまず否定する」というものがあったことを、奥様が図書館から借りてきた育児のハウツーを、横から覗きこんでいて思い出した。 通説の質についてとか、そのハウツーの内容が適しているのかどうか、という話は取り敢えずおいておく。ハウツー自体は、有益なノウハウと無益なノウハウがごった煮になっていることが分かりきっているのだから、有益だと思った分だけ齧ればいい。それだけのことである。 説得力のお話なのだ。 「通説を否定するメソッド」が有効な理由はたった一つ。「「気付き」という感覚がとってもキモチイイから」。 通説は、広く流布されているからこそ通説と呼ばれる。「大体こうすればいいんだよ」というセオリー、ある程度固定化された「

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2008/02/18
    このごろネットでは科学・法律・人権・契約などを否定する手合いが目立つ/自分の立っている床板を切り落とすような愚かしさ
  • 不倒城 : 書評もどき:レイ・ブラッドベリ「十月はたそがれの国」

    あらゆるホラーに共通していることだが、「最初から非日常」というホラー作品は、基的にあんまり怖くない。開幕から恐怖シーンが上映されているホラー映画を想像してみるといい。最初っからジェイソン大暴れの13金は、単なる怪獣映画でしかない。最初からリング終幕の映像が流れていたとしても、普通の人は「なにそれ」と思うばかりだろう。怖さは、日常の、少なくとも日常に準ずる導入があって初めて演出される。 それは何故かというと。ホラーの怖さというのは、落ちる恐怖、つまづく怖さだからである。観客は、最初は「日常」という磐石な足場に立っている。同じく、舞台がSFであろうが異世界であろうが、ホラーの導入も「日常」の上に立っており、それによって読者の視点を作品の中へと誘っている。「日常」といういつもの足場に立っている筈が、気付くと崖との境界を踏み越えていた、暗い谷底に落ち込んでいるまさにその瞬間だったという、その無重

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/12/15
    いまさら言うまでもない傑作です
  • 不倒城、三年のまとめ。: 不倒城

    「読んでくれる人」を信頼すること。 書く時には「読んでくれる人」を気にすること。書き終わったら「読んでくれる人」のことは忘れること。 不倒城を始めて三年経った。 不倒城は、丁度三年前の昨日、第二次だか第三次だか第四次だかのブログブームに乗っかってなんとなく始めた泡沫ブログである。そして、三年経った今でも首尾一貫して泡沫ブログであり続けている。われながら見上げた一貫具合だと思う。誰か褒めてください。 何事も、三年続けば何かにはなるもんだ、と思っている。だから不倒城も、まあ何かにはなっただろう、と思っている。何になったのかはともかくとして。 三年間、書きたいことばっか書いていた様な気がする。言い方を変えると、三年間書きたいことしか書かなかった訳で、このブログに「ネタがないけど義務感で書いた」というエントリーは一つたりともない筈だ。これについては私は自信がある。 とはいえ、他人に読んでもらうつ

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/11/14
    「読んでくれる人は、味方だ。」格好よすぎて悔しい
  • 「辛い、辛い」と言っている人に「私は辛くないよ!」と言うことが励ましになると思っている人が、本当に存在する件: 不倒城

    テーマ、タイトルだけ。 いや、なんつーか、他部署の話だし、私が口を挟むことでもないので黙ってたんだが。一応後で昼飯にでも誘ってみることにする。結構精神的にキツそうだったし。 まあ、喩えて書くとすれば、 「俺もうHP1です、ホント無理です」 「大丈夫!私はまだHP120はあるから!もうちょっと頑張れ!」 考えてみると、例えば恋愛で痛手を受けている人に自分の体験で応じるとか、何かが嫌いな人に「いかに自分はそれが好きか」という論点で応じるとか、似た様な状況は色々あるのかも知んない。 --------------------------------------------------- 07/11/07 17:10 追記。 「辛い、辛い」と言う人に対して、「私も辛いよ!」と言う人は、多分結構いる。それは励ましになるんだろうか。ならないんだろうか。まあ、少なくとも励ましではない様に思う。 どうすれば

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/11/07
    あるある/優しいつもりの人は時に残酷だ
  • SBMの同調圧力を防ぐ為のたった一つの方法: 不倒城

    ブクマする前に他の人のブックマークコメント読まない様にすればいいんじゃないの? はてなブックマーク - はてな村民は、声の大きいヤツに同調し、魔女狩りを行う最低の村か? なんか知らんが元記事が編集されている。この程度の記事を運営が削除するとかアホですかという感じなので、多分書いた人が自分で編集したんだろう。一応ぐぐるのキャッシュはこっち。 いや、なんとゆーか、上の記事とか、記事のブクマでの議論がどうもピンとこなかったので原因を考えてみた。 同調圧力うんたらがどうしても気になるのなら、冒頭に書いた様なルールに従えばいいし、なんならシステム的にそういう制限を加えることも不可能ではない(やる意味があるのかどうかは疑問だが)。 そもそも「ブクマをするのは他の人のコメントを読んでから」という発想自体私になかったので、一体何の話をしてるんだろうと最初思った。先にコメントを一通り読んでからブックマークす

  • 人狼BBSが僕達に教えてくれたこと。: 不倒城

    「信じてもらうこと」と「信じさせること」は、似てる様でいて実は全然違うこと。 ゲームに勝つために重要なのは、「自分が何を語るか」ではなく、「自分の言葉をどの様に受け取ろうとする人が多数派なのか」だったりする、ということ。 発言が支持されるか支持されないかは、発言内容以上に、その発言を向けている層に依存するということ。そして、時としてたった一人に支持されるだけで十分ゲームをひっくり返せるということ。 不利な流れ、自分の発言が悪くとられる流れになったら、ちょっとやそっとの努力じゃ押し返せないこと。 と。まあ、ここ一年だか二年くらいBBSでの人狼から離れていて、久々にこんな触り方をしたらちょっと自分の中で再燃した。再開するかどうかは分からないけど、軽く思うところをまとめてみよう。 人狼BBSというのは、要は掲示板上の説得ゲームであり、ある村の中に紛れ込んだ「人狼」を、そのゲーム上から排除するとい

  • 不倒城: 扇動されやすい人、について考えてみる。

    扇動されやすい人 少なからざる人が「私たちはだまされて、虚偽の歴史像を注入されていたのだ」と書いている。「憤りを覚える」とまで書いていた学生複数いた。どうも彼らの好きな自画像とは「だまされていたけど、真実の歴史に触れて目が覚めた」というものらしい。 意外とややこしい話の様な気がする。 なんか幾つかトピックスが抽出出来そうなので、順番に列挙してみよー。 1.信じる閾値、みたいな話。 第一感としては、「説」を頭から信用してしまう学生がそんなにいるのか、ほんまかいな、という所であった。 文中引用されている永井晋氏の著書は、言うまでもなく永井氏の学説を語っている。説は意見であって、見方であって、当然「事実とイコール」ではない。説得力の有無とは関係ない。思考の材料の一つにはなるが、そもそも頭から信用する様な類のものではない筈だ。 「説」は真に受けるものじゃない。参考にするものだ。 この「真に受ける→

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/05/26
    「学生は結構したたかなので、実際のところホントーに真に受けた人がどれだけいたのかというのは割と謎だ。」
  • 毎日新聞の新特集関連で香ばしい事態が発生している件について。: 不倒城

    ネット君臨:第1部・失われていくもの/1(その1) 難病児募金あざける「祭り」 取材班から 連載がスタートしました 私が注目している点は二つ。 Webに軸足を置いている人物の発言が編集を受けて新聞に掲載されたということが起こす拒否反応と、それに対するメディアの対応。 毎日新聞のこの特集に関しては、まあ毎日新聞の立ち位置からすれば別に違和感もなし、書いてあることもメディアが通常得意とする文法通りの内容であって、特筆すべきこともないかと思う。 ただ、 ▼ネット君臨ねえ こちらでも取り上げられている通り、「がんだるふ」氏は自分のコメントが「恣意的に発言を処理」されていると書かれている様だ(このコメントがご人のものだとして)。 まず前提がある。毎日新聞側としては、がんだるふ氏のコメントを恣意的に編集して掲載するのは「ごく当然」の行為だ。何十年も前から普通だったことである。罪悪感などある筈がない。

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/01/05
    「商業メディアのパワーソースは影響力であるから、影響力を確保する為に自社の報道には偏向をかける。繰り返すが、これは商業メディアにとって「当然のこと」なのだ。」
  • ブログ観測者問題・追加。: 不倒城

    命題その8:ある時事ネタ「○○」が存在する時、「○○には興味はないので触れない」「○○はどうでもいいが」とわざわざ書く人は○○をスルー出来ていない。 命題その9:○○に当に興味がないブロガーは、そもそも○○についてエントリーを書かない。 結論その4:Web上で、ブロガーの興味の欠如を観測することは出来ない。 うん、こっちの方がなんとなく観測者問題っぽいぞ。何か違う気もするが。 ブログにおいて、「どうでもいいが」「興味はないが」という言葉の多寡は何かのバロメータになる様な気がする。スルー出来ないけど、スルーしたとアピールはしたいココロ。ほっときたいけどほっとけない。ああ、ツンデレ度か。 そもそも当にどうでもいいことや興味がないことには触れもしない訳で、うちの奥様など興味がないことはシャレ抜きでガンスルーである。私は、彼女がYahoo!スポーツのリンクをクリックしたことを未だかつて目撃した

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2006/11/03
    本当の重大事は書けない、ということもある
  • ブログ観測者問題・スルー論: 不倒城

    命題その1:Web上での煽りに対し、「スルーしろ」「スルーします」と発言する人はその煽りをスルー出来ていない。 命題その2:煽りに反応する人がいなかった場合、それを指摘された煽りはスルーされていない。つまり、「全力スルーワロス」といったコメントがついた時点でその煽りはスルーされていない。 命題その3:命題その1及び命題その2から、Web上での煽りコメントは、そのコメントが残り続ける限り「スルーされた」と確定しない。 結論その1:ある煽りがスルーされたかどうかをWeb上で観測することは出来ない。 命題その4:ブロガーがスルーした煽りコメントには、多くの場合何故か他のコメンテータが反応をしてくれる。 命題その5:ブロガーがスルーしなかった煽りコメントには、多くの場合何故か他のコメンテータが「スルーした方がいいですよ」と助言してくれる。 結論その2:ブロガーがスルーしようがしまいが、煽りコメント

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2006/11/02
    「命題その6:煽りをスルーする人のブログや書き込みには、そもそもあんまり煽りコメントがつかない。」
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