たばこには中毒性がある。いや、中毒性はないという主張もあるのかもしれない。だが、重要なのは、たんにたばこに中毒性があるということだけではなく、わたしたちが「たばこには中毒性がある」という知識をもっているということだ。われわれには知識によって左右されている面があるということである。 興味ぶかいはなしがある。ローレン・スレイター『心は実験できるか』第7章「ネズミの楽園[アレグサンダーの依存症実験]」だ。結論をさきどりすると、「アレグサンダーは薬物依存の性質の研究に専念し、依存症とは、薬理の中にあるのではなく、患者をサポートしない社会の複雑な関係性の中にあるとの結論を得た」(246ページ)。 アレグサンダーの実験がおもしろいのは、劣悪な実験状況におかれたラットが依存症になるからといって、それは薬物の作用によるものだとみなすことはできないのではないかという発想にたち、ラットパーク(ねずみ公園)をつ