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ブックマーク / kaikai00.hatenablog.com (23)

  • ここによく表れている日本の学力をめぐる論議のおかしさ - 今日行く審議会

    学力テスト1位「秋田に学べ」は大丈夫? 大学進学率は低迷 日における学力をめぐる議論のおかしさがこの記事にはよく表れている。以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20071206/1196896313で次のようなことを書いた。 PISAの結果についてマスコミはそろって不安を煽り始めている。そういう状況の中で出てくる主張は,時間増,いわゆる「ゆとり教育」からの脱却といった的外れなものばかり。 考えておかなければならないことは,PISAの「リテラシー」という概念が当に日で育成されようとしているのか,育成されてきたのかということ。http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20071130/1196370772で「日型」という言葉で表現したけれど,日において一般的に「学力」として想定されてきたもの,されているものはPISAの「リテラシー」

    ここによく表れている日本の学力をめぐる論議のおかしさ - 今日行く審議会
  • 限界をふまえない議論 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会

    【主張】学力テスト 指導の改善へ積極公表を 全国学力調査をめぐる議論でよく目にするのは,限界をふまえないまま議論しているもの。ここでいう限界というのは,全国学力調査を含めたテストは,見ようとするものしか見えないのだということ。 全国学力調査のことを何度も「魔法の杖」に例えている。その理由は,限界をふまえないままsれもこれも評価できる,実態が把握できるという議論が多いからだ。 例えば,教師の能力を評価したいと考える。そうであるならば,必要な調査項目は何か。妥当な調査方法は何か。改善策を立てるにはどのような調査項目が必要か。そうしたことがまず第一に問題にされなければならない。けれど,全国学力調査に関する議論では,評価できるという前提でそうしたことを問題視しないまま,結果の公表だけが主張されている。 もし,結果が公表されなければそもそも何も分からないではないかといわれるなら,それは当だろうか。

    限界をふまえない議論 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/10/20
  • 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会@はてな

    http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070509/1178642759で引用した池田央氏の 私はよく、「意味のある調査」と「ナンセンスな調査」という風に分けて呼ぶのですが、「意味のある調査」とは、例えば、ある問題の正答率が高かった、または低かったかが分かるだけでなく、なぜそうなのかを推察できるような質問も同時に組み込まれた調査です。つまり、原因の推定可能なデータが集められるように工夫された質問が組まれている調査こそ、意味のある調査なのです。それに対して「ナンセンスな調査」というのは(今の日の多くの調査がそうではないかと思うのですが)、得られた結果の原因を、現場の先生の経験による勘や、評論家の意見や判断に基づいて後から憶測するしか方法がないような調査のことです。 と言う指摘。 よく,学校や教師,教育委員会などが全国学調査の結果で「評価」されること。結果の公表を

    全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会@はてな
    maangie
    maangie 2008/10/12
    「意味のある調査」と「ナンセンスな調査」
  • こんなデタラメに付き合わされないこと - 今日行く審議会

    【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩 テスト結果を公表せよ まず, 文科省は、調査見直し・不要論にたじろいではならない。国の教育政策立案の基礎として学力を検証するに足る長期間の全国データはぜひとも必要なのである。教育は国家百年の計なのだ。43年ぶりに復活したこの調査は「費用対効果」などで論じる次元を超えた極めて重い意味を持つものである。連続悉皆調査を継続すべきである。 について。アメリカのNAEPは抽出調査だ。悉皆調査ではなく,抽出調査の方がメリットがあると考えられているからだ。アメリカのNAEPについては,http://benesse.jp/berd/center/open/berd/2006/03/pdf/03berd_05.pdfで池田央氏が詳述されているので読んでいただければと思います。 OECDのPISAについても同じことが言えるのだけど,国単位の調査の目的は「子ども個人の学力調査」

    こんなデタラメに付き合わされないこと - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/10/09
    「社会において競争が行われているとしても,競争の必要のないものを使って競争させれば,目的をゆがめ,調査の価値を下げることになる」
  • 問題を矮小化して何をしたいのか - 今日行く審議会

    組合と学力に関連性はあるか? 低学力地域は日教組票多く 先日から,これが話題になっている。それがどうした?それで何がしたいの?と思う。学力の問題を,こうしたことに矮小化し,単純化し,短絡的に論じられる。それが何より我慢できない。 日教組がどういったことをしてきたか,それを問題視するのは構わない。けれども,日教組と関連づけ,学力問題を矮小化し,単純化し,短絡的に論じることを正当化するのは間違っている。 学力調査の必要性が高まっていると言われ,様々なところで論じられるようになっている。だからこそ,こうしたことを疑問視すべき。学力の問題をこうしたことでしか議論しないなら,調査の意味はない。調査の意味をもう一度考え,その結果についてきちんと議論すべき。

    問題を矮小化して何をしたいのか - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/10/09
    「日教組がどういったことをしてきたか,それを問題視するのは構わない。けれども,日教組と関連づけ,学力問題を矮小化し,単純化し,短絡的に論じることを正当化するのは間違っている」
  • 前提としていることの根拠は? - 今日行く審議会

    学テ、成績開示へ=秋田県教委、全国初決定?市町村名伏せ、学校別も非開示 この記事に寄せられているコメント,学力調査の結果の公表を望む主張が前提としているもの。全国学力調査で学校や教師が評価できる。というもの。その根拠はどこにあるのだろうか?これとこれとこれが調査項目にあるからそこから明らかにできるというものを知りたい。 調査項目がないのに,評価できるはず,推測できるはずというのは「ナンセンスな調査」であり,そうしたものは根拠にならないと思うのだけど。

    前提としていることの根拠は? - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/10/09
    「全国学力調査で学校や教師が評価できる。というもの。その根拠はどこにあるのだろうか?」
  • 日本の学力調査はすばらしいのだろう - 今日行く審議会

    の学力調査はすばらしいものなのだろう。PISAなどは参考にすべきかもしれない。その理由は,なぜそれが調査結果から分かるの?と思うようなことが結果を見れば分かるという主張が当たり前のように語られているから。 日テスト学会はテスト規準で テスト利用者は,利用に先立ってテスト設計の意図,尺度得点の意味,テスト結果の解釈法などを理解しておかなければならない。 テスト利用者は,テスト開発において想定された受検者層の範囲を超えて実施しないように,また,テストの手引で指示されていない過剰な解釈をすることがないよう留意する。 学校教育,企業内教育,臨床診断,カウンセリング,職業ガイダンスなどにおいて,受検者にテスト結果を伝える場合には,テスト結果が受検者に適切に解釈されるよう努める。利用者は,そのために必要な知識や技能を事前に修得しておく必要がある。 としている。 また, テストの品質を検証し,また

    日本の学力調査はすばらしいのだろう - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/09/29
  • 学力調査の拡大という本末転倒した主張 - 今日行く審議会

    「学力テスト、小5?中3に拡大を」文科相が私見 塩谷立文部科学相は26日、昨春に約40年ぶりに復活した全国学力テストについて「(小学)5年から中学生ぐらいまで毎年行い、自分の学力向上が測れるシステムができればよい」と述べ、対象を現行の小6と中3の2学年から拡大させるのが望ましいとする認識を示した。 塩谷文科相は個人的見解と断った上で、対象拡大に言及。「子供たちも(自分が)どういうレベルにあるかを把握するのは必要だ。ある程度の競争は目的に入っている」とし、学校現場に競争意識を導入する必要性を強調した。 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080918/1221676531で書いたことの繰り返しになるのだけれど,全国学力調査がなぜ必要なのか。今まで各地域ごとに行われてきた学力テストと何が異なるのか。地方ごとのテストではなぜ駄目なのか。なぜ、全国一斉でなければならな

    学力調査の拡大という本末転倒した主張 - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/09/29
  • 試行錯誤を否定してはいない - 今日行く審議会

    私の主張していることは,試行錯誤を否定することではない。全国学調査は今まさに試行錯誤の最中であると言われるかもしれない。しかし,その試行錯誤は合理的な判断に基づいたものではないということを主張してきた。それは,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080918/1221676531で書いたことの繰り返しになるけれど書いておきたい。 苅谷剛彦氏が[asin:4480059296:title]で指摘したことは,大規模に一斉に導入ではなく,小規模で試行錯誤を繰り返して,その結果を反映させていけばいいといったことだったと思う。全国学調査については,悉皆調査というリスクもコストも大きなものを一斉導入するのではなく,各地で行われていた学力調査や各学校,各クラスで実施されていた評価,または,PISAやNAEPなどの先行事例のように抽出調査をいくつか実施するということができた。

    試行錯誤を否定してはいない - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/09/29
  • 愛国心の問題を無理矢理無害化する授業 - 今日行く審議会

    http://d.hatena.ne.jp/debyu-bo/20061114/1163515439で、クローズアップ現代「“愛国心”って何ですか」の中で、ある授業の様子が映し出されていたというのを知った。その回はまだ見ていないので、見た後で何か付け加えるかもしれない。現段階で言えることを少し書いておきたい。 私は、そういう授業、もっとはっきり言えば、「中身の無い薄っぺらな授業」はすべきではないと考えている。最近こういう授業や授業の記録などに出会うとげんなりとしてしまう。 なぜ、中身の無い薄っぺらな授業と評したか。その理由は、「愛国心」という問題を、「日の四季は美しい」というような問題にすり替えて、それ以上子どもが「愛国心」について考えることを阻害しているからだ。「愛国心」について子どもが考えようとするとき、こういう授業をやると「愛国心」というのは「日の四季は美しい」と思うこと、「そう

    愛国心の問題を無理矢理無害化する授業 - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/09/29
  • 保存用メモ - 今日行く審議会

    「君が代斉唱で起立せず」調査めぐり波紋 「君が代斉唱で起立せず」調査めぐり波紋 <今年の卒業式・入学式で、各学校でどの程度起立しない保護者や来賓がいたか伺います。教育法の改正も叫ばれ、日を愛する心を育む教育をすべきという声が大きくなっている昨今であります>(戸田市議会:6月13日) これは、今年6月13日に埼玉県戸田市の市議会で実際にかわされたやりとりです。 <このようなことを放置すれば、教育現場から教育の崩壊へとつながり、ひいては日国家の崩壊につながりかねない、ゆゆしき問題であります>(民主党 高橋秀樹 市議) <教育委員会といたしましては、参列している保護者・来賓すべての方々に対し、開式、起立後に国家斉唱をお願いしています>(伊藤良一 教育長) 民主党市議会議員の高橋秀樹氏が、卒業式の君が代斉唱の際に起立しなかった保護者らがいたことについて、伊藤良一教育長の認識を質しました。

    保存用メモ - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/09/29
    「日本だけですよ、こんなバカなこと言ってるのは。どこの世界でも国旗や国歌に敬意を表する、尊敬するまなざしや気持ちがなかったら、国家として成り立たないでしょう」
  • 教師論の矛盾 - 今日行く審議会

    ISBN:4130513001:detail の佐藤学「教師文化の構造‐教育実践研究の立場から」の冒頭で佐藤氏は次のように述べている。 一般に語られる教師文化は矛盾に満ちている。人々は、教師の権威的体質を批判しながら、厳格な教育を要求し、教師の偽善的ふるまいを批判しながら、高潔な倫理と私心のない献身性を讃えている。また、教師の学問的意識や教養の不足を嘆く声の一方で、学識よりも人格だという俗論が後を絶たず、教師の保守意識を嘆く声の一方で、政治意識の過剰に対する警告が「中立性」を盾として繰り返される。さらに、教師の同族意識が批判される一方で、職場における連帯の欠如が問題にされ、専門的な知識や技術の不足を嘆く声の一方で、教師は専門家でなく一般人であるべきだという意見が述べられる。これら矛盾に満ちて語られる教師文化の実態と規範をどう理解したらいいのだろうか。 佐藤氏が指摘しているように、よく語られ

    教師論の矛盾 - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/09/29
  • 犬山市教委は何を失ったのか(再掲) - 今日行く審議会

    先ほどのエントリーで引用した議事録を読んでいて、銭谷氏の次のような発言にひっかかった。 私ども、先ほど申し上げましたように、調査への参加は学校の設置者でございます市町村教育委員会の判断ではございますが、犬山市につきましては、今回の学力・学習状況調査でわかる、例えば、域内の児童生徒が必要な学力を身につけているのか、全国や県内の状況と比べてどうなのか、学習状況や生活習慣等を含めてどこに市としての課題があるのかといったようなことにつきまして、この調査を活用して把握、分析し、施策や指導の改善を図る機会を失うことになるものと考えております。 銭谷氏は、「犬山市につきましては、今回の学力・学習状況調査でわかる、例えば、域内の児童生徒が必要な学力を身につけているのか、全国や県内の状況と比べてどうなのか、学習状況や生活習慣等を含めてどこに市としての課題があるのかといったようなことにつきまして、この調査を活

    犬山市教委は何を失ったのか(再掲) - 今日行く審議会
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    maangie 2008/09/19
  • 公教育と私教育 - 今日行く審議会

    新潟市教委:欠席児童保護者に督促書 母親ら「親の意思ではない」 /新潟 <不登校>児童23人が謎の欠席、学校側13人に出席催促 文科省「聞いたことない」 以前, いろんな図式の中からまずは抜け出すこと で書いたこととも重なるけれど少し書いておきたい。 Yahoo!の記事に寄せられているコメントを読みながら考えたのは,「公教育」と「私教育」という概念がきちんと検討されないまま,問題視されているなということ。 不登校を続けている子どもの理由が実際には何なのかこの記事でははっきりしないけれど,保護者が「ホームスクール」つまり「私教育」で子どもを育てるというのは保護者の権利。 「公教育」と「私教育」というものがきちんと論じられてこなかった中で,こうした事態に「異常さ」を感じるというのは理解できる。けれども,欧米のように「公教育」と「私教育」についてきちんと議論をしないままこれを論じるべきじゃない。

    公教育と私教育 - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/05/30
    「私教育」と「公教育」,教育における「私益」と「公益」
  • 何でもかんでも規定してしまえってさ - 今日行く審議会

    【正論】高崎経済大学教授・八木秀次 教育法の理念反映せず 学習指導要領で何もかも規定してしまうつもりだろうか。学習指導要領で規定してしまえば,その違反者を取り締まることも容易だからね。 学習指導要領で規定し,教科書検定でそれに沿った教科書にする。いったい何処の国の発想だろうか。教科書検定制度があるから,かの国とは違う?まさか,そんな子どもだましのようなことを言うつもりだろうか。 学習指導要領とか,教育法とか,そういうものを用いて教育を硬直化させることのデメリットを考えているだろうか。学習指導要領に規定されていないからこれはやれませんよとか,これはやりませんよとか,そういうことが変化が早くて激しい社会で通用するとでも言うのだろうか。変化に合わせて次々と変更するから大丈夫などという寝言でも言うつもりだろうか。 アップルは,[asin:4887131925:detail]の中で次のように

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  • いろんな図式の中からまずは抜け出すこと - 今日行く審議会

    学校選択制は、「ダメな学校」を構造的に作り出す ?「教育の質の選択」という神話 広田氏の主張については様々な意見が寄せられて議論が深まればいいなと思う。寄せられているコメントなどを読みながら考えたことをいくつか書いておきたい。まず必要なことは蛸壺化した議論(広田氏の議論は必ずしも蛸壺化しているとは思わないけれど,毎回こういう批判が出ることは残念なこと。)の元になっている様々な「図式」からまずは抜け出してみることが必要だろうと思う。 一つ目の図式は,「公教育」という言葉をめぐる図式。「公教育」ということばが「公立学校」や「公立学校の教育」とほぼイコールの意味で語られる図式からまず抜け出すことが必要だろうと思う。 以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060813/1155484412でラバリーの論文を紹介した。これは「公教育」を前提として論じられている。その

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  • デマと誤解で満たされた「ゆとり教育」からの脱却 - 今日行く審議会

    新学習指導要領が「ゆとり教育」からの脱却だとか転換だというマスコミの報道。それはデマと誤解に満ちている。 授業時数の増加にしても,教える内容の増加にしても,それが学力向上につながると期待され,そう「確信」している。けれども,それはいったい何処でどのようにして実証されたのか。その期待や確信の根拠は何か。 もし,これからそれは実証されるのだというなら,それは「ゆとり教育」と変わらない。「ゆとり教育」もそうやって始まり,検証もないまま脱却だ,転換だと言われているのだから。 「ゆとり教育」に関して,未だに円周率が「3」とかいうことが出てくる。マスコミも「3.14」の復活などという。デマが未だにデマとして認識されていない。 「ゆとり教育」がもたらした,もっとも貢献したことは「教育」についてデマであるかどうか,根拠の有る無しに関わらず,「ゆとり教育」とは逆のことといえばそれが無批判に歓迎されるという状

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  • 世界標準学力って何だ - 今日行く審議会

    新学習指導要領案 どう育てる世界標準学力 いつからPISAが世界標準学力になったのだろう。

    世界標準学力って何だ - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/02/16
    うむ。
  • 「公教育」という言葉の意味から考えてみる - 今日行く審議会

    【主張】君が代訴訟 徹底指導を妨げる判決だ 国旗国歌法は国旗を日の丸、国歌を君が代と規定し、学習指導要領で教員の国旗・国歌の指導義務が定められている。そうした法律に根拠を求めるまでもなく、国旗・国歌の指導は公教育の重要な役割の一つである。 あえて「公教育」という言葉を強調した。ここで使われている「公教育」という言葉の意味を考えると,この問題のおかしな一面が浮き彫りにできると思うからだ。 よく,「嫌なら私立学校の教師に云々」という主張がある。おそらく,http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/121572/tb/などでいくつか見かけることができると思う。けれども,それは「公教育」という言葉を誤解しているから出てくる。 「国旗・国歌の指導は公教育の重要な役割の一つである。」とするなら,「公教育」を行う私立学校はその埒外には置けない

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    maangie
    maangie 2008/02/11
  • 教育政策はたいていこうして決まっていく - 今日行く審議会

    豊島区の幼稚園、道徳の専任教諭を配置 東京都豊島区は今年4月から、三つの区立幼稚園にそれぞれ道徳を教える専任教諭を配置する。「家庭」「学校」「地域」の教育力が落ちたため子供のモラルが低下しているとして、新年度予算に人件費など約1000万円を盛り込んだ。 「家庭」「学校」「地域」の教育力が落ちたため子供のモラルが低下している それは,何を根拠にしているのだろう。何か調査でもしてその結果なのか。それとも,多くの人が認める常識にでもなったのか。 教育施策は時として(いつもと言った方が良いか)思いこみや都合で決まることがある。それは学力向上なども同じ。 根拠のない教育施策は,その評価もきわめて恣意的に行われる。その正否を決めるのはその時次第,その人次第。「ゆとり教育」が検証もなしに正否が語られているのと同じ。 この教育施策は「ゆとり教育」と同じ。亡霊として教育に取り憑くことになるだろう。

    教育政策はたいていこうして決まっていく - 今日行く審議会
    maangie
    maangie 2008/02/11