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シンボルに関するmassunnkのブックマーク (2)

  • シンボルに補われたプレシンボリックな知能

    最近,マウスを掴んで,ディスプレイ上のカーソルを動かして,クリックする繰り返しが,チェスのようなゲームに思えてきている.座標を指定することの連続.単純な行為の繰り返し.でも,いろいろなことがそこでは起こっている.ディスプレイ上のイメージに,私たちはアフォーダンスを感じるのか? 感じさせるために,ボタンのイメージに影とかつけてもっともらしくしているが,私たちは当にそこにアフォーダンスを感じているのか.ただの座標指定にアフォーダンスなんて言葉は使えないのではないだろうか? ただチェスのようにコンピュータがディスプレイ上にこのような手を提示したから,こちらもそれに応えて次の手を打つということの繰り返しなのではないか.チェスや将棋が立体の駒をなぜ必要とするのか? 座標指定をするために,何か掴める物理的なものをヒトが欲したにすぎないと考えられる.ただ,駒を掴みたかっただけなで,掴むと安心なのではな

    massunnk
    massunnk 2009/12/14
    チェスの早指しの動画すごいな。。こんな速いのか。
  • 「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

    「環境知能」と言うとき,比較的欠けているなと思った視点は,身体や皮膚の感覚,あるいはシンボリックにいく前のサブシンボリックな知能なんです.どういう意味かというと,子供がおもちゃに対してインタラクトしているとき,そのおもちゃにどういう機能があるかなんていう表象を頭のなかにつくらなくても反射的に手を出しているわけです.あるいはそこにがあれば何となくページをめくっているとかね.そうした,ピアジェが言うところの,表象より前の段階の感覚運動知能みたいなものは,安全な言い方をすればそういう研究は将来必要となるでしょう,という言い方になるのですが,そんなことをいっているあいだに,近未来において粗暴なかたちで吹き出てくるんじゃないかなという気がしているんです.(pp.150-151)

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