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ブックマーク / touch-touch-touch.blogspot.com (6)

  • カーソルとスイッチ

    われわれは日常,”スイッチ”という概念が,”石”とか”テーブル”とかいう概念とは次元を異にしていることに気づかないでいる.ちょっと考えてみれば解ることだが,電気回路の一部分としてスイッチは,オンの位置にある時には存在していない.回路の視点に立てば,スイッチとその前後の導線の間には何ら違いはない.スイッチはただの”導線の延長”にすぎない.また,オフの時にも,スイッチは回路の視点から見てやはり存在してはいない.それは二個の導体(これ自体スイッチがオンの時しか導体としては存在しないが)の間の単なる切れ目──無なるもの──にすぎない.(p.147) スイッチとは,切り換えの瞬間以外は存在しないものなのだ.”スイッチ”という概念は,時間に対し特別な関係を持つ.それは”物体”という概念よりも,”変化”という概念に関わるものである.(pp.147-148) カーソルはベイトソンが言う意味での「スイッチ」

  • スケッチパッド:行為=痕跡=イメージを解体する「変換」という操作

    スケッチパッドは,1960年代に,マサチューセッツ工科大学のリンカーン研究所で行われていた研究プロジェクト “Computer-Aided Design” の集大成的なプログラムとして,1963年にアイヴァン・サザーランドが作り出したものである.スケッチパッドのシステムは,TX-2コンピュータ,CRT ディスプレイ,ライトペン,押しボタン,コントロール・ノブから構成され,ライトペンを用いて,ディスプレイ上に,幾何学図形を何度でも正確に描くことができた.サザーランドは,「この装置は,従来の視覚的表現にはまったくみることができないコンセプトを実現しており,その一つとして『拘束』がある」 2-24) と書いている. 「拘束」とは,プログラムを構成する変数の自由度を制限してしまうことであるが,スケッチパッドでは,この概念は,ユーザが予めこれから描くイメージを,コンピュータに対して宣言することで,描

    massunnk
    massunnk 2010/01/05
  • マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

    フロイトは,自らの記憶と知覚のメカニズムに関する仮説のために,当時,売り出されていた玩具である,マジック・メモという装置を取りあげた.その理由は,この装置のイメージを表示する表面が,「いつでも新たな受け入れ能力を提供すると同時に,記録したメモの持続的な痕跡を維持するという二つの能力を備えている」2-11) からであった.フロイトは,「情報を無限に受け入れる能力と,持続的な痕跡の保存は,互いに排除しあう特性」2-12) と考えていたが,マジック・メモは,その相反する能力を同時に実現する装置であり,その構造は,次のように記されている. このマジック・メモは,暗褐色の合成樹脂あるいはワックスのボードに,厚紙の縁をつけたものである.ボードの上を一枚の透明なカバー・シートが覆っていて,その上端がボードに固定されている.このカバー・シートは,固定されている部分を除いて,ボードから離れている.この小さな

  • イメージ,痕跡,行為の結びつき

    はじめに,マジック・メモとスケッチパッドとを論じるために,キャサリン・ハイルズの「刻み込みの技術」を参照したい.ハイルズは,『ライティング・マシーン』において,次のように「刻み込みの技術」について書いている. ここで,「刻み込みの技術」という言葉の意味をはっきりさせておこう.印刷されたにおいては,ページに記されている文字は明らかに刻み込まれたものである.なぜなら,それらは,紙の上にインクの痕跡として形を形成しているからである.コンピュータは,電極を変化させ,それらをバイナリコードと組み合わせることで,C++Java といった高級言語の命令を実行し,蛍光物質をブラウン管に光らせることができる.このことから,コンピュータもまた,刻み込みの技術を用いていると考えることができる.つまり,刻み込みの技術として考えられる装置は,痕跡として読むことができる物質的変化を引き起こさなければならないの

  • シンボルに補われたプレシンボリックな知能

    最近,マウスを掴んで,ディスプレイ上のカーソルを動かして,クリックする繰り返しが,チェスのようなゲームに思えてきている.座標を指定することの連続.単純な行為の繰り返し.でも,いろいろなことがそこでは起こっている.ディスプレイ上のイメージに,私たちはアフォーダンスを感じるのか? 感じさせるために,ボタンのイメージに影とかつけてもっともらしくしているが,私たちは当にそこにアフォーダンスを感じているのか.ただの座標指定にアフォーダンスなんて言葉は使えないのではないだろうか? ただチェスのようにコンピュータがディスプレイ上にこのような手を提示したから,こちらもそれに応えて次の手を打つということの繰り返しなのではないか.チェスや将棋が立体の駒をなぜ必要とするのか? 座標指定をするために,何か掴める物理的なものをヒトが欲したにすぎないと考えられる.ただ,駒を掴みたかっただけなで,掴むと安心なのではな

    massunnk
    massunnk 2009/12/14
    チェスの早指しの動画すごいな。。こんな速いのか。
  • 「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

    「環境知能」と言うとき,比較的欠けているなと思った視点は,身体や皮膚の感覚,あるいはシンボリックにいく前のサブシンボリックな知能なんです.どういう意味かというと,子供がおもちゃに対してインタラクトしているとき,そのおもちゃにどういう機能があるかなんていう表象を頭のなかにつくらなくても反射的に手を出しているわけです.あるいはそこにがあれば何となくページをめくっているとかね.そうした,ピアジェが言うところの,表象より前の段階の感覚運動知能みたいなものは,安全な言い方をすればそういう研究は将来必要となるでしょう,という言い方になるのですが,そんなことをいっているあいだに,近未来において粗暴なかたちで吹き出てくるんじゃないかなという気がしているんです.(pp.150-151)

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