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大塚英志と時間軸に関するmassunnkのブックマーク (1)

  • 小説トリッパー 2005年春季号 朝日新聞社 (感想その4『ああ、つまり問題の本質はそういうことであったのか!!』) 【▲→川俣晶の縁側→過去形 本の虫→感想編】

    p303 大塚英志 サブカルチャー/文学論 「教養小説のない時代を子供達が生きていることについて」 そもそもぼくが「歴史」の不在を嘆くような事態は、森元首相が戦後教育の弊害がホリエモンを運だと嘆くこと並の末転倒なのだということは承知しているが、例えば、これは森川嘉一郎との対話(『comic新現実』VOL.3)、でも感じたことなのだが、ある年代から下の書き手と関わっていて思うのは情報を時間軸に還元するのがひどく苦手だという印象である。情報と情報を結びつけようとするとカテゴライズすることはできでも、Aという現象があった結果Bが出現し、Cが同時代的に起きている、ということをそれなりのライターや物書きがうまく実感できない。 ここで、情報を時間軸に還元するという行為がコンテキスト性を獲得する行為であり、それが苦手ということは、コンテキスト性が希薄化されていることを意味することになります。私の解釈が

    massunnk
    massunnk 2007/08/04
    「寝屋川の少年が将来を過剰な固有名詞で埋めることしかできず、佐世保の少女がもはや『アン』に出会えなかった時代に今、子供達がある。ということは、彼らの前に成長の書式がない、ということである」
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