樫村愛子の『ネオリベラリズムの精神分析』は、哲学的リバタリアン?東浩紀の「動物化」を腑に落ちる説明をしてくれている。 [……]とりわけ「萌え」に象徴される現在の第三世代のオタクは、メタ物語(物語が意味するものについての物語、世界への問いをはらむような物語)への欲望はない。特に第三世代は目の前のバーチャル美少女への性的欲望に閉じている。実は、多少の警告を含みながら、むしろ現実を前提に議論しようとこの概念を提示している。 東のいう「動物性」は「本能的」という意味はない。彼は、二次元の美少女しか欲望しない、ある意味で生物学的に逸脱したケースを「動物的」「動物化」と呼んでいる。 人間は「本能の壊れた動物」であり、性は可塑的に形成されるので、最初から二次元に欲望するようにセットされれば、また、倒錯的と呼ばれる形式の性に最初から欲望するようにセットされれば、それは、精神分析が考えるような正常な欲望の補