著書『なぜケータイ小説は売れるのか』のあとがきで、本田透さんは、その大いなるイマジネーションの羽根を広げ、今の中学校、高校の教室の風景を、こう想像している。隣の席では、恋愛信仰にどっぷり浸かったクラスメイトの少女がケータイを使って『恋空』や『赤い糸』を読んでいる。その横で、自意識に目覚めてしまった少年は『涼宮ハルヒの憂鬱』(角川スニーカー文庫)などのライトノベルを読みながら、現実には存在しない学園、セックスやレイプや妊娠やドラッグに侵されていない学園を脳内に幻視する。 同じ教室にいる生徒が『赤い糸』と『涼宮ハルヒの憂鬱』とに分離している。そして、お互いをおそらくは敵視し、あるいは無視し、関わり合いにならないように自らのパーソナル・エリアを守りながら生き続けている。なるほど。旧態依然としたメディアのオッサン、オバサンがよく口にしがちな「若者の活字離れ」とやらが本当に進んでいるのなら、今、積極