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ブックマーク / surume.org (4)

  • 食毒から、魂の脱植民地化へ – surume blog

    トンネルを抜けると、当に雪国だった。 京都からの帰り道。二軒茶屋で開かれた「国際ボランティア学会」に出席すべく、金曜から京都に来ていたのだが、学会のラウンドテーブルが終わるや否や、夕刻5時半からの合気道のお稽古目指して、タクシーに駆け込み、国際会館→京都→名古屋→塩尻→甲府、と疾風怒濤の帰り道。昨日は遅くまで飲んでいて、新幹線で昼ご飯をべた後、乗り過ごさないためにメールを書いた後、名古屋からの「しなの」で爆睡。で、起きてみたら、外は真っ白なのである。あれまあ、びっくり。国内にいても、この気温差は疲れる。もちろん、先週香港に居たので、なおのこと。そりゃ、電車で爆睡したくもなります。 で、この旅で大きな収穫だったのは、「魂の脱植民地化」という言葉に出会えた事。阪大の深尾先生の研究発表の中で、環境問題も社会的な文脈のコンテキストの中で読み込まねばならない、という議論に興味を持ち、懇親会で質問

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    massunnk 2012/10/10
  • 原点回帰した連休 – surume blog

    この連休中は、ずっとブログの更新が出来なかった。毎朝午前中はブラウザを開くことも無く、ずっと原稿を書き続けていた。 東大の安富先生や阪大の深尾先生が主催される「魂の脱植民地化研究グループ」の皆さんが出される叢書の一つとして出してみませんか、というお誘いをうけた。実は、僕は共著や編著者の経験はあっても、単著は出した事がない。憧れに感じてはいたものの、まだまだ自分は勉強不足だし、先になる、と思っていた。ふつう、博士論文を単著にされる方もいるのだが、僕の博論は、その時点では満身創痍で提出し、何とか学位は頂いたけど、そのままで出せるものではなかった。自費出版してまで出す気にもなれず、またフィールド調査の新鮮みも失われてしまったので、結局、大学の紀要にまとめてそれでオシマイ、になっていた。 あれから10年弱。そろそろ、自分の言いたいことも溜まってきた。ブログでこうしてずっと書き続けているが、やはり一

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    massunnk 2012/05/08
  • アクチュアルな「論語」の「知」 (連作その3) – surume blog

    安冨先生の『生きるための論語』(筑摩新書)によると、論語に出てくる基的用語である「知」とは「自己言及的表現」(p36)であるという。これはどういうことかというと、「『知る/知らない』という状態よりも、世界への認識の枠組みを遷移させる学習過程としての『知』」(p43)であるといい、それは「運動」でもある、という。これは、最近になってすごくよくわかる。 受験勉強などの「詰め込み型」の知識であれば、単に「知らないことを覚える」という形での「知」であった。そこにはワクワクやドキドキなどが伴わないので、僕はついつい読書やラジオに走ってしまった。(ネットがあったら絶対勉強しなかっただろうから、受験生時代にネットがなくて当に良かったと思っている)。だが、受験勉強が終わった後、特に「知る」ことより、「知らなかった」ことに気づける事に、すごく嬉しさを感じる。興味の無いものには、そもそも「知りたい」という

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    massunnk 2012/04/07
    (知/不知)→知
  • 地域包括ケアに求められる動的ダイナミズム – surume blog

    街おこしや地域の再生、を考える際、無から有を生み出す、という意味での「創発」との関連性が高い。そして、この「創発」に関しては、最近やりとりをさせて頂いている東京大学の安冨歩先生のから学ぶことは多い。先生の著作に刺激を受けて、ノーマライゼーションの原理と創発をつなげた論文「ボランタリーアクションの未来」を書き上げたくらいだ。 最近、このブログでは地域包括ケアについて色々考え続けているが、その中で気になって、安冨先生の『経済学の船出』、『複雑さを生きる』を相次いで読み直していた。その中で、残念ながら今、品切れになってしまっている『複雑さを生きる』の中に、地域包括ケアを考える際の重要な視点がある事に、改めて気づいた。その事を長々と今から書くのだが、一言で言えば、

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    massunnk 2012/03/23
    「市場だけが人間を疎外するのではない。共同体も家族も人間を疎外する。問題は『紐帯』があるかないかではない。人々が相互に学習過程を開いた形でコミュニケーションを形成できるかどうかである。」
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