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ツンデレと萌え論に関するnisoku2のブックマーク (2)

  • ツンデレ覚え書き - credo ut intelligam

    唐突にツンデレについて語ってみる。 といっても、ツンデレという概念そのものや定義について語る気はないので悪しからず。ただの独り言です。 私は一般にツンデレと称されている人格的側面を嫌ってはいない。 だが、巷に溢れるツンデレキャラは総じて嫌いである。 何故かと思案していたのだが、漸く一つの結論に達した。 一言で言えば、ツンデレという概念が<構造>としてあるなら一向に構わないのだが、それが「制度」と化した時に、嫌悪の対象へと私の中で変化してしまうのだ、ということに最近気付いた。 過去も現在も恐らく未来も、ツンデレという人格的側面は存在し続けるだろう。ただ、過去においてはそれが潜在的な<構造>の中で成立していたのだが、現在及び未来においてツンデレという概念は制度化してしまっている。 つまり、ツンデレキャラというものは過去において無自覚的な構造の中で派生した人格的側面における一部の強調であるのに対

    ツンデレ覚え書き - credo ut intelligam
    nisoku2
    nisoku2 2006/08/23
    「現在において、...ツンデレキャラは「創られた」人格として自覚的な制度の中で人造されたものとなっているのである。制度として抽象化、固定化された概念から、フレキシブルな「人間」を演繹することは出来ない。」
  • うさ道 - ツンデレは現実には存在し得ない

    より正確に言えば「現実にはツンデレと付き合うことはできない」というあたりになるでしょうか。なんにせよ現実の我々は、ある人がツンデレであるかどうかは、少なくともその相手と付き合うようになるまで判断することができません。なぜなら、ツンデレには「見た目はツン状態であるにもかかわらず、相手が自分に好意を持っている、という認識」が必要不可欠だからです。 たとえば、ツンデレの典型的なパターンとして挙げられる「べ、別にあんたのことなんて何とも思ってないんだからね!」という台詞。実際にこの台詞を言われたとき、その裏に好意が隠されていることに気づく人はまずいないでしょう。むしろ額面通りに「俺のこと何とも思ってないのか」と思うはずです。 仮に好意めいたものを感じ取ったとしても、せいぜい「もしかしたらこいつ俺に気があるのかも」くらいでしょう。「なるほど、この台詞は照れ隠しなんだなふふふかわいい奴め」などと考える

    うさ道 - ツンデレは現実には存在し得ない
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