並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 40 件 / 261件

新着順 人気順

誤謬の検索結果1 - 40 件 / 261件

  • 光の道、その誤謬と、必死なのはなぜの話 | 無線にゃん

    ソフトバンクが光の道はA案かB案か、なんていう広告を大量に出しているにゃん。WEB広告くらいかと思ったら、TVCMまで出しているにゃん。ここまで必死にやるには、裏には相当困っていることが起きているんだろうにゃぁ、と言うところで、いろいろな情報もでてきたので、簡単にまとめ。 まず、ソフトバンクの言っている「A案」「B案」について。A案は光が5000円で地方切捨て、整備も遅い、といい、B案は光が1000円ちょいで地方も全部整備で整備も早い、と広告しているにゃん。まずどう考えてもこの二つが比較になっていない、と言うことに気づきますにゃ。 だって、この情報だけでは、B案以外に選択肢が無いじゃないですかにゃ。それ以外に全く差が無く、この条件だけしかないのであれば、だれが考えてもB案になりますにゃ。しかし国はA案を選択し、ソフトバンク以外のすべての事業者がA案に同意している。これはおかしなことだにゃん

    • Let's encryptとSSL/TLSに関する誤謬 - Chienomi

      全く以て意味不明な誤謬がはびこっていた上に、やたら上から目線だったので、消火しておこうと思う。 そもそもSSL, TLSとは何か SSL/TLSは暗号化技術である。 SSL/TLSのデータ通信自体は対称暗号である。ただし、暗号化に利用する暗号鍵は使い捨てる。 Cipherはかなり色々使えるのだけど、だいたいはTriple DES (3DES)かAESが使われる。 その手順は <- HelloRequest -> ClientHello <- ServerHello <- ServerCertificate <- ServerKeyExchange <- ServerHelloDone -> ClientKeyExchange -> Finished -> ChangeCipherSpec <- Finished <- ChangeChiperSpec <-> Application Dat

      • プログラマの抱いている名前についての誤謬

        パトリック・ミッケンジー(Patrick McKenzie)さんのブログ・エントリ、 “Falsehoods Programmers Believe About Names” の日本語訳です。翻訳の公開を快諾してくださったミッケンジーさんに感謝します。 公開: 2012-02-22 Posted on June 17, 2010 by Patrick きょう、ジョン・グレアム゠カミング(John Graham-Cumming)が、正しくない文字が含まれているといって彼のラスト・ネームを受け付けないコンピュータ・システムへの不満の記事を書いていた。もちろん彼の名前に「正しくない」ところなどない。当人の申し出たものが当人を識別するものとしては相応しいのであって、定義からして名前とはそういうものである。このことにジョンは当然ながらいらだったし、そうなるのもきわめて正当なことだ。定義からすれば事実

        • たった1つの自分が経験した例から他の人にも適用できると思い込んで主語が巨大化し一般化してしまう「典型的な心の誤謬」

          自分が経験したことは他の誰もが経験していて、自分が理解できることは他の人も理解できると考えてしまう人は少なからず存在します。こうした人間の認知のゆがみについて、認知バイアスや心理学に焦点を当てたフォーラムサイト・LessWrongにコラムが投稿されました。 Generalizing From One Example — LessWrong https://www.lesswrong.com/posts/baTWMegR42PAsH9qJ/generalizing-from-one-example 1800年代後半、「想像力」という言葉の定義についての議論がありました。人は頭の中で実際に鮮明に見えるイメージを作り出せるのか、それとも単に比喩として「頭の中で見た」と言うのか、こうした点について盛んに意見のぶつかり合いが起こっていました。 もちろん人間には心象風景というものがあり、頭の中でイメー

            たった1つの自分が経験した例から他の人にも適用できると思い込んで主語が巨大化し一般化してしまう「典型的な心の誤謬」
          • 詭弁と誤謬推理に気をつけよう(1) 宇崎ちゃんポスターの場合 (宇崎ちゃん問題(1)) | 江口某の不如意研究室

            『宇崎ちゃんは遊びたい』とコラボした献血ポスターについて、フェミニストの牟田和恵先生が、各自治体のガイドラインを示して、ポスターはガイドラインに反した性差別であると主張しています。それに対してはすでによい論評がいくつか出ているので [1]「「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵は過度に性的なのか?」「宇崎ちゃんを採用した赤十字は現実的」 私が書くべきことはほとんどないのですが、一つ、大学での教育的な点から書いておきたいことがあります。これは続きものになるかもしれない。 ゲンダイの文章は改ページが多くて見通しが悪いので、冒頭から、途中の、ガイドラインに反しているのは明らかだと主張しているところまで引用しましょう。 日本赤十字社が献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターがネット上で論議を呼んだ。今回使われたのは写真の通り、幼い表情で、巨大といってもいいような乳房

            • JASRACがアーティストから搾取しているという誤謬 - P2Pとかその辺のお話@はてな

              アーティストはJASRACから搾取されている、という批判をよく耳にするけれど、かなり違和感を覚えたりする。その第一の理由としては、JASRACとアーティストが直接著作権の信託契約を結んでいることはほとんどないということ。他によく耳にする批判として、JASRACが音楽の流通を阻害しているのだ、JASRACはアーティストの敵だ、という感じのものがあるのだけれど*1、音楽配信やネットラジオで音楽の利用がうまく進まず、それによって利益が生み出されない状況はアーティストの不利益でもあるとは思っているものの、それが主としてJASRACのせいだとは思えないんだよね。この辺のことを考える上では、JASRACの管理する音楽著作権と、JASRACの管理していない著作隣接権を分けて考える必要がある。 音楽著作権と隣接権の問題って、作詞作曲者とマネジメントとの契約、演奏者とマネジメントとの契約、マネジメントと著作

                JASRACがアーティストから搾取しているという誤謬 - P2Pとかその辺のお話@はてな
              • 「政治的な意志表示はデモでなく選挙でやれ」という誤謬について 《山崎雅弘》

                山崎 雅弘 @mas__yamazaki ジョンソン米大統領に、米国における黒人差別解消への一歩となる「公民権法」署名を決断させた理由の一つは、首都ワシントンDCなどで行われた「デモ」だった。民主主義国の政策がデモで変わることは何も珍しくないが、日本では「デモで政策を変えてはいけない」と意味不明の言葉を叫ぶ政治家がいる。 山崎 雅弘 @mas__yamazaki 「デモで政策を変えてはいけない」という一部政治家の決めつけは、民主主義の本来の理念とは何の整合性もないが、嘘もつき続ければ事実として通用するという悪弊を踏襲するかのように、同じ台詞を何度も何度も繰り返し、日本式民主主義しか知らない日本人に「そうなのか」と信じ込ませようとしている。 山崎 雅弘 @mas__yamazaki 「デモで政策を変えてはいけない」という一部政治家の決めつけは、自国民に「フルスペックの民主主義」を許さず、引き

                  「政治的な意志表示はデモでなく選挙でやれ」という誤謬について 《山崎雅弘》
                • 山本直樹 on Twitter: "全く違います。僕らが一方的に宮崎さんが圧倒的画力で描く美少女(ナウシカ)に憧れていた。それだけです。受け手の側の論理だけで考えるとこのような誤謬が起きるのかな? https://t.co/QS6AR5SOwz"

                  全く違います。僕らが一方的に宮崎さんが圧倒的画力で描く美少女(ナウシカ)に憧れていた。それだけです。受け手の側の論理だけで考えるとこのような誤謬が起きるのかな? https://t.co/QS6AR5SOwz

                    山本直樹 on Twitter: "全く違います。僕らが一方的に宮崎さんが圧倒的画力で描く美少女(ナウシカ)に憧れていた。それだけです。受け手の側の論理だけで考えるとこのような誤謬が起きるのかな? https://t.co/QS6AR5SOwz"
                  • 大人になってからの勉強は楽しい← 典型的な誤謬

                    「大人になってからは、楽しいと感じられることしか勉強しなくなる」←正解 よく「子供に親が勉強してる姿を見せることで勉強を促す」っていうのあるんですけど、あれって大抵の場合はやりたい勉強やってるだけなのを子供は見破ってるんですよ。 やらないよりはマシなんですけど、子供からすると「やりたいからやってる勉強でいいなら、俺もポケモンの勉強ならしてるんだが?学校の勉強やりたくないが?」で終わりがちなんです。 なので理想形は、 親が、 やりたくないことを勉強して、 それを嫌々ながらに頑張ったことで、 実益を手にする。 になりますね。 これはもう本当に花丸満点です。 まあもっと理想的なのは、 子供が、 やりたいことだけ勉強して、 将来の天職につける。 ですね。 これはもう120点ですね。 こんなものを望んでイライラしても馬鹿過ぎるのでこっちは諦めた方がいいっす。

                      大人になってからの勉強は楽しい← 典型的な誤謬
                    • 誤謬 - Wikipedia

                      論理学における誤謬(ごびゅう、英: fallacy[注 1])とは、誤った推論のことである。平易には「論理の飛躍」などと表現される。誤謬には「形式的」なものと「非形式的」なものがある。論理学やその周辺分野では、結論の正否を問わず「誤謬」という。意図的な誤謬は「詭弁」という。 概説[編集] アリストテレスのころから、非形式的誤謬はその間違いの根源がどこにあるかによっていくつかに分類されてきた。「関連性の誤謬」、「推論に関する誤謬」、「曖昧さによる誤謬」などがある。同様の誤謬の分類は議論学によってももたらされている[2]。議論学では、論証(論争)は合意を形成するための個人間の対話プロトコルとみなされる。このプロトコルには守るべきルールがあり、それを破ったときに誤謬が生まれる。以下に挙げる誤謬の多くは、このような意味で理解可能である。[要出典] 個々の論証における誤謬を認識することは難しい。とい

                        誤謬 - Wikipedia
                      • 「送検=起訴見込み」という誤謬―PC遠隔操作事件・5か月目の報道検証(中)(楊井人文) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                        6月21日、PC遠隔操作事件の第2回公判前整理手続後に行われた弁護側記者会見。その最終盤で、「送検」を「起訴見込み」を勘違いしたとみられる記者が、弁護側にたしなめられるシーンがあった。6月10日に「最後の追送検」がなされたことを前提に、今後の保釈請求に関する質問で、次のようなやり取りだった(引用中、「佐藤」は佐藤博史弁護士、「木谷」は木谷明弁護士。敬称略)。 記者「追起訴されたら即日(保釈請求を)出す、それでいいんですか?」 佐藤「え、どういう意味です?追起訴ってどういう・・・?」 記者「最終的に追起訴された場合、いま追送検されている部分について追起訴されるのではないかと考えられるわけですが…」 佐藤「そう思ってるわけですか?」 記者「まあ、じゃないと…だったら追送検しないでしょ」 佐藤「いやいや、あのね、それは必ずしも、みなさん…」 記者「それは僕の考えなので、あまり意味はないんですけど

                          「送検=起訴見込み」という誤謬―PC遠隔操作事件・5か月目の報道検証(中)(楊井人文) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                        • リベラルが大好きな「多重質問の誤謬」「複問の虚偽」の悪質さはよくよく理解しておこう|よしき

                          たとえば「あなたはまだ妻を虐待しているのか?」といった質問がある。この質問に対しては「はい」と答えようが「いいえ」と答えようが、「あなた」には妻がいて過去に虐待したことがあるということを認めたことになる。つまりこれらの事実が質問の「前提」とされたため、相手は多重質問の誤謬の罠にかけられ、一つの答えしかできない状況に追い込まれる。質問者は修辞的にこのような質問を行い、特に返答を期待していないことが多い ところが、まんまとこれに引っかかっている人が多い。 この質問に対しても、上のロジックがわかっていれば「お前はアホである。前提が間違っているから質問からやり直せ」というべきである。 さすがに人気コメントは「増田がアホなだけである」と指摘できている neogratche 皆さん、これが所謂「projection」というものですよ。増田本人が性欲ひけらかす無恥者、という事です。しっかり覚えていってく

                            リベラルが大好きな「多重質問の誤謬」「複問の虚偽」の悪質さはよくよく理解しておこう|よしき
                          • 合成の誤謬 - Wikipedia

                            合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、英: fallacy of composition)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語[1]。 解説[編集] 何かの問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行したことで想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す[1]。 例えば、家計の貯蓄などがこれに当たる[1]。所得が一定の場合、一家計が消費を削減した場合、必ず貯蓄額が増加する。これはミクロの視点において、一家計の支出削減は経済全体に影響せず、その家計の収入を減少させる効果はないと考えられているためである。そのため所与の収入において支出を削減すれば貯蓄額が増加する。 しかし、マクロの視点まで考えると状況が変わる。先に結論から述べると、ある経済に属するすべて

                            • リフレ派の「(もう大して)経済成長しない」への反応にある誤謬

                              社会福祉士で社会運動家の藤田孝典氏が、過去データから「(もう大して)経済成長しない」と言ったのに*1、リフレ派の皆さんが色々と文句をつけている。経済成長の余地が小さいので、低成長を前提に政策を考えましょうと言うのが、なかなかリフレ派には受け入れ難いようだ。「経済成長をしなければ皆が貧しく不幸になる」と言うような批判している。しかし、これはひどい誤読である。 1. 経済成長率≠生活水準 具体的には「今の我々の生活は経済成長の賜物だ。経済成長がなければ、教育や娯楽もなく、疫病や災害で大量死し、職業も住む場所も服すら選べず、飢え死にや人身売買が当たり前になる」と非難しているジャーナリストがいたのだが、最初の文はともかく、続く文は論理的におかしい。経済成長は差分だ。経済成長によって生活が豊かになるのはそうであるが、経済成長が無くてもマイナス成長でなければ生活水準は下がらない。 2. 経済成長しない

                                リフレ派の「(もう大して)経済成長しない」への反応にある誤謬
                              • CSS設計における、すべてがコンポーネントであるという誤謬

                                後日追記: WEB+DB PRESS Vol.133でさらに詳しく書いた。 BEMによってもたらされた、コンポーネントベースのアプローチでは、「ページはコンポーネントの集合によって表現されるべきであり、ページに含まれるのはすべてがコンポーネントである」と考える。しかしこれまでCSSを書いてきた経験から、これではデザイン意図をまともに表現することができないと感じ始めた。なぜなら、普通デザイナーはページのすべてがコンポーネントであるとは考えないからだ。 もちろんページの構成要素のなかには、明らかにそれが「コンポーネント」であると意識して作られたものもある。ただしそれは一部であり、全部ではない。「コンポーネントもあれば、コンポーネントではないものもある」という感覚のほうが普通なのだ。 典型的なUIライブラリにある、「ザ・コンポーネント」みたいなものだけではページは完成しない。例として、一貫してB

                                  CSS設計における、すべてがコンポーネントであるという誤謬
                                • 山崎 雅弘 on Twitter: "単純に考えれば子どもでもわかる話だと思うが、決定権を持つリーダーの無能力と誤判断が原因で状況が悪化の一途をたどっている時、「今は非常時だからリーダーを批判している時ではない」「皆で団結してリーダーに従おう」というのは愚かすぎる思考形態。しかし日本では昔からこの種の誤謬に滅法弱い。"

                                  単純に考えれば子どもでもわかる話だと思うが、決定権を持つリーダーの無能力と誤判断が原因で状況が悪化の一途をたどっている時、「今は非常時だからリーダーを批判している時ではない」「皆で団結してリーダーに従おう」というのは愚かすぎる思考形態。しかし日本では昔からこの種の誤謬に滅法弱い。

                                    山崎 雅弘 on Twitter: "単純に考えれば子どもでもわかる話だと思うが、決定権を持つリーダーの無能力と誤判断が原因で状況が悪化の一途をたどっている時、「今は非常時だからリーダーを批判している時ではない」「皆で団結してリーダーに従おう」というのは愚かすぎる思考形態。しかし日本では昔からこの種の誤謬に滅法弱い。"
                                  • 『誤謬論入門 優れた議論の実践ガイド』を読んだ - こまぶろ

                                    3月に発売されたばかりの『誤謬論入門 優れた議論の実践ガイド』(原題:Attacking Faulty Reasoning)*1を読んだ。 誤謬論入門 優れた議論の実践ガイド 作者:T・エドワード・デイマー九夏社Amazon 原書は、非形式論理学・クリティカルシンキングの教科書として使われているもので、初版が1980年、今回の翻訳の底本となっている第7版が2013年の出版と、帯に謳われている通りの「ロングセラー」本のようである。 自分はこの分野が専門だったわけでもないのだが、論理学には学生時代少し興味があったし、どうすれば議論を実りのあるもの、平行線を辿らずに済むものにできるかということを意識する機会も多いので、この翻訳本の紹介を見てすぐ予約購入した。 「前件否定の誤謬」や「規範的前提の欠如の誤謬」といった「論理学らしい」誤謬のほかに、「藁人形論法」や「お前だって論法」といったTwitte

                                      『誤謬論入門 優れた議論の実践ガイド』を読んだ - こまぶろ
                                    • 人質の命を救うことを最優先しなければならない 身代金に関する4つの誤謬 - アダム・ドルニック教授 -Nコメ 無料放送

                                      オーストラリアのウーロンゴン大学の教授で国際テロの専門家として知られるアダム・ドルニック教授が、2015年1月13日付けの国際政治誌「フォーリン・アフェアーズ」のオンライン版に、「身代金に関する4つの誤謬」と題する論文を寄稿している。テロリストによる人質問題と身代金に関する一考察として注目に値すると思われるので、ここで簡単に紹介したい。 人質解放交渉などに関わった経験を持つドルニック教授は、「政府は身代金を支払ってでも自国民の人質を助け出さなければならない」と主張する。そして、人質事件における身代金の位置づけや「テロには屈しない(no concessions)」政策の持つ意味については、大きな誤解があるとして、その中でも代表的な4つの誤謬を紹介している。 まず最初の誤謬として「テロには屈しない」(no concessions)(=身代金は払わない)を掲げる政府が、一切の交渉をしていないと考

                                        人質の命を救うことを最優先しなければならない 身代金に関する4つの誤謬 - アダム・ドルニック教授 -Nコメ 無料放送
                                      • アジャイルは二度死ぬ(Agile Only Live Twice)その1:トム・デマルコ氏の蹉跌とその誤謬 | AnyProjecTa! プロジェクト・マネジメントに関する情報ポータル

                                        Home » headline, プロジェクト・マネジメントを考える。 アジャイルは二度死ぬ(Agile Only Live Twice)その1:トム・デマルコ氏の蹉跌とその誤謬 アジャイルの隆盛 WEBの世界の中で、日々ITに関する情報を集めていると、アジャイル開発がシステム開発の完全なる主流になった気になってしまいます。偏った情報収集をしているせいだ、といわれればそれまでですが、WEB/ベンチャー業界・SIer業界・企業IT部門/IT子会社界・オープンソース界全てを通じて、Blogなどで声の大きい方々は多かれ少なかれ『アジャイル』という考えに肩入れしているように感じられます。 当然、世の中の流れが全てそうなっているかというと、そういうわけでは無さそうです。WEB/ベンチャー業界や、オープンソース界では、ほぼメインストリームとなっていると思いますが、SIer業界・企業IT部門/IT子会

                                        • プログラマの抱いている名前についての誤謬

                                          パトリック・ミッケンジー(Patrick McKenzie)さんのブログ・エントリ、 “Falsehoods Programmers Believe About Names” の日本語訳です。翻訳の公開を快諾してくださったミッケンジーさんに感謝します。 公開: 2012-02-22 Posted on June 17, 2010 by Patrick きょう、ジョン・グレアム゠カミング(John Graham-Cumming)が、正しくない文字が含まれているといって彼のラスト・ネームを受け付けないコンピュータ・システムへの不満の記事を書いていた。もちろん彼の名前に「正しくない」ところなどない。当人の申し出たものが当人を識別するものとしては相応しいのであって、定義からして名前とはそういうものである。このことにジョンは当然ながらいらだったし、そうなるのもきわめて正当なことだ。定義からすれば事実

                                          • マーケットから見た「リフレ派」の誤謬 - よそ行きの妄想

                                            はっきり言って、我々マーケットサイドに言わせると経済学なんていうものはただのそびえたつクソのようなもので、マーケットの動きを予想したりするには何の役にも立たない*1わけですね。マーケットを読む上で大事なのは科学や工学ではありません。雰囲気です。マーケットとの対話とかよく言いますね。あれです。 ということで、今巷で話題の「リフレ派」なる方々(以下単に「リフレ派」と言います。)の主張についてここ数日でお勉強させていただいたので、頭書のようなマーケット寄りの視点からひとこと言わせていただきたいと思います。 結論から言うとリフレ派が主張する政策を実行すると、国債及び円は投げ売られ、日本経済は再起不能になると思います。というかそういうリスクが高い政策と思います。順に説明します。 「リフレ派」の主張 私が観測した限りにおいて、リフレ派の主張は大体以下の通りです。ですので、ここが間違っていたら意味ないの

                                              マーケットから見た「リフレ派」の誤謬 - よそ行きの妄想
                                            • 「最近の若者は内向きだ」仮説の誤謬 - My Life After MIT Sloan

                                              最近の若者は、海外などに興味が無い「内向き」志向になっていると、ことあるごとに取り上げられるが、これは本当だろうか?もっとも私は学校などで定点観測をしているわけではないので、全体の傾向は分からないが、マスコミなどで「昔より若者が内向き」の根拠としていることには非常に違和感を感じる。二極化はしているが、感覚的にも論理的にも、今の20代、30代のほうが平均的にずっとグローバル化に柔軟に対応しているように思える。 マスコミでよく「昔より若者が内向き」の根拠として挙げられる次の三つ。 -最近の若者は安定就職を目指すから、留学などの冒険をしない -日本から海外に留学する人が減っている -最近の若者は、海外赴任をしたがらない せっかくなので、一つ一つについて、私なりに誤謬を指摘してみようかと思う。 1)「最近の若者は安定就職を目指すから、留学などの冒険をしない」のではなく「企業の採用活動が余りに硬直化

                                                「最近の若者は内向きだ」仮説の誤謬 - My Life After MIT Sloan
                                              • 『資本主義が嫌いな人のための経済学』の誤謬? - 清く正しく小賢しく

                                                『資本主義が嫌いな人のための経済学』の誤謬(「『反逆の神話』の誤謬」補遺) - ラビットホール note.com という記事についてコメントする。この記事は、『資本主義が嫌いな人のための経済学』の内容を引用しながら、何が間違っているかを指摘している。本記事では、そうした指摘の中で誤読に基づいていると思われる点や、十分な根拠がなさそうな点を取り上げていく。 本題に入る前にいくつか注意点。 本記事は、ラビットホールさんの指摘の中で誤読に基づいている点を取り上げるものだ。総合的に判断して最終的に「『資本主義が嫌いな人のための経済学』は誤りを多く含んでおり入門書として不適切」といった結論になる可能性は排除しない。が、少なくともラビットホールさんが記事で行っているような指摘を根拠にそのように結論づけることは難しいだろう、ということは示したいと思っている*1。 ラビットホールさんの記事で指摘内容を掴み

                                                  『資本主義が嫌いな人のための経済学』の誤謬? - 清く正しく小賢しく
                                                • 多重質問の誤謬 - Wikipedia

                                                  多重質問の誤謬(たじゅうしつもんのごびゅう、英: loaded question, complex question fallacy)は誤謬の一つである。「多問の虚偽」[1]や「複問の虚偽」[2]とも。 多重質問(たじゅうしつもん、英: complex question, trick question, multiple question, 羅: plurium interrogationum)は、議論に関わる人々が受け入れていない、あるいは証明されていない前提に基づく質問。多重尋問(たじゅうじんもん)とも。それに起因する誤謬を多重質問の誤謬という[3] 。たとえば「あなたはまだ妻を虐待しているのか?」といった質問がある。この質問に対しては「はい」と答えようが「いいえ」と答えようが、「あなた」には妻がいて過去に虐待したことがあるということを認めたことになる。つまりこれらの事実が質問の「前提

                                                  • Podoro on Twitter: "批判、指摘された時に、「そっちこそ◯◯」「じゃ◯◯はどうなんだ」と返す論法は”Whataboutism”(そっちこそどうなんだ主義)と呼ばれ、相手や他人の批判に話をすり替えることで論点に直接答えることから逃げる論理的誤謬で、ソ連の… https://t.co/JKldBKfq23"

                                                    批判、指摘された時に、「そっちこそ◯◯」「じゃ◯◯はどうなんだ」と返す論法は”Whataboutism”(そっちこそどうなんだ主義)と呼ばれ、相手や他人の批判に話をすり替えることで論点に直接答えることから逃げる論理的誤謬で、ソ連の… https://t.co/JKldBKfq23

                                                      Podoro on Twitter: "批判、指摘された時に、「そっちこそ◯◯」「じゃ◯◯はどうなんだ」と返す論法は”Whataboutism”(そっちこそどうなんだ主義)と呼ばれ、相手や他人の批判に話をすり替えることで論点に直接答えることから逃げる論理的誤謬で、ソ連の… https://t.co/JKldBKfq23"
                                                    • Daily Life:生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか

                                                      July 16, 2020 生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか 最近発表された人間行動進化学会の声明の中で、「自然主義的誤謬」という哲学由来の概念が使われていた。 そこでは、自然主義的誤謬が、「「自然の状態」を「あるべき状態だ」もしくは「望ましい状態だ」とする自然主義的誤謬と呼ばれる「間違い」」という言い方で紹介されている。これを倫理学者が聞いたなら「いや、自然主義的誤謬はそういう意味じゃないんだけどなあ」と言いたくなるところであろう。しかし、進化生物学者と「自然主義的誤謬」という概念の付き合いはかなり長く、それなりの経緯がある。本稿の目的はとりあえずその経緯を追うことで、「自然主義的誤謬」という概念の適切な用法とはなんだろうかということを考えることである。 最初に断っておくが、本稿はいかなる意味でも体系的なサーベイとはなっていない。どちらかといえば、目立つ事例いくつかをつ

                                                      • 伽藍の誤謬と戦局眼 - レジデント初期研修用資料

                                                        2002年、ペンタゴンは、冷戦終結以降、最大規模の軍事作戦演習を行った。イランへの攻撃を想定した、「ミレニアムチャレンジ」と名付けられたこの演習は、情報化、ネットワーク化の行き届いた、最新装備の米軍が無敵であることを証明するための演習だったはずなのに、時代おくれの装備を与えられた「仮想イラン」軍に、「仮想米軍」は歯がたたなかった。 ポール・バン・ライパー退役中将が率いた「仮想イラン」軍は、ことごとく米軍の行く手を遮ることに成功した。 ペルシャ湾岸に入った米艦隊は、イラン軍の自爆船、対艦巡航ミサイルによる攻撃を受け、米戦艦のほぼ半数が沈められるか、作戦遂行ができない状態に追い込まれた。これはパール・ハーバー以来の大失態だった。 情報の伽藍に圧倒される 「第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい」という本に登場するこのエピソードの主役、ポール・ヴァン・ライパー退役海兵隊中将がどうして強か

                                                        • 相手を議論で打ち負かそうとする人が良く使う20の誤まった論法(誤謬:ごびゅう) : カラパイア

                                                          人は自分が議論に負けそうになると、誤謬(ごびゅう)と呼ばれる間違った論証を持ち出して屁理屈をこねる。 意図的であれ、無意識であれ、これをやると論理的な議論がただの幼稚な口喧嘩に変わってしまう。ネット上では、誤謬に凝り固まっている人たちがその自覚のないままに、喧嘩をふっかけたり、コメントを書き込んでくることが多い。 もし自分がそうした議論をふっかけられた時の対処法として、一般的に使われる論理の誤りを知っておくといい。 サンフランシスコを拠点とするイラストレーター、ローガン・マーフィーは、誤謬に対抗する対策として、わかりやすい20のイラストを作成した。

                                                            相手を議論で打ち負かそうとする人が良く使う20の誤まった論法(誤謬:ごびゅう) : カラパイア
                                                          • 疑似科学評定用の誤謬一覧で科学哲学入門レポートテーマ具体例〜プロパガンダと詭弁の意味まとめ

                                                            疑似科学評定用の誤謬一覧で科学哲学入門 〜詭弁のプロパガンダ技術一覧〜レポートテーマ具体例〜 暁 美焔(Xiao Meiyan) 社会学研究家, 2021.2.6 祝3.5版完成! 「認知バイアス一覧で社会心理学入門」はこちら 疑似科学を生み出すのは人間の思考が本来持っている誤りやすい傾向である。 それ故に科学と疑似科学の「線引き問題」を判断するためには、哲学や心理学の知識は避けて通れない。 ここでは人間の誤りやすい傾向について、英語版の誤謬一覧に基づいて、人類の英知である「科学哲学」の偉大なる成果を紹介する。 ここに紹介する知識は知っておくだけで人生に役立つ知識である事に間違いない。 これらの概念を紹介する日本語のウェブサイトを探すのが難しい事自体が、日本人が「ロジカル・シンキング」をしていない事の証明であろう。 これまで科学哲学とは縁の無かった科学技術系の人達が、少しでも科学哲学に興味

                                                            • 「ミスコン潰し」フェミニストの詭弁と誤謬 - 特に意味はない

                                                              ミスコン潰しの正当性を主張する以下のエントリが話題になっていた。 anond.hatelabo.jp いろいろ突っ込みどころが多かったが、以下では一つのポイントに絞って反駁していく。 元記事の主張まとめ まず上記エントリの主張は以下のような構造になっている。 美に絶対的基準などない。人それぞれ美の基準が存在してよいはずだ。 ミスコンは「既存の基準」を推し進めている。よって存在してはならない。 つまり「色々な美の基準があってよい、だがミスコン審査員の基準、テメーはダメだ」ということだ。 なぜこのような矛盾が起きるのか? 主張1はまあ正しいと言っていいだろう。美の絶対的な審判者などそもそも存在しないことは自明である(心理学的・統計的に言えば先天的な基準も恐らく存在するだろうが)。 そして主張2も前半は正しい。ミスコンを開催することで、ある種の価値観が(微小ではあれ)広められる可能性は存在するだ

                                                                「ミスコン潰し」フェミニストの詭弁と誤謬 - 特に意味はない
                                                              • ウィキペディアの「誤謬」(ごびゅう)の解説がすばらしい - モジログ

                                                                経済学の「合成の誤謬」などで知られる「誤謬」(ごびゅう)。 日常生活や話し言葉ではほとんど使わないこの「誤謬」(ごびゅう)だが、ウィキペディアの解説が実にすばらしい。 ウィキペディア - 誤謬 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC <誤謬(ごびゅう、英: Fallacy)とは、論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。論証において、誤謬には「形式的」なものと「非形式的」なものがある>。 面白いのは、このページの「非形式的誤謬」のところにある例だ。「非形式的誤謬」とは、大雑把にいえば自然言語(日本語や英語などの、いわゆる言語)による誤謬のこと。ここには、そのいろいろなパターンが集められている。以下、いくつか抜粋。 ・例外の撲滅 - 例外を無視した一般化を元に論旨を展開すること。「ナイフで人

                                                                • 分散プロジェクトの誤謬 - steps to phantasien t(2008-02-26)

                                                                  タネン本を始めとする分散システムの教科書で必ずとりあげられる話題に "分散コンピューティングの誤謬" がある. 以下 Wikipedia から引用. ネットワークは信頼できる. レイテンシはゼロである. 帯域幅は無限である. ネットワークはセキュアである. ネットワーク構成は変化せず一定である. 管理者は一人である. トランスポートコストはゼロである. ネットワークは均質である. ネットワークプログラミングをしたことがあれば, いずれも該当のバグに思いあたる節があると思う. これらはみな複数台の計算機が関わる際の問題であり, いわばコミュニケーションの問題. 同じ問題は計算機同士に限らず, 人と人の間, 組織の間でもおこる. 順番に例を並べてみる. <伝言や連絡は信頼できる> : できない(よね?) ミーティングには欠席者がいる. 後輩は話を聞いてない. メモもとらない. メールはスパムに

                                                                  • 合成の誤謬が招く就活の悪循環:日経ビジネスオンライン

                                                                    「就活問題がこれほど深刻化したのは就活の三大プレーヤーである学生、大学、企業の皆さんがそれぞれ、『互いに変わらない』という前提に立ち、合成の誤謬による悪循環を起こしてきたからです」。10月31日、都内の慶應義塾大学で開かれた「リアル熟議・今、就活のあり方を問い直す」というイベントで鈴木寛文部科学副大臣はこう挨拶した。学生や企業、大学関係者ら70人が集まったこの会合において、鈴木さんは具体的には説明しなかったが、この言葉は「歪んだ就活」を簡潔に表現していると思う。 どういうことか。私なりの解説を加えよう。 企業は優秀な人材を他社より早く確保するため採用活動を前倒ししている。しかも「採用選考では勉強よりも熱意や積極性を重視している」というメッセージを学生に送り続けている。 ↓ 学生は勉強(就活が始まる3年生は学問・研究にエンジンをかける最も重要な時期)よりも就活を優先 ↓ 学生が授業に出ない、

                                                                      合成の誤謬が招く就活の悪循環:日経ビジネスオンライン
                                                                    • 「2冊目の本のほうがわかりやすい本」の誤謬 - きしだのHatena

                                                                      関係ないけど、誤謬(ごびゅう)を「ごしん」と読んでた時期がわたしにもありました。 で、本題。 先日「C++の授業を受けて理解できなかった人が、RubyでRailsをやったら簡単に理解した、Rubyすばらしい」という話がTwitterで流れていた。 ただ、これをもって、Rubyで授業やるとわかりやすい、と単純に考えてはいけない。 確かにC++はヘッダファイルやポインタみたいな、混乱ポイントがあるわけだけど、教育用途なら1ファイルに全部書くことでヘッダファイルからは逃れれるし、C++のライブラリつかえばポインタはあとまわしにできる。Rubyでも文法を淡々と初心者に教えれば「わけわかんない」という感想だけで終わらせることもできる。 なにより、このご時勢にプログラムの最初の授業をC++でやってる先生の授業がわかりやすいはずがない。わかりやすさに気をつける先生なら、JavaかC#かRubyか使ってい

                                                                        「2冊目の本のほうがわかりやすい本」の誤謬 - きしだのHatena
                                                                      • 一貫性の誤謬 - レジデント初期研修用資料

                                                                        経営が迷走した企業だとか、政府に対しては、「一貫性を持った対応が為されていない」なんて批判される。 「一貫性なくしてビジネスに勝機なし」なんて断言する、成功した経営者もいる。 こういう考えかたは間違っていると思う。 成功した人には一貫性が観測される 成功したプロジェクト戦略のことごとくは、あとからそれを振り返れば、 リーダーの、一貫した判断に基づいた運営が為されている。 経営判断や政治、戦争の判断に至るまで、「判断の一貫性」というものは、 まず必ずといっていいほど観測されて、だからこそ、「一貫性は大切だ」なんて思われる。 ところがたぶん、「成功したプロジェクトには一貫性が観測できる」ことは真だけれど、 そのことは決して、「一貫した判断に基づいたプロジェクトは成功する」ことを意味しない。 「一貫した判断が観測された」プロジェクトのリーダーは、必ずしもその時、 一貫した基準に基づいて、何かを判

                                                                        • 労働塊の誤謬 - Wikipedia

                                                                          この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "労働塊の誤謬" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2015年12月) 労働塊の誤謬(ろうどうかいのごびゅう、lump of labour fallacy)とは経済学の用語で、世の中における仕事は一定量しかないという考え方、または、その一定量の仕事を労働者が取り合うしかないという見方を意味する。経済学者の間では一般的に誤りとされる。 仮に、社会全体の生産量が固定的であると考えると、その量の生産を行うために必要とされる労働力もある一定の固定的な量となる。そのため、労働者はその一定量の仕事を取り合う形にならざるを得ない。このよう

                                                                          • 図書館とニセ科学と過去の誤謬 - 火薬と鋼

                                                                            図書館の権利には謎が多い Library Rights is shrouded in mystery. 誰もが正義となり Everyone is a hero 誰もが悪となる and a villain. そして誰が被害者で And no one knows who is the victim, 誰が加害者か and who is the aggressor. 一体『自由』とは何か And what is "freedom" ? 多様性を満たせない 図書館は多様な表現を提供するが、図書館が資料をどのように取捨選択するかは、出版流通の事情にかなり左右されている。例えば血液型性格判断に肯定的な本しか市場になければ、図書館の蔵書も同じようになる。そうなると、図書館は血液型性格判断に否定的な見解を提供することはできない。 現状、オカルト、偽史、ニセ科学などの誤解、間違い、嘘、デマを含んだ蔵書は図書

                                                                              図書館とニセ科学と過去の誤謬 - 火薬と鋼
                                                                            • strict無効化の誤謬 - Islands in the byte stream (legacy)

                                                                              シンボルテーブルを操作するときに"no strict 'refs'"で一時的にstrictを無効化することはよくあるが,デバッグしにくいバグが紛れ込む可能性がある。 たとえば,以下のようにアクセサを動的に生成するコードはCPANのそこかしこにある。 sub make_accessor{ my($class, $property) = @_; no strict 'refs'; # simple read-only accessor *{$class. '::' . $property} = sub{ my($self) = @_; return $self->{$property}; } } このようなコードによって生成されたメソッドを,正しくオブジェクトに対して使う分には問題ない。しかし,このメソッドをクラスメソッドとして呼び出すと,グローバル変数${$self}を参照し,その値をハッシ

                                                                                strict無効化の誤謬 - Islands in the byte stream (legacy)
                                                                              • 合成の誤謬 - 池田信夫 blog

                                                                                NTTの企業年金訴訟でNTT側が敗訴し、年金の支給額が減額できないという判決が東京地裁で出た。この影響は大きい。NTTの年金債務は約5兆5000億円、それに対して年金資産は約2兆円しかなく、差し引き3兆5000億円もの積み立て不足があるからだ(*)。判決では「NTT東西は年間1000億円の利益を上げている」というが、その利益の35年分が吹っ飛ぶ額である。他にも、日立が1兆3000億円、松下が1兆2000億円など、巨額の積み立て不足を抱えた企業は多い(2003年現在)。 NTTはこの債務を削減するため、確定給付型の年金を確定拠出型に変更しようとし、労使で合意して(法律で定められる)受給者の2/3の同意も得たにもかかわらず、厚労省に認可されず、訴訟になったものだ。この程度の裁量権も経営にないとなると、正社員のコストは非常に高くなる。NTTの場合は、社員ひとりあたり約2800万円もの隠れ給与を

                                                                                • 読売の傑作社説の誤謬 - 経済を良くするって、どうすれば

                                                                                  他紙で恐縮だが、昨日の読売の社説は「傑作」だったね。日本のリーダーが、なぜダメなのかを端的に示していた。これから、税と社会保障の一体改革に伴う消費税増税の決定や来年度の予算編成に際して、日経も社説を書くことになると思うので、反面教師にしてもらおうと思う。 読売は「消費税引き上げ・財政再建は先送りできない」を掲げて、それは待ったなしだと言う。おそらく、多くの人にとって、「そうだろうね」、「良く聞く話だ」くらいのものだろう。この「待ったなし」は、どういう意味なのだろう。実は、この財政赤字に対する「焦り」が問題なのである。 もし、本当に「待ったなし」の状況であったなら、今年の日本は、震災で国債の増発を余儀なくされたのだから、国債の長期金利は、敏感に反応し、高まっていただろう。ところが、実際には、一時1%を割るというような低金利が続いている。政府は四次補正をするようだが、その財源は、低金利で余るこ

                                                                                    読売の傑作社説の誤謬 - 経済を良くするって、どうすれば