若いマイノリティ青年が先日のバトルを見て「あんなに感情的にならなくても」と評しているのが目に留まった。愚かなことだ。怒るべき時に怒ってみせずして、どうやってそこに「問題」があると伝えられる。
●物語というのは、ちょっと気を許すとすぐに恋愛の方へひっぱられてしまうと誰かが書いていたのを読んだ気がするのだが、それともう一つ、物語はちょっと気を許すとすぐに「対戦(対決)」の方へひっぱられてしまうと思う。恋愛も対戦もなしで物語を成立させるのは困難であろうし(しばしば、恋愛と対戦とは別のものではなかったりさえする)、逆に、簡単に恋愛や対戦に着地する物語はバカっぽい。そして、ここで物語とは、まさに「現実」を動かしている力のことでもある。だとすれば、決して安易には物語に「対戦」を持ち込まないということは、そのまま、そのような現実へ向けての働きかけでもあろう。 ●格闘技というもののもつ矛盾。格闘家が実際にやっていることは、ものすごい量の情報を、ものすごい速さで処理して状況判断(駆け引き)をし、それをもとに、ものすごい精度で制御された身体運動へと変換してゆくという、ものすごく複雑かつ高度な行為で
クソ寒い道をふらふら揺れながらチャリ漕ぎつつ写真を撮ってもなんの価値もない。ほんとにしょうもない。 救いようがない。 どうしようもない。 価値がない。 存在感がない。 いたのが気づかれない。 メールもない。 着信もない。 だいいち、 夢がない。 希望もない。 なにを考えているのか分からない。 趣味もない。 特技もない。 能力もない。 才能もない。 熱意もない。 人望もない。 人格もない。 貫禄もない。 主体性もない。 客観性もない。 意志がない。 反応がない。 言葉がない。 文体もない。 センスもない。 ユーモアもない。 批判精神もない。 そして、 とか書いてもそれは当たり前だし、それをわざわざ書くのは要するに・・・ ということになるので、ひねくれずに真っ直ぐに書いたほうが良いのだろうか。 書けるかアホ! だいいちお前だって! ついったーをやっていてつくづく、会社生活のコピーだな、とかなん
※注意:これから書くことは愚痴と言い訳です。なのでそういうのが嫌いな人は読まない方が賢明です。「ぐだぐだ言っている間に手を動かせ」とか「その愚痴っぽい感じが嫌だ」とか言われても僕はどうしようもないので。 さて、いきなり私事なんですが、僕は現在大学四年生です。 で、大学院進学を狙ってたんですが、秋期試験落ちました。 \(^o^)/ まー、あの酷さならそれは当然だろうなぁと、今になっては言えるのですが、まぁそれも今になって言えることです。*1 で、それはショックなんですが、しかし大学院の試験に落ちたことそれだけなら、まだ何とでも挽回できます。春の試験もあるし、今から就職しても良いし、何なら一年間浪人してもっと良いところ狙うとかいう道筋はいくらでもありますから。それぐらい僕だって分かってます。 ただ、問題はそこじゃないんですよ。今回の落ちたことで分かったこと。それは、実は自分にはもう何かを為そう
年末に祖母が亡くなった。享年88歳。漠然と予期していたこととはいえ、いざ亡くなってみると、「心の準備」というものがまるでできていなかった。何か突然の出来事に驚き慌てふためくという感じで、この年末年始はバタバタと過ぎ去った。 祖母は昨年11月から近くの病院に入院していた。春頃までは母が連れ添って病院に通院したり、高齢者施設にショートステイしたりすることもできたのだが、足腰が弱ってだんだん歩くのが困難になり、家の中でも転ぶと危ないので、食事のときやトイレのときは母や私が介助して移動を手伝うようになっていた。11月に入って急に右腕に力が入らなくなり、食事や排泄にも全面介助が必要となった。夜中に一人でトイレに行こうとして、途中で転んで顔を打ったということがあったので、母がケアマネージャーの人に相談して、入院させることにしたのだった。 祖母はもともと耳が遠く、ここ2〜3年で認知症も進んでいた。母の
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