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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (18)

  • 国土開発計画をめぐって - heuristic ways

    このところいろいろと忙しく、なかなか腰を据えてを読む余裕がないが、少しずつ鎌田慧『六ヶ所村の記録――核燃料サイクル基地の素顔』上・下(岩波現代文庫、2011年、原著1991年)を読み進めている。 とりあえず、1「開発前史」から4「開発幻想」まで読んだところだが、ここまでは1970〜71年頃の取材記事が基になっているらしい。 鎌田氏は1970年3月、「あるちいさな経済雑誌の依頼で、この基地の町で突如としてはじまった開発ブームを取材するため」に、青森県三沢市を訪れる。その前年、69年5月末に閣議決定された「新全総」(新全国総合開発計画)では、「一方、小川原工業港の建設等の総合的な産業基盤の整備により、陸奥湾、小川原湖周辺ならびに八戸、久慈一帯に巨大臨海コンビナートの形成を図る」という二行で、この地域の将来がラフにスケッチされていた。  迂闊なことに、私は先日図書館で鎌田慧・斉藤光政『ルポ 下

  • 「想定外」の政治学 - heuristic ways

    スラヴォイ・ジジェク氏は、「二〇〇八年の金融大崩壊について唯一ほんとうに驚くべきは、それが市場をだしぬけに襲った不測の出来事であったという考えが、いかにもあっさり受け入れられたことだ」と言っている。というのも、新世紀の最初の十年を通して、「反グローバル化」の異議申し立てをしてきた人々はまさに、「経済成長の幻想」を約束する者たちに対して、「このままでは経済破綻は必至である」と抗議してきたのではなかったかと(『ポストモダンの共産主義』)。それは、資主義の構造的・周期的な「法則」を歴史から学んでいれば、十分「想定」できたはずのことだった。 二〇〇一年に九・一一テロ事件が起きたとき、われわれの多くは突発的な「不測の出来事」のように感じたと思うが、事件の直後にも、過去に似たようなテロ事件の先例があり、それはアメリカ政治的・軍事的な世界政策に対する「反作用」のようなものだということを指摘する人はい

  • 与謝野鉄幹の周辺 - heuristic ways

    少し前のニュースで、「鉄幹の侠気、お孫さんは… 関経連会長が与謝野氏に皮肉」(朝日新聞、1/19)というのがあった。 この記事で私は初めて与謝野馨経済財政相が与謝野鉄幹の孫だということを知ったが、最近、与謝野鉄幹のことをいろいろ調べていて、鉄幹の「侠気」がどういうものだったかということがだんだんわかってきた。というのも、鉄幹(1873−1935)は朝鮮王妃殺害事件(1895年)の「関係者」に近いところにいた人物だったからである。 角田房子氏は、『閔妃暗殺』の中で、与謝野鉄幹について、2ページほど触れている(新潮文庫版p419〜p420)。 送還者名簿の中に「領事官補堀口九万一、従者与謝野寛」とある。事件当日ソウルにいなかった与謝野が帰国させられたのは、証人として事情聴取をするためか、またはソウルで何をするかわからない危険人物と見られたためであろうか。彼は広島で簡単な取調べを受けただけで釈放

  • 朝鮮王妃殺害をめぐって(2) - heuristic ways

    牧原憲夫『民権と憲法』を読んでいて、少し驚いたのは、そこに朝鮮王妃殺害事件に関与する以前の三浦梧楼(ごろう)のことが出てきたことだった。それによると、三浦は1880年代に山県有朋を悩ませた「四将軍」の一人だったのである。*1 明治一四年政変で政府批判の意見書を出した谷干城(たてき)・鳥尾小弥太(こやた)・三浦梧楼・曾我祐準(すけのり)の四人は、薩長出身者が上層部を独占し規律も乱れた陸軍に不満と危機感をもっていた。八一年、三浦・谷が校長を務めた陸軍士官学校の卒業生を中心に兵学研究の月曜会が発足すると、四将軍は顧問に迎えられた。政治的には保守的な四将軍と、能力位の抜擢や近代的軍隊の建設を望む若手将校が結びついて、反山県派が生まれたのである。  彼らは「天皇の信任も厚く、師団の検閲・教育を担当する天皇直属の監軍部が設置されると、東・西の監軍部長に谷、三浦が任命され、曾我は参謀部次長になった」

    quagma
    quagma 2011/02/14
    "国家的犯罪のアウトソーシング"という言葉で、60年安保闘争のさい岸政権が右翼を利用したことを思い出した。これは浅沼稲次郎刺殺事件や「風流夢譚」事件といった人死にが出る事態の遠因ともなった。
  • 自由民、フリーター、テクスト - heuristic ways

    ネットの翻訳サイトで「自由民権」を英語に翻訳すると、“Freedman right”という訳が出てきたりする。“freedman”とは、「(奴隷の身分から解放された)自由民」のことである。「自由民・権」=「自由民の権利」と訳したわけだ。 「自由民」ということからの連想で思い出したのだが、私はこのブログを始めた頃から(2005年〜)しばらくの間、フリーターの問題にずっとこだわっていた。年齢的にはすでに行政用語でいう「フリーター」(15〜34歳)ではなくなっていたものの、雇用形態としては今も「アルバイト」(週5日の常勤)だし、フリーター当事者であるという自己意識はずっとある。 ただ、私の場合、別に正社員になりたいわけではないし、特に不当な待遇や差別を受けているとも思わない。労働形態としては、今の仕事がわりと性に合っているし、何より、「労働が主体的であるのは、まさにそれが私の人格とはなんの関係も

    quagma
    quagma 2011/02/01
    ちょっと他人とは思われない感が。共感しました。
  • 高宗(コジョン)の闘争 - heuristic ways

    笹川紀勝・李泰鎮編著『国際共同研究 韓国併合と現代――歴史と国際法からの再検討』の目次を見ると、韓国・朝鮮の学者も多数執筆している。その中で、金鳳珍(キムボンジン)氏の「「韓国併合有効・不当論」を問う」を読んでいたら、ハッとさせられる指摘があった。坂元茂樹氏が、「明治政府は……同協約(第二次日韓協約)の締結に先立ち、米国からは桂・タフト協定で、英国からは第二次日英同盟で、そして韓国の覇権を争っていたロシアからはポーツマス条約によって、周到にも日の大韓帝国の保護国化の承認を取り付けていた」と述べているのに対し、金鳳珍氏は「米・英・ロといった当時の帝国主義諸国の承認と、条約強制の合・不法とは何ら関係もない」と指摘しているのである。《その承認があったとしても、大韓帝国代表者に対する条約強制の不法性は変わらないのだ。その承認はむしろ当時の、「アウトロウ国家同士」の共犯関係を表すのみである。》 同

  • 李泰鎮『東大生に語った韓国史』 - heuristic ways

    李泰鎮(イテジン)教授の著書を調べたところ、日語で読めるものとしては、『東大生に語った韓国史――韓国植民地支配の合法性を問う』(2006年)があり、図書館で借りることができたので、早速読んでみた。 これは、著者が二〇〇四年六月から七月にかけて、日の東京大学駒場キャンパスで総合文化学科大学院生を対象に行なった集中講義を記録したものだという。氏を招請したのは、高橋哲哉(哲学)、中島隆博(中国文学)、北川東子(ドイツ哲学)、石黒ひで(英文学)等の諸氏であり、四人は「東京大学共生のための国際哲学交流センター」の下で、「戦争、法、暴力」という主題のプロジェクトを推進しており、その一環として李泰鎮教授を招請したとのことである。 この講義は六回に分けて行なわれたが、の最後に「特別講演 東アジアの未来――歴史紛争を越えて」が掲載されている。氏が語った主題は「近代日韓関係史における法と暴力」というもの

  • 三・一(サミル)運動をめぐって - heuristic ways

    quagma
    quagma 2011/01/04
    ”三・一運動は、中国に影響することによって、東アジアの現代史の不可欠の一環となりました””そして、三・一運動から何も学ばなかったのが、私たち日本国民ではないでしょうか”
  • メモ〜片野次雄『日韓併合』より - heuristic ways

    片野次雄『日韓併合』を読んでいくうちに、韓国併合・朝鮮支配の問題は、日と朝鮮の二ヵ国間の問題としてだけではなく、中国ロシアアメリカなどを含めた、もっと広い国際的な文脈の中で捉えなければならないのではないかという印象が強まってきた。 たとえば安重根(アンヂュングン)は、ロシア領の沿海州地方に亡命していた。《当時、これらの都市(ウラジオストクやポクラニチナヤ、ノボキエフスクなど)には、朝鮮を追われた義兵将や義兵、独立運動家たちが、国境の豆満江(トマンガン)を越え、大勢、亡命していた。安重根もそのひとりであった。》 伊藤博文が暗殺されたのは、満州のハルビン駅でだが、伊藤博文は旅順の戦跡を視察した後、満鉄で長春へ行き、そこからハルビンに向かっている。一方、安重根はノボキエフスクからウラジオストクへ行き、そこからハルビン行きの汽車に乗っている。  アメリカのサンフランシスコに在米朝鮮人の結社が

  • 白楽晴氏の分断体制(解体)論 - heuristic ways

    白楽晴(ペク・ナクチョン)氏は、一九八〇年代末以来、分断された朝鮮半島の現実を体系的かつ総合的に認識するために、「分断体制」の概念を提起してきた人である。二〇〇五年以来、「六・一五共同宣言実践」南側委員会の代表を歴任するなど、実践的な活動にも関わってきた。*1 氏の『朝鮮半島統一論――揺らぐ分断体制』(2001年)は以前読んだことがあったが、先日、図書館で『朝鮮半島の平和と統一 ――分断体制の解体期にあたって』(2008年、原著2006年)というを見つけたので、借りてきた。 今年に入って、韓国哨戒艦沈没事件(3月)や延坪島(ヨンピョンド)への砲撃事件(11月)があり、それに対抗して、米韓合同軍事演習が行われるなど、朝鮮半島に軍事的な緊張感が高まっている。われわれには、こういう事件は突発的で不可解な、非道な行為にみえるけれども、国際関係の現実は相互作用的に構成されるものである以上、われわれ

    quagma
    quagma 2010/12/09
    コメント欄も。
  • 読み書きと革命 - heuristic ways

    佐々木中『切りとれ、あの祈る手を――<>と<革命>をめぐる五つの夜話』を読んで、いろいろ考えていたら、だんだん疑問や混乱が膨れ上がってきて、収拾がつかなくなってきた。私はこのを「読んでしまった」がために、どうにも「読めないでいる」という苦境に陥ってしまったようなのである。 佐々木氏はこので、われわれの虚を突くような、驚くべき歴史的展望を提示している。を読むこと、書くこと、それが革命だったのだと。 たとえばルターの革命(ふつうそれは宗教改革と呼ばれているが、大文字のReformation、つまり「大革命」と呼ぶ慣わしもあるという)とは、一言でいえば「聖書を読む運動」だった。《ルターは何をしたか。聖書を読んだ。彼は聖書を読み、聖書を翻訳し、そして数限りないを書いた。かくして革命は起きた。を読むこと、それが革命だったのです。》 「欧米の革命」に限って言えば、「ひとは少なくとも六つの革

    quagma
    quagma 2010/12/02
    佐々木中『切りとれ、あの祈る手を――<本>と<革命>をめぐる五つの夜話』
  • 森恵さんのひたむきさ - heuristic ways

  • 渋谷望『ミドルクラスを問いなおす』 - heuristic ways

    先日書店に行ったとき、新刊コーナーで渋谷望『ミドルクラスを問いなおす――格差社会の盲点』(NHK出版 生活人新書、2010年)というを見かけ、少し考えて購入した。渋谷氏は『魂の労働――ネオリベラリズムの権力論』(2003年)の著者であり、「万国のミドルクラス諸君、団結せよ!?」(『現代思想』2005年1月号「特集=フリーターとは誰か」)という論文の次の指摘には刺激を受けたことがある。《ミドルクラスから排除されると同時にその「生活様式」を憧れる者は、言説化できない自己憎悪とコンプレックスに囚われる。》(2006-02-16「道徳的強制と自己憎悪」)。  渋谷氏はこので、九〇年代以降ネオリベラリズムがなぜ支配的になったのか、なぜそれが「なし崩し的に導入された」のかという問いを、系譜学的に遡って検証する。そして、ミドルクラスとはどういう存在なのか、ミドルクラスがその出自・来歴とともに覆い隠し

  • 経済的豊かさと社会的豊かさ - heuristic ways

    汪暉(ワン・フイ)氏は、『思想空間としての現代中国』の第2章「1989年の社会運動と中国の「新自由主義」の歴史的根源」の最後の節で、こういうことを書いている。 ここで以上の分析を総合して、いくつかの社会変革の主な志向について素描してみよう。まず、市場の拡大過程がもたらす経済的不平等は、政治、経済、文化その他の領域における不平等と常に密接に結びついており、したがって自由を勝ち取るための闘争(労働力契約の自由、交換の自由、政治的自由など)は同時にまた必ず社会的平等を勝ち取るための闘争となる。平等の要求と自由の要求を完全に対立させる論法は必ず退けなければならない。(後略) 私はこれらの志向を以下のように概括してみたい。それは市場の民主的な制度をめぐる思考であり、単純な経済発展ではなく、社会発展をめぐる思考であり、グローバル化という新たな条件の下で、我々自身の歴史的伝統の意味をあらためて理解するた

    quagma
    quagma 2010/03/15
    "「貧困」の問題を「経済成長」や「景気回復」の議論へと還元しようとするような言説は、「もっと奥行きのある豊かさ」を目指そうとする政治的・社会的な思想や運動を「つぶすため」のイデオロギーでしかない。"
  • 「囚人のジレンマ」と『商道(サンド)』 - heuristic ways

    最近、吉田太郎氏の『「没落先進国」キューバを日が手にしたいわけ』(築地書館、2009年)というを読んでいるのだが(これはすごく面白いキューバ・リポートです)、その中に、「したたかな小国の生き残り戦術」と題する6ページほどのコラムがある。これは、「人間を含めてすべての生物は利己的な存在だが、利他的行為には合理的な根拠がある」という「人間行動進化学」の認識を、生物学や人類学、さらにゲーム理論の成果を絡めて説明したもので、特に興味深いのは、「囚人のジレンマ」と「繰り返し囚人ジレンマ」の違いを述べているくだり。 「囚人のジレンマ」とは、プリンストン大学の数学者アルバート・タッカーが考えた事例で、「「協力」するか「非協力」か、二人のプレイヤーがどちらかひとつの態度を選択するゲーム」を想定したとき、「片方が裏切れば、出し抜かれた相手は大きな損失を被る」、そうすると、「どちらも相手から出し抜かれま

    quagma
    quagma 2009/10/30
    "「囚人のジレンマ」の問題は、このゲームの内部でいかに有利な戦略をとるかということではなく、いかにこのゲーム(初期条件)自体を無効にするかということでなければならないはずである。"
  • 太平天国と奇兵隊 - heuristic ways

    小島晋治『近代日中関係史断章』(岩波現代文庫、2008年)を読んでいたら、第2章「太平天国と日――「明治百年」によせて」(初出1967年)の中で、高杉晋作の奇兵隊が、アヘン戦争のときの林則徐の発想や、太平天国軍の英仏軍に対する抵抗からヒントを得ているという指摘があって、「あ!」と思うところがあった。 一八六三年外国艦隊が攘夷に対する返礼として行なった下関砲撃事件の過程で、武士階級の無力が暴露される中で、彼(高杉晋作)は奇兵隊結成にのりだす。そこには広東の水夫、漁師、または地主勢力の指導下に農民を武装させ、これをその指揮下においてイギリス軍とたたかおうとした林則徐の発想と多分に共通するものを見ることができる。また民衆を主体とする太平天国軍の英仏軍に対する頑強な抵抗を知ったことも、この着想の一因になっていたのではないかと思われる。  以前、加藤周一氏の『吉田松陰と現代』(かもがわブックレット

    quagma
    quagma 2009/03/14
    明治維新は、アジア諸民族、とりわけ中国の民衆のたたかいに多くを負っている。しかしこの認識は維新の実行者たちの中からは消えていかざるを得なかった。←すごく重要な指摘。
  • 祖母のいない世界で - heuristic ways

    年末に祖母が亡くなった。享年88歳。漠然と予期していたこととはいえ、いざ亡くなってみると、「心の準備」というものがまるでできていなかった。何か突然の出来事に驚き慌てふためくという感じで、この年末年始はバタバタと過ぎ去った。  祖母は昨年11月から近くの病院に入院していた。春頃までは母が連れ添って病院に通院したり、高齢者施設にショートステイしたりすることもできたのだが、足腰が弱ってだんだん歩くのが困難になり、家の中でも転ぶと危ないので、事のときやトイレのときは母や私が介助して移動を手伝うようになっていた。11月に入って急に右腕に力が入らなくなり、事や排泄にも全面介助が必要となった。夜中に一人でトイレに行こうとして、途中で転んで顔を打ったということがあったので、母がケアマネージャーの人に相談して、入院させることにしたのだった。 祖母はもともと耳が遠く、ここ2〜3年で認知症も進んでいた。母の

  • 視点・論点「派遣切り」〜湯浅誠 - heuristic ways

    12月23日放送のNHK「視点・論点」(22:50〜23:00)は、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠氏が「派遣切り」というテーマで語っていた。YouTubeにもupされているし*1、NHKの「解説委員室」のHPでもいずれ掲載されるだろうから、そちらも参照していただきたいが、最後のほうで、企業や経営者の社会的責任について語り、静かな怒りを込めた「問いかけ」を畳み掛けるように発する湯浅氏の姿は、なんともドスの利いた凄みがあって、ほとんど感動してしまった。  一応順を追って湯浅氏の話を整理すると、まず「派遣切り」の実態、仕事を失った非正規の人たちの具体的な困難や境遇を「見る」こと、「知らせる」ことから、氏は話を起こす。 米国発の金融危機の影響で円高・株安が進んでいます。その結果、製造業を中心として、非正規労働者の首切り、雇い止めによる派遣切りが横行しています。 すでに私が所属しているNPO法人

    quagma
    quagma 2008/12/27
    湯浅誠「私は怒っています。」
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