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2009年9月16日のブックマーク (5件)

  • 田中美絵子の ごめんを んめご - ニートのあした

    民主・田中美絵子議員、ヌード出演などの騒ぎを釈明 2009/9/16 コスプレ風俗ライターなど異色経歴で話題の民主党・田中美絵子衆院議員が2009年9月15日、報道陣の取材に、「世間をお騒がせし、心からおわびします」と初めて口を開いた。 田中議員は、ホラー映画へのヌード出演や雑誌の出会い系企画露出などが報じられているが、「厳しい経済状況の中で、生きるためにいろんなことに挑戦した」と釈明。そのうえで、「社会的弱者の目線に立ったぬくもりのある政治をしたい」と述べた。 http://www.j-cast.com/2009/09/16049739.html くさなぎくん んめご ごめんって いわせて ごめん あたしも ぜんらなのに あのときも これからも いまだって いらない ごめんを んめご いまさらで ごめん もうこんな ごめんは ごめん だからいまさら んめご たなかさん んめご ごめんって

    田中美絵子の ごめんを んめご - ニートのあした
    quagma
    quagma 2009/09/16
    "こっかはんざいを しゃざいしない こっか/わるくないひとを あやまらせって ばっか"
  • 死刑廃止と死刑存置の考察・BLOG版 : 千葉景子法務大臣(1)

    2009年09月16日00:53 カテゴリ法務大臣考察 千葉景子法務大臣(1) 一部報道では千葉景子参議院議員が法務大臣として入閣が決定したようです。千葉景子参議院議員の「参議院における死刑制度に関する質疑」を掲載します。 【総論】まあ、死刑については賛否両論ございます、私自身は否定的な論者ではありますけれども。 平成14年04月11日 参議院法務委員会 【法務大臣と死刑問題】ところで、杉浦法務大臣は、法務大臣に就任した昨年十月三十一日、初閣議後の記者会見で、死刑執行命令書にサインしないと表明されました。しかし、その一時間後には、個人としての心情を吐露したもので、法務大臣の職務執行について述べたものではなかったとの文書を発表し、事実上、発言を撤回されました。死刑制度に疑問をお持ちであれば、死刑制度廃止に向けた姿勢を貫くべきではなかったのでしょうか。 平成18年05月17日 参議院会議 【

  • ウィメンズ アクション ネットワーク WAN - 天皇制とフェミニズム おんなの幸せに手本はいらない!

    「おんなの幸せに手はいらない-天皇制がなくなったら、こんないいことあるよ!」と題する集会が、2009年8月29日東京都・文京区男女平等センターにて開催された。 会は、これまで大阪で開催されてきた、日常と連続性を持つものとしての天皇制を考える「天皇制とフェミニズム」シリーズの第5回目となり、前回に引き続き、女性と天皇制研究会と日女性学研究会との共同主催にて、今回は初の東京での開催となった。会は、5名のパネリストがそれぞれの問題関心でテーマを持ち寄ってのトークとディスカッションという形式で進められたが、広報期間が短かったにも関わらず盛況で、終始平和でありつつも熱い議論が行なわれた。 はじめに、女性と天皇制研究会の桜井大子さんより、会の趣旨説明が行なわれた。現在の天皇制をめぐる状況は、「雅子バッシング」のように、「女というものは〇〇で当たり前」というようなジェンダーの問題と深く結びつい

  • おサルの世間の真正性 - 地下生活者の手遊び

    表現規制から遠く離れて - 地を這う難破船 では、違いを確認していきましょうにゃー サルとしてのニンゲン 子供は他者であり、他者であるがゆえに育児は公共的である。そのようにtikani_nemuru_Mさんは述べておられたと記憶していますが、私の考えではこうなります。育児は公的領域であるところの社会に帰属する、と。当然、ここには差異がある。その差異が、私とtikani_nemuru_Mさんの社会観の根的な相違なのでしょう。 にゃるほどちがうものですにゃ。 僕は、諸個人は社会という大きなものに直接に帰属することはできにゃーと思っているのですにゃ。べき論でなく、事実認識としてムツカシイと思っている。 sk-44は「土人」「土人部落」というレトリックを使うけれど、僕ならば人類すべては「サルの一種」「サルの群れ」といいますにゃ。 そもそも、私は阿部謹也の世間論に必ずしも同意しないので、tikan

    おサルの世間の真正性 - 地下生活者の手遊び
    quagma
    quagma 2009/09/16
    “中間団体が利権団体であるのは百も承知…不正の温床といえばいえるだろうけれど…国家権力による各々のアトムへの直接的統制よりはマシ…愛国心だの共産主義だのといったイデオロギー的うわ言よりはよほどマシ”
  • media debugger - 裁判員制度という牢獄――「市民の健全な常識」なるレイシズム

    昨日、フィリピン人少年を被告とする裁判員裁判の判決が、さいたま地裁で下された。性犯罪を扱った青森地裁の裁判報道では、裁判員の選考にジェンダーバランスを配慮するべきだとする主張が広く展開されたが、外国人が被告である裁判をめぐっては、裁判員の選出に民族バランスを勘案するべきだという声など出てくるはずもなかった。以前にも書いたように、裁判員制度は「市民(=日人)の健全な常識」が外国人「犯罪者」を文字通り殺しうる牢獄であり、日人に<金嬉老>を裁く権利はないという批判は、「市民(=日人)の健全な常識」(要するにレイシズム)によって初めから排除されているのである。 それでは、裁判において遺憾なく発揮された、「市民(=日人)の健全な常識」とやら(要するにレイシズム)を、以下に見ていこう(強調は引用者による。以下同様)。 (1) 読売新聞(2009年9月12日付):「裁判員裁判 判決 被告の抱

    quagma
    quagma 2009/09/16
    "フィリピン人少年の行為に心を痛め、彼の「更生」に心を砕く日本人たちの「美談」は、あまりにも醜悪な自己陶酔劇にすぎない"