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2010年12月29日のブックマーク (5件)

  • 東京新聞:伊藤正己・元最高裁判事が死去 反対意見など40件以上:社会(TOKYO Web)

    最高裁の裁判で40件以上の反対意見や補足意見を表明し学者としての信念を貫いた文化勲章受章者で東大名誉教授(英米法・憲法)の元最高裁判事、伊藤正己氏が27日午後0時27分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去していたことが29日、分かった。91歳。兵庫県出身。自宅は非公表。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男克己氏。後日、お別れ会を開く予定。 1943年に東大法学部を卒業し、57年に東大教授に就任。東大法学部長などを経て東大退官直前の80年、最高裁判事に就任し、89年に退官した。99年には文化勲章も受章。皇太子妃雅子さまのお妃教育の講義も担当した。 最高裁判事に在任中、81年の「大阪空港騒音訴訟」大法廷判決など1万件以上の裁判に関与した。

  • Adrianne Nyman on Twitter: "大阪追手門大学のいじめ自殺事件、台湾のメディアでは「日本国籍を取得済みの元インド人」と説明しているが、日本のメディアは「在日インド人」とか、「インド人学生」呼ばわりだ。亡くなった彼はインド系日本人です。留学生でも何でもない。その言葉遣いこそ差別なのだ!これが排他主義というやつやな"

    大阪追手門大学のいじめ自殺事件台湾のメディアでは「日国籍を取得済みの元インド人」と説明しているが、日のメディアは「在日インド人」とか、「インド人学生」呼ばわりだ。亡くなった彼はインド系日人です。留学生でも何でもない。その言葉遣いこそ差別なのだ!これが排他主義というやつやな

    Adrianne Nyman on Twitter: "大阪追手門大学のいじめ自殺事件、台湾のメディアでは「日本国籍を取得済みの元インド人」と説明しているが、日本のメディアは「在日インド人」とか、「インド人学生」呼ばわりだ。亡くなった彼はインド系日本人です。留学生でも何でもない。その言葉遣いこそ差別なのだ!これが排他主義というやつやな"
  • 謎のおっさんのフーガ : sociologbook

    俺の友人の父親だが、許可を得ないまま勝手に書きますが、ときどき失踪するおっさんがいて、半年ぶりに帰ってきたときには奥歯がぜんぶなくなってて、魚のさばき方が異常に上手くなっていたらしい。 この話をきいて爆笑してしまったのだが、いったい何をしていたのだろうか。マグロ漁船かな……あと、このおっさん時々失踪するんだが、大阪の中央卸売り市場で働いているらしいとか、犬を飼ってるらしいとか、断片的に伝わってくる情報が面白すぎて、いつもわくわくしながら聞いている。もちろんご家族のみなさんはご苦労されていることだろうが、幸いいまのところ経済的にしんどいということはなく、父親なしでもちゃんと家計が成り立っているということなので、改めてそういう立場におかれた母親のたくましさと、「謎のおっさん」というものの存在のおかしさについてしみじみしている。 新婚時代は住吉区という、大阪の南の外れの住宅地に住んでいた。ここに

    quagma
    quagma 2010/12/29
    こういうのが「おっさん」ばかりで「おばさん」の話をあまり聞かないということについて思うところがないでもない。/id:sillyfish「存在のおかしさ」を許されず「たくましさ」を強いられるつらさを思わずにいられません
  • 村人たちの国 : sociologbook

    書斎の椅子をバランスチェアにかえてから腰の調子がかなりよかったのだが、ついこないだ2年ぶりぐらいに腰をいわしてしまい、休みに入って寝たきりになっている。いぜんは毎年恒例だったのだが……久しぶりに強制スリープ状態である。ここぞとばかり家事も仕事もサボりまくってベッドの中で好きなことをしている。そんな近況であるがほんまに今年はついったーのせいでブログの更新が減ってしまった。ついったーも、まあいろんな人と知り合いになれたのでよかったことはよかったのだが、同時にネトウヨとか軍オタとか女嫌いとかペドみたいな連中が湧いてくることも多くて、徐々にネットに希望を持てなくなっている。まあただ単に俺が歳とっただけだが。とげったの問題でもそうだが、だいたいネットというのは悪意があって粘着質で陰険な奴が目立つようなアーキテクチャになってるな。 というわけで寝たきりだったのだが上半身を起こせるようになったので、ベッ

  • メモ〜片野次雄『日韓併合』より - heuristic ways

    片野次雄『日韓併合』を読んでいくうちに、韓国併合・朝鮮支配の問題は、日と朝鮮の二ヵ国間の問題としてだけではなく、中国ロシアアメリカなどを含めた、もっと広い国際的な文脈の中で捉えなければならないのではないかという印象が強まってきた。 たとえば安重根(アンヂュングン)は、ロシア領の沿海州地方に亡命していた。《当時、これらの都市(ウラジオストクやポクラニチナヤ、ノボキエフスクなど)には、朝鮮を追われた義兵将や義兵、独立運動家たちが、国境の豆満江(トマンガン)を越え、大勢、亡命していた。安重根もそのひとりであった。》 伊藤博文が暗殺されたのは、満州のハルビン駅でだが、伊藤博文は旅順の戦跡を視察した後、満鉄で長春へ行き、そこからハルビンに向かっている。一方、安重根はノボキエフスクからウラジオストクへ行き、そこからハルビン行きの汽車に乗っている。  アメリカのサンフランシスコに在米朝鮮人の結社が