タグ

ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (3)

  • なぜ天皇はいまも日本人の社会秩序を支えているのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    系譜の連続性 ハイコンテクスト社会であることは、日人を語る上でもっとも重要なポイントだろう。ハイコンテクストとは系譜の連続性が重視されると言うことだ。系譜とは一族の先祖であり末代であるが、日人の場合には数代遡ればどこか繋がっているという意味で、系譜の連続性は血が張り巡らされた「日民族」を意味する。だから個人の行いが自らや仲間だけの問題ではなく、先祖、末代、そして日人へと影響を与えると考える。 現に日史の中で恥をかいた者の子孫は、いまもどこか後ろめたい。そんなことが現実に起こっている程、日人にとって系譜の連続性には力があるハイコンテクストな社会なのだ。 なぜ武士は成果より美学を重視するのか たとえば、どこの国にも日武士のような覇権を争う武闘集団はいるが、武士の特徴も「ハイコンテクスト」にある。中国の兵法などの闘いの極意を見ていると、巧妙で勝つことにどん欲だ。人を騙すことも重要

    なぜ天皇はいまも日本人の社会秩序を支えているのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    quatroshe
    quatroshe 2011/09/03
    このブロガー氏(やNHKの武士ドラマあたり)が夢想・神話化したがるような武士像にたいしては、焦点ドンピシャで「戦場の精神史 武士道という幻影」(佐伯真一 NHKブックス)という本の考察が痛快でお勧め。
  • 「なぜ日本人はリスクをゼロにしようとするのか」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    人は集団に帰属していないことを恥じる よく言われることだけど、日は「リスクはゼロにすべき」と思ってる人がやたらと多く、リスクマネージメント(リスクを減らすコストとリスクが生むコストを天秤にかける)の意識が欠如している。なぜそういう思考にいかないのか。日人の民族性となんか関係があるんだろうか。 http://twitter.com/sasakitoshinao/status/21642728756 佐々木俊尚 リスクというのは統計的なマクロなコンテクスト、すなわち全体の一つとしての個をベースにしている。そこでは、ミクロコンテクストのかけがえのない個人とは反する面をもつ。だからリベラリズム(中道左派)な議論も基的には、マクロコンテクストに還元できない、ミクロコンテクストでの矛盾を基としている。ようするに、リベラルとは人をものとして扱うことを基とするところから始まっている。 日

    「なぜ日本人はリスクをゼロにしようとするのか」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • スラム街復活論 正しい貧困生活のススメ - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なに様? 民主党にかわって、経済発展よりも福祉政策が重視されている。それは確かに美しい。そしてなんといってもマスコミが大好きだ。マスコミは質的に左派(リベラル)なので、民主党の成功はまさにマスコミの勝利と言っていいだろう。自民を叩き、次々に首相をおろして、念願かなって自民の息の根を止めた。 しかしこのような保護主義で日は生き残れるだろうか。貧しい人に多くを分配して、経済自体は世界競争の中で生き残っていけるのだろうか。「日なに様?」という感じがする。どこでも一定の貧困層をかかえている。日の経済力が落ちていることを格差社会の国内問題、ヒューマニズムの問題にすり替えているだけではないだろうか。 なぜ日人は貧困に弱いんだろう。貧困国をみると子供でも浮浪児として生きのびているというのに日では貧困といいながらまともな家に住み事して家電製品に囲まれて。幸せぼけすぎだ。 貧しい人々がいか

    スラム街復活論 正しい貧困生活のススメ - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    quatroshe
    quatroshe 2009/10/25
    所詮、日本人の能力ではOECD標準並みの国家を維持することなんて無理だから、アフリカ南アジア辺りの国をモデルにした、身の丈オツムの丈にあったそれなりの国家像を模索しましょう、というお話
  • 1