少なくともここでわれわれは、古代人や中世人においては、民主政的なそれには還元しきれない、政治的な正統性の観念があったことを確認しておかねばならない。そして民主的ではなくとも、正統な支配の下では自由人はその自由を奪われたことにはならない、と観念されていたらしいことがわかる。たとえば古典古代以来、西洋において正統性を欠いた支配に対して与えられた由緒正しい名としてわれわれは「僭主制」なる語を知っている。古代ギリシア以来、もっぱらその「実力(暴力、知略等々)」でもって支配者の地位に着いた者は「僭主」と呼ばれてきたが、「僭主」が批判されたのは、それが民意に基づかない独裁者だったからではない。その支配者としての地位がむき出しの「実力」にのみ支えられていて、民主的なそれであれあるいは王朝的なそれであれ、正統性を欠いていたからである。 あるいは、これもまた古代ギリシアにさかのぼれるものであるが、「東洋」と