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2007年10月4日のブックマーク (7件)

  • Pr6NフォントでもデフォルトのグリフがVistaのMS書体と共通とは限らない - 帰ってきた💫Unicode刑事〔デカ〕リターンズ

    JIS X 0213:2004を参照したPr6Nフォントには、当然「Vista対応フォント」という側面がある。しかし、いくつかの文字ついては、Pr6Nフォントのデフォルトの(Unicodeのプレーン・テキストで表示される)グリフは、新MS書体やメイリオとは異なるものとなるだろう。 AJ15の前身であるAPGS(Apple Publishing Glyph Set)がJIS X 0213:2000をサポートした際、1つのUnicode符号位置に対してJIS X 0213用グリフとそれ以外のグリフ(補助漢字用のグリフなど)が存在する場合、0213グリフを優先するようマッピングが変更された。 一方、AJ16が補助漢字をサポートした際、「0213グリフが最優先なのはそのままとして、その次には補助漢字グリフを優先する」というようなマッピング変更はなされていない。このため「写研のSK漢字をソースとして

    Pr6NフォントでもデフォルトのグリフがVistaのMS書体と共通とは限らない - 帰ってきた💫Unicode刑事〔デカ〕リターンズ
  • タマゴの散歩-文字世界を巡る旅-: 円満字 二郎 『昭和を騒がせた漢字たち-当用漢字の事件簿-』 吉川弘文館

    戦後、民主化という思想のもとに日の様々な制度が改められた。その一環に漢字制限がある。それが1946年に告示された当用漢字だった。以後、当用漢字政策はいくつかの改訂を経て、最終的には1981年に告示された常用漢字に吸収されていく。この間に生じた漢字と人々の壮絶な戦いが、書で紹介されている。 当用漢字においては、漢字の字数制限や字体の統一が絶対的な基準として打ち出されたのであるが、実際の運用においてはかなり窮屈な面や不徹底な面を抱えていた。そこで生じたのが、基準に従うのか?、自由裁量が許容されるのか?、そもそも基準は誰が作るのか?、というような問いである。更に、漢字に込められた送信者や受信者の思い(これを「唯一無二」と呼ぶ)が上記の問いに絡み合い、漢字を巡って人々は紛争した。 たとえば、小学校に設置された「良い子の像」に彫られた文字を巡って学校とPTAが裁判で争った。「仲よく」の「仲」の字

  • 1点しんにょうの辻と2点しんにょうの辻 | yasuokaの日記 | スラド

    『JIS2004日語文字セット規格参加者は全員、頭を丸めて土下座せよ』にもコメントしたが、「1点しんにょうの辻」と「2点しんにょうの辻」のどちらがJISに例示されてるか、ってのは、微妙にややこしい問題だったりする。これは「辻」がいわゆる国字だからで、それゆえに『康煕字典体』という概念が及ばなかったりするのが遠因だが、とりあえずJISの規格票とその周辺を、順に追ってみることにしよう。 JIS漢字の原案にあたる『情報交換のための漢字符号の標準化に関する調査研究報告書』(日情報処理開発センター, 1976年3月)では、36区52点に「2点しんにょうの辻」が収録されていた。字体典拠とした『新字源』(角川書店, 1968年1月)が「2点しんにょうの辻」(検字番号8212)を収録しており、かつ『標準コード用漢字表(試案)』(情報処理学会漢字コード委員会, 1971年10月)も「2点しんにょうの辻」

    1点しんにょうの辻と2点しんにょうの辻 | yasuokaの日記 | スラド
  • びぼうろく―JIS2004日本語文字セット規格参加者は全員、頭を丸めて土下座せよ (コメント欄)

    この日の私の心無い投稿により、関係者の皆様にたいへん不愉快な思いをさせました事、深くお詫びします。 今日のネタは工学の話でも文学の話もない。 今日のネタを私がどのカテゴリに分類したのかを意識して読んで欲しい。 私は、JIS2004日語文字セットの規格(JIS X 0213:2004)は廃棄すべきであり、JIS2004で追加・変更された文字は、既存の文字コードに割り当てられた文字の字形を変えるべきではなく、Unicodeに追加するだけでお茶を濁すべきだと進言します。 サロゲートペアの問題を取り沙汰す人もいるが、これだけITの処理能力・情報量・伝達速度が伸びている中で、文字長が長くなる事に何を抵抗してるんだか。 ややこしいと思ったら全ての文字をサロゲートペアにしろよ、バカ(笑) 人の名前は人格を表します。 なので、その真名を勝手に変更するような規格の改悪は人格を否定する

  • (引き続き)日本語練習中 - 『真性活字中毒者読本』に相応しい『嫁入り支度に教師三昧』の図

    柏書房から出てゐる『真性活字中毒者読』、この第1章に収められてゐる府川充男さんの講演録「日語組版の歴史」に、山田美妙『嫁入り支度に教師三昧』のとあるページが引かれてをります。『嫁入り支度に教師三昧』は近代デジタルライブラリーに在りますから、そちらから掲げておきませう。 「日語組版の歴史」が『嫁入り支度に教師三昧』にどういふ具合に触れてゐるかと言ひますと――、明治年間に活版が社会に浸透していく過程で、欧文組版から句読法が導入されていく、その一例として、かういふ話になってゐます: じつは句読点の遣い分けは読書法とともに文体(特に語尾の調子)と密接な関係があるはずです。図二十九、これは雑誌『都の花』第十七号の誌面の一部ですが、「警吏の尋ぬる問に対し開耶の答ふる素性を聞くに、当初小石川水道町に榛原左門と呼ばるゝ武士あり、夫婦二人に忠助とて名も相応しき忠僕と二人三人の下婢のありて、富めりと云

  • (引き続き)日本語練習中 - 補助漢字jointdata雑感

  • (引き続き)日本語練習中 - 秀英舎(製文堂)の五号平仮名は明治30年代半ばに急激なモデルチェンジを遂げる

    片塩二朗『秀英体研究』(平成16年12月、大日印刷)及び府川充男『聚珍録』(平成17年2月、三省堂)によると、秀英舎(製文堂)において、明治22年の『五号活字見』及び明治27年の『活字見類 未完成』並に推定明治29年の『活版見帖 未完』に見られる古い五号仮名が、明治36年の『活版見帖』或は明治43年の『活版見帖』に見られる新しい五号仮名へと、明治30年代から40年代にかけての時期にモデルチェンジされるやうです。 このモデルチェンジのタイミングあるひは変遷の度合ひについて、興味深いことに、『秀英体研究』と『聚珍録』の双方が共に明治38年に刷られた書物に注目してゐました。 『秀英体研究』pp.554-555に曰く 秀英体五号ひら仮名活字はほかのサイズと比較して、築地活版所の活字書風をもっともよく受け継いでいる。 一九一三年(大正二)S7『明朝五号活字摘要録』に掲載されたひら仮名は、