タグ

2007年12月6日のブックマーク (6件)

  • ヒラギノProとProNの違い - 帰ってきた💫Unicode刑事〔デカ〕リターンズ

    ヒラギノProのデフォルトのグリフは、JIS X 0208:1990/1997およびJIS X 0213:2000の例示字形を参照している。ヒラギノProNのデフォルトのグリフは、JIS X 0213:2004の例示字形を経由して表外漢字字体表の例示字形を参照している。 どの字の形がどう違うのかは、さまざまな資料から知ることができるが、ヒラギノそのものによるリストは見たことがなかったので作ってみた。使用したフォントは「ヒラギノ角ゴ Pro W3」と「ヒラギノ角ゴ ProN W3」。 図のいちばん最初のU+2F5Bは、Unicodeの康煕部首ブロックに属する文字。これとは別にCJK統合漢字のU+7259(牙)もあるので、Unicodeの符号位置とCIDの対応は2対1となる。 ProN欄の文字がグレーになっている例は、(CIDでは区別されるけれど)ヒラギノの実装字形では区別されないもの。

    ヒラギノProとProNの違い - 帰ってきた💫Unicode刑事〔デカ〕リターンズ
  • http://www.designobserver.com/archives/030274.html

  • 未来が見えるDTP進化論「第4回」

    フォントを扱う上で気になることには、「プロテクト」以外に「フォントフォーマット」があります。DTPする上で、フォントフォーマットほど悩ましいものはないかもしれません。 DTPはオープンな環境をメリットとしてスタートしました。同じ環境が整っていたら、ドキュメントをやり取りしても同じようにモニタに表示され、同じ出力結果が得られるのです。オープン環境であることが、DTPの裾野を広げたわけです。 しかしそのときのDTP環境を考えみると、ドキュメントの互換性にもっとも影響を与えているのは「フォント」であることがわかります。 オープンなDTPをするためには、まずMacintoshが必要で、その上にDTPアプリケーションが必要です。そしてフォント環境も統一しなければなりません。といっても、Macintoshの機種の違いやOSのバージョン違いで、ドキュメントの互換性が失われることはほとんどあり

  • Gallery of Unicode Fonts

    Background The Gallery of Unicode Fonts was created by David McCreedy and Mimi Weiss in March, 2004 as part of their Four Essential Travel Phrases website. In October, 2006 the site was ceded to WAZU JAPAN. This Gallery displays samples of available Unicode fonts by writing system (roughly equivalent to Unicode ranges). These are primarily Windows fonts, although some may work on other platforms.

  • 世の中がテラ豚丼を追うときに、われわれはその文書の文字を見ている。 | FeZn/Bookmark

    さてさてまったくおひさしぶりの鉄と亜鉛です。 この1年、outputの量がすさまじく減っておりまして「これではいかんなぁ」となむ思う次第。 もっとも http://fezn.vox.com/ のほうは「歩きながら更新」できることもあって、それなりの頻度を保っております。(そこで下書きした内容を、こちらに反映できずに居るのですが……) 2007年09月01日には地元の例のDTPの勉強会に初めて参加してみたり、そこで誘われて09月15日にはエキサイティングな会合(?)とか。そのあたりの話をwebにフィードバックせねばならんなぁと思いつつ、脊髄反射的に次の話題へ。 ■ [PDFファイル] 吉野家:動画投稿に対する当社の対応について[2007.12.03]http://www.yoshinoya.com/news/pdf/071203.pdf 今日のお題は、このPDFファイル。 経緯はというと、

    世の中がテラ豚丼を追うときに、われわれはその文書の文字を見ている。 | FeZn/Bookmark
  • まとめ (明朝体・考)

    白川静先生は,「字統」,「字訓」,「字通」の辞書3部作を世に問うた後,『字書を作る』(平凡社刊)を上梓した。この中からいくつかの箇所を引用して,このシリーズのまとめとしたい。いまの漢和辞典の問題点や字典のあり方について示唆に富むと考えるからである。文字を古代学的な立場から理解しようとする試みは,かつてなされたことがなかった。それは[説文]の字形学の権威があまりにも強く,新しい文字学の方法の導入を,容易に許さない状況にあったことも,その一因であろう。たとえば[段注]では[説文]を殆ど経典として扱っており,また章炳麟のように,音韻学に新しい発想をした人でも,甲骨文・金文はみな偽作,信ずべからずとするなど,新しい資料に拒絶反応を示している。しかし資料的には,甲骨文・金文をこそ信ずべきであり,[説文]の依拠した篆文は,古代文字が字形的に整理された最終の段階のもので,すでにその初形を失っているところ