タグ

2008年2月18日のブックマーク (14件)

  • ユーロの硬貨に Futura | ここにも Futura

    Futura の使用例で、ここにいろんなものをのっけてきたのですが、毎日使っているユーロの硬貨までちゃんと見てなかった! うちのかみさんが「2008年の硬貨をお釣りでもらった!」といって喜んで2006年のから並べたので気が付きました。 左から2007年、2006年、2008年発行のものです。2007年のは外側の「BUNDESREPUBLIK DEUTSCHLAND」と真ん中の「MECKLENBURG-VORPOMMERN」(ドイツの16の連邦州の一つ)が Furuta で組んであります。あとの2枚は、外側の文字は Futura に似てるけどちょっと違う。でも2006年の硬貨の真ん中の「SCHLESWIG-HOLSTEIN」はかなり Furuta に近いように見えます。

    ユーロの硬貨に Futura | ここにも Futura
  • あずかりものの Futura | ここにも Futura

    近所の O さんが旅行に行っている間あずかっている植物の鉢。ステッカーが Futura です。

    あずかりものの Futura | ここにも Futura
  • Walk in Osaka モリサワOpenTypeフォント「A1明朝」

    昨日、データクラフトの通販カタログ「デザインポケット」が届いたので眺めていたら、モリサワのフォント「A1明朝」が目に止まった。とても言葉で表現できないくらい懐かしい。 もう30数年前のことだが、ぼくは写植オペレータを仕事にした。勤め先はあえて給料の安いデザイン事務所を選んだ。グラフィックデザイナーとじかにコラボレーションしつつ印刷物を仕上げる現場で、デザインも学びたかったからだ。何ヵ所かのデザイン事務所を転々としたが、そういうところでは写植オペレータは一人かせいぜい二人ぐらいなもので、あるとき自分の技術の限界を感じて、写植を専業とする会社へ入った。 そこは電通からの仕事をメインしたデザイン事務所を得意先としていたので、日々の仕事の成果を日経新聞、朝日新聞などの広告で見ることができた。それはどれも、大手企業のもので全7段とか全5段といった大きなスペースを使ったものばかりだった。当然高いクオ

  • Walk in Osaka 写研書体の思い出(7)/ゴナU

    ゴナUは1975年にリリースされます。ナールの作者の中村征宏氏のデザインです。その余りの太さにびっくりしたものです。1979年にゴナEが出ますが、ここまではファミリーという考えはなかったと思うのです。むしろ、ゴナEさえ余計だったのではないかという気がします。始めはゴナUだけの単独のフォントしてスタートしたのです。文字からこの太さでなければならない、という潔さが感じとれます。例えば、勘亭流が作者の選択した、その太さでなければならないようにです。1983年にゴナBなど5書体がリリースされて、計7書体によるファリミーになります。この時点で、ゴナUはゴナUではなくて、ゴナファリミーの中で一番太い書体ということになってしまいます。 左はぼくが写植屋を開業した1977年の書体見の一部です。ファミリーはまだなくて、ゴナUしかなかった時の空気を感じます。新書体としてはナールファミリーが全盛の頃です。「

  • Walk in Osaka 写研書体の思い出(6)/秀英明朝

    大阪西区在住で散歩しながら写真を撮ったり、Mac、Web、絵音楽映画、生活などの感想を書いてます。 歴史的な書体だが、リリースされたのは1981年で、すでにナール、スーボ、ゴナが出ていて、多書体の時代に入っていた。先進的なグラフィックデザイナーから歓迎された書体だった。石井特太明朝オールドスタイル、新聞特太明朝、そして秀英明朝と古風な明朝系の書体が斬新なデザインに多用されていた。 『築地体とともに活字時代を代表する書体であった、秀英社(現代の大日印刷)の初号明朝体を写植文字板化したものである。活字特有の強さを持った書体として魅力にあふれている。』 (「JAGDA教科書 VISUAL DESIGN volume 2」(1993年)より味岡伸太郎「写植書体の特徴」から秀英明朝の解説=P39) ※印字見は1980年代中頃、わたし自身が写研写植機PAVO-KYにて印字したものです。その

  • Walk in Osaka 写研書体の思い出(5)/新聞特太明朝

    1964年リリースの書体だから写研初期の書体。明朝系やゴシック系の基的な書体が揃ったすぐ後、ナール(1973年)から始まる新書体ラッシュはずいぶんと前の書体です。サンプルは比較のために、石井特太明朝オールドスタイル(下)を載せました。カナ文字に特徴があるのがすぐに分かりますが、漢字も少し違います。下の特太明朝が少し柔らかく感じます。左は雑誌表紙(マリ・クレール1998年7月号)の例。日語だけで、欧文書体は違います。 この例のようにファンション関係の広告で多用されました。この書体を徹底して好むデザイナーは少なからずいました。でも、一般的には下の特太明朝の方で、圧倒的に使用頻度が高かったです。コードナンバーが「YSEM」なので、ワイエスイーエムと呼んでいまいした。今では懐かしい響きです。 《関連記事》 新聞特太明朝体と見まがう游築36ポ仮名書体 ※印字見は1980年代中頃、わたし自身が写

  • Walk in Osaka 写研書体の思い出(4)/石井太明朝オールドスタイル

    サンプルは上が石井太明朝オールドスタイル、下に比較のために石井中明朝オールドスタイルを並べた。マックによるDTP以前の写植時代はパンフレットや新聞、雑誌広告などでは、この書体の使用頻度がとても高かった。タイトルを太明朝オールドスタイルで、ボディコピーを同じ太明朝か中明朝オールドスタイルという具合だ。また、冊子などでも、タイトルに太明朝オールドスタイル、文は中明朝のオールドスタイルかニュースタイルの組み合わせが、パターン化するほど多くの機会に使われた。会社案内などにもこのパターンは多用されたが、それは気品のあるデザインに仕上げることができたからだ。 ファッション関連の広告に携わるデザイナーには特に好まれた。たまたま、8年前のファッション誌「マリ・クレール」の1998年5月号があったので、開いてみたら、タイトルも文も石井太明朝オールドスタイルだった(左の写真)。写研のコード名は「BM-O

  • Walk in Osaka 写研書体の思い出(3)/石井中明朝

    大阪西区在住で散歩しながら写真を撮ったり、Mac、Web、絵音楽映画、生活などの感想を書いてます。 サンプル印字の上と下では仮名が違います。上が「石井中明朝 MM-A-OKL」、下が「石井中明朝 MM-A-NKL」。下が一般的な文組として使われます。上も文組ですが、縦組ではとても可読性がよいのですが、横組では、少し読みにくくなります。「り」や「く」のように一般的にも横幅の狭い文字がこの書体ではさらに狭さが強調されています。ですから、横に組むとどうしても文字間が開いてしまいます。縦組だとさらさらっと、流れるような可読性が得られます。以上は小説などの一般的な文組版にいえることで、広告では全く違った使われ方になりました。 広告でボディコピーに使われる場合は、圧倒的に上の「MM-A-OKL」の方です。文字間をツメて組む「詰め組み」により、行間が比較的狭くても可読性が保てる組版に仕上が

  • Walk in Osaka 写研書体の思い出(2)/タイポス

    大阪西区在住で散歩しながら写真を撮ったり、Mac、Web、絵音楽映画、生活などの感想を書いてます。 1970年にファッション誌「アンアン」が創刊されますが、その文がタイポスでした。その頃のぼくはデザイン事務所や写植会社、印刷会社を転々としながら、仕事より文化が欲しいといった生活してました。一定の技量は身につけていたので、こちらが働く気になれば、すぐに職場が見つかるという今と違ってとてもいい時代でした。その「アンアン」ですが、若い女性だけでなく、ぼくのようにフラフラしている男たちにも支持されたのは、ファッションとしての文学、映画音楽にもページをさいていたからです。その文書体がタイポスというのがまた、衝撃的だったわけです。 『タイポスの誕生は、1959 年に武蔵野美術学校の卒業制作として、桑山弥三郎と伊藤勝一が新書体の開発を始めたことがきっかけである。 その後、長田克己、林隆男(

  • Walk in Osaka 写研書体の思い出(1)/石井ゴシック

    大阪西区在住で散歩しながら写真を撮ったり、Mac、Web、絵音楽映画、生活などの感想を書いてます。 左図の印字見は上から、 石井特太ゴシック(1961) 石井太ゴシック(1932) 石井中太ゴシック(1970) 石井中ゴシック(1954) 括弧内はリリース年(ウィキペディア「写研」項目より) DTPでモリサワフォントを使うようになるわけですが、写研書体と比べて、基のゴシック体の違いがとても気になったものです。今では、見慣れてしまいましたが、こうして、ひさしぶりに写研のゴシックを眺めてると当に美しいと思います。 特に写研、モリサワの違いを大きく感じたのは中ゴシックでした。写研の中ゴシックには、なんともたとえようのない清涼感があります。文組は明朝とほぼ決まっていた時代に中ゴシックはキャプションが主な使われ方でした。しかし、これで文組をする機会は少なくありませんでした。メカニッ

  • Walk in Osaka モリサワの「A1明朝」と写研の「石井中明朝体オールドスタイル」

    大阪西区在住で散歩しながら写真を撮ったり、Mac、Web、絵音楽映画、生活などの感想を書いてます。 右は写研書体の印字見です。クリックして大きい画面で見てください。上が「石井太明朝体オールドスタイル」、下は「石井中明朝体オールドスタイル」。 3月1日にモリサワの「A1明朝」について書きました。ぼくが写植専業会社で、デザイン事務所からの依頼の仕事でさかんに「A1明朝」を使用していたのは1970年頃だったと思います。「A1明朝」は新聞や雑誌広告、パンフレットのボディコピーで主に使用されましたが、実はデザイナーが望んだのは、写研の「石井中明朝体オールドスタイル」、コード名「MM-A-OKL」でした。 大阪では、社のあるモリサワのシェアが圧倒的に多く、写植専業会社のマシンはほとんどがモリサワでした。写研のマシンを導入していたのは、書体にこだわるデザイン事務所が自ら導入するケースでした。

  • Walk in Osaka 写研の書体「ゴナU」は30年前・・・

    写研の書体、「ゴナU」がリリースされたのは1975年。ぼくが写植オペレータのフリーランスとして小さな事務所を構えたのが1977年。当時、丸ゴシック系のナール書体が全盛の中で、ゴナUの登場は衝撃的でした。作者は同じナールの制作者である中村征宏氏です。当初はファミリーとしての計画はなかったようです。ところが、ゴナUより少しウエイトの細い書体の要望がたかまり、ゴナEをリリースします。背景にはライバルのモリサワの「新ゴ」の存在がありました。 ある時、年代は忘れましたが写研の営業マンが三菱銀行の使用書体として、ゴナのウエイトの細いものが完成したと聞かされました。つまり、ゴナファミリーとして大きく動き出したことに驚きました。一書体を揃えるには20万円ぐらいで、そのファリーを揃えるとなるとフリーランスの身には大変な金額だったのです。 ともかく、最終的にゴナファミリーはウエイトバリエーションが7書体。影

  • http://www.asahi.com/life/update/0217/TKY200802160252.html

    satoschi
    satoschi 2008/02/18
    2008年2月17日の新聞にて2面にわたって歴史を踏まえて掲載。勿論保存した。
  • AQ ? 欧文書体の今を知る Vol.6 : Amalia by Nikola Djurek

    Where am I? This is the blog of AQ, a Tokyo web and graphic design team, where we write about design, usability, Japan, and our work. Questions? Drop us a line. Like what you see? Subscribe via RSS August 27th, 2007 Chris Palmieri For many Japanese designers, the cultural and historical nuances of Western typefaces can seem obscure, making choosing a typeface a daunting task. As a result, many