長崎県壱岐市教委は9日、中国の歴史書「魏志倭人伝」が記す「一支(いき)国」にあった同市のカラカミ遺跡で、「周」という漢字の左半分が刻まれた土器片(弥生時代後期、2世紀頃)が出土したと発表した。日本における文字文化の受け入れの起源を探るうえで重要な資料となりそうだ。 漢字が記された資料は福岡市・志賀島で見つかった「漢委奴国王」の刻印を持つ金印(57年)や銘文のある鏡などがいち早く国内に入っているが、土器としては国内最古級。 土器片は縦7・5センチ、横8・8センチ。土器が大量に投棄された場所から出土した。鉢(口径23センチ、高さ7・7センチ)の一部で、文字は焼成後に刻まれていた。土器は中国・遼東郡周辺で作られたとみられ、交易を通じて一支国に入ってきた可能性が高いという。
満州語版の『原論』。康熙帝の手書きのメモが残されている(2017年12月19日撮影)。(c)CNS/劉文華 【1月8日 CNS】古代ギリシャ数学を代表する数学書『原論』の満州文字版が、中国・内モンゴル自治区(Inner Mongolia Autonomous Region)フフホト市(Hohhot)の内モンゴル自治区図書館(Inner Mongolia Library)で公開されている。 満州文字版は、古代ギリシャの数学者ユークリッド(Euclid)の著書を、清朝時代に中国で活動していたフランスのイエズス会士、ジョアシャン・ブーヴェ(Joachim Bouvet)と張城(Zhang Cheng)が編集・翻訳した。この数学書は当時の清朝皇帝、康熙帝(Emperor Kangxi)が幾何学を学ぶために作成された書で、すべて手書きの満州文字で書かれている。行間には、康熙帝が学習する際に記したと思
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