東京・信濃町の私邸を出た首相池田勇人の車を追いかけ、日比谷公会堂に着いたのは午後3時前だった。1960年10月12日、東京新聞政治部の「首相番」だった渡部(わたなべ)泰夫(89)は自民、社会、民社による「三党首大演説会」の会場に入り、最前列にある自社用の長机の前に腰を落ち着けた。 騒然とした中、社会党委員長・浅沼稲次郎(1898~1960年)が演説していた。聴衆に右翼が紛れ込み、「アカの手先だ!」とやじが飛ぶ。浅沼の大声がかき消されるほどのうるささに、いったん中断。再開して「選挙の際、国民に評判の悪い政策はすべて伏せておいて、選挙が済むと…」と言った時だった。舞台右手から壇上に上がった小柄な少年が、体重100キロ近い浅沼に体当たりするようにぶつかった。半回転して演壇横に逃れた浅沼に、回り込んでもう一度突進する。当時26歳の渡部は、反射的に壇上に上った。 「浅沼さんの方に行ったんですが、すぐ