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2014年2月20日のブックマーク (5件)

  • 美術館・アート情報 artscape

    富山県立近代美術館の企画展「とやまの美術」(1986)に招待された美術家の大浦信行が、1982年から85年にかけて昭和天皇の図像を部分的に引用して制作した版画連作《遠近を抱えて》全14点が、同展終了後に県議会の教育警務常務委員会で議員によって「不快」と糾弾されたことをきっかけに、右翼団体による抗議活動を招き、これらを受けた同館が同作の非公開と売却を決定し、なおかつ同展の図録を焼却した事件。その後、裁判闘争に発展した。公立美術館が「表現の自由」や「知る権利」を侵害した事件として知られている。94年、大浦を含む美術関係者や市民有志は、富山地裁で国家賠償請求訴訟を起こした。原告側は「鑑賞する権利」をもとに作品の特別観覧および買い戻しと図録の再版を求めたのに対し、被告側は「管理運営上の障害」と「天皇のプライバシー侵害の疑い」を理由に一連の処分を正当化した。原告側の証人として、美術評論家の三木多聞、

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    stkysm 2014/02/20
  • 奈良県:取り壊し旧都跡村役場、世界遺産の第2バッファゾーンに位置

    奈良市が取り壊しを決めた同市四条大路5丁目の近代和風建築、旧都跡村役場(市有財産)は、世界遺産「古都奈良の文化財」の第2バッファゾーンともいえる「歴史的環境調整区域」に位置していることが分かった。旧役場は唐招提寺の近隣にたたずむ昭和初期の貴重な建物で、昔の小学校を思わせる板塀の雰囲気などが、のどかな景観づくりに一役買っている。80年掛けて形成された風景を、なぜ簡単に壊してしまうのか。惜しむ声が出ている。 「歴史的環境調整区域」は、世界遺産を重層的に守るため、「古都京都の文化財」に倣い設けられた。遺産を直接保護する「緩衝地帯」(バッファゾーン)に対し、第2バッファゾーンとも呼ばれるが、「古都奈良の文化財」はハーモニーゾーンの呼称を用いている。環境保全と都市開発の調和を図るための区域になっている。 薬師寺や唐招提寺の東側が「歴史的環境調整区域」の一部で、旧都跡村役場は同区域内にある。市の景観計

    奈良県:取り壊し旧都跡村役場、世界遺産の第2バッファゾーンに位置
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    stkysm 2014/02/20
    これはさみしい…
  • 「取材記事は発表前に確認させてください」という広報担当者が「時代遅れ」では全くない理由(片岡英彦) - 個人 - Yahoo!ニュース

    私は比較的、商品販促においては「攻めの広報」を行ってきた。一方で「広報」は「攻め」ばかりでは成り立たないことを良く知っている。 また、「広報」という仕事を愛するがゆえに、「広報」の仕事を表面的にしか理解していない人の発言を目にすると無性に悲しく、残念な思いになる。 特に下記のような意見が「残念」である。 特に大きな企業だと、インタビューをする際に「広報確認」が必須だったりするんですよね。「インタビューするのはいいですが、まずはできあがった原稿を見せてください。あと画像素材もすべて。広報に確認します」的な。これがライターとしては非常にだるい。先方に何の悪気はなくても、げんなりします。(略)どんだけ警戒しているんですか…と。冷静に考えると、それはインタビューを受ける社員に対しても失礼なわけです。要するに「こいつはまずいことを喋ってしまうかもしれないから、一応広報でも確認しておくか」ということで

    「取材記事は発表前に確認させてください」という広報担当者が「時代遅れ」では全くない理由(片岡英彦) - 個人 - Yahoo!ニュース
    stkysm
    stkysm 2014/02/20
  • https://artdaily.com/index.asp?int_sec=11&int_new=68292

    stkysm
    stkysm 2014/02/20
    そうですか、カニを出しますか…
  • 田中正造研究、第一人者ら相次ぐ死去で活動継承に危惧|下野新聞「SOON」

    【栃木】市民グループ「谷中村の遺跡を守る会」代表の針谷不二男さんが9日、88歳で死去した。昨年11月には、足尾鉱毒事件田中正造記念館(群馬県館林市)名誉館長の布川了さんが88歳で亡くなっており、2人と親交のあった宇都宮大国際学部の高際澄雄教授(65)は「正造や谷中村を語り継ぐ、シンボル的な人物が相次いで失われた」と、今後への影響も危惧する。 1972年、旧谷中村の遺跡が残る渡良瀬遊水地に、貯水池造成計画が浮上し、針谷さんらは守る会を結成した。現在の貯水池(谷中湖)北側のへこんだ部分が、針谷さんらの運動により、水没の危機を免れた区域だ。 旧谷中村の子孫でもあった針谷さんは、史跡の保全にとどまらず、旧村民の消息についても調べていた。高際教授は「正造と最後まで闘った住民、途中で離れざるを得なかった村民。『どちらも大きな権力の犠牲になった人たち』と、温かい視点を常に持ち続けていた」と明かす。 手づ

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    stkysm 2014/02/20
    市民グループ「谷中村の遺跡を守る会」代表の針谷不二男さんが9日、88歳で死去