戦後80年。戦争体験者の多くが鬼籍に入り、戦禍の記憶は薄れつつあるが、人知れず立つ碑やひっそりと残る跡が、あの大戦を後世につないでいる。県内各地の痕跡を随時紹介する。

戦後80年。戦争体験者の多くが鬼籍に入り、戦禍の記憶は薄れつつあるが、人知れず立つ碑やひっそりと残る跡が、あの大戦を後世につないでいる。県内各地の痕跡を随時紹介する。
栃木市が都賀町原宿に整備を進めてきた都賀総合支所複合施設の落成式が9日、同所で行われ、市や地元などの関係者約100人が地域の新たな拠点の完成を祝った。公共施設再編の先導的モデル事業として、築60年以上が経過して老朽化していた都賀総合支所や都賀公民館、都賀図書館の機能を複合化した。25日に開庁する。
【真岡】市は2025年春に市役所北側で開館予定の複合交流拠点施設の愛称を募っている。 施設は子育て支援センターや屋内外の子ども広場、図書館、地域交流センター、カフェなどを備える。自宅や学校・職場とは異なる「第3の居場所」として、子どもからお年寄りまで幅広い年代の市民が集える場を目指す。鉄骨3階建てで事業費約38億円をかけ建設が進められている。 愛称の基準は施設の目的や特性がイメージできるもの、分かりやすく親しみやすいものなど。 応募できるのは市民と、市内への通勤・通学者。未発表の作品で、1人1点に限る。応募用紙や市ホームページの応募フォームに、愛称と名付けた理由、意味など必要事項を記入し、2月末までに申し込む。 施設の運営事業者の意見を参考に1次選考を行い、市内小中学生の投票を経て最終的に5月に決定する。採用された人は開館時の記念式典で表彰される。 (問)市プロジェクト推進課0285・83
次世代型路面電車(LRT)の宇都宮芳賀ライトレール線の愛称について、宇都宮市は14日の市議会建設常任委員会で「ライトライン」に統一する考えを明らかにした。芳賀町などと協議し、早期に統一使用したい考え。熊本和夫(くまもとかずお)市議が質問した。 LRTの呼称を巡っては、運行会社の「宇都宮ライトレール」、路線名の「宇都宮芳賀ライトレール線」、車両の愛称である「ライトライン」などが混在している。このほか「芳賀・宇都宮LRT」といった呼び方もある。 熊本市議は、「呼び名がばらばら」「新しい乗り物の名前が不確かでは利用者が戸惑う」などと掲載した経済誌のインターネット記事を取り上げ「指摘を真摯(しんし)に受け止め、対応が必要だ」と尋ねた。 ライトラインについて市LRT整備課協働広報室の安保雅仁(あんぼまさひと)室長は、2021年に住民アンケートを経て決定したと説明。「『ライトライン』は愛着、親しみを持
古代の東山道駅路、後の奥州街道、那珂川の水路。県北地域で人や物を運ぶ手段は変遷してきた。この150年の間に生まれて姿を消したのは、東野鉄道だ。大田原市内にある軌道跡の歩行者自転車専用道路「ぽっぽ通り」に名残がある。 同市資料などによると、現JR東北本線の整備に伴い1918年、西那須野-黒羽間(約13キロ)が開業した。荷馬車などに替わり、米麦、トウガラシ、木材などを運んだ。その後、湯津上を通り那須小川まで延伸した。 人の動きにも影響した。大田原駅近くの山の手2丁目で酒店を営んでいた安田淳子(やすだじゅんこ)さん(87)は60年ごろの記憶をたどる。周辺の勤め人が仕事後の夕、店先でコップ酒を飲んでいた。「列車が近づくと、店を飛び出して行ってね。とっくりを持って行っちゃう人もいたねぇ」と懐かしんだ。 湯津上東部生まれの市史編さん委員会専門部会長木村康夫(きむらやすお)さん(72)は若い頃、大田原中
【矢板】「シャープの企業城下町」の象徴だったJR矢板駅西口前の「SHARP」の大看板の撤去工事が始まり、文字部分が15日、取り外された。「また一つシャープというものが消える」と市民らは複雑な心境をのぞかせ、撤去を惜しんでいる。 シャープ(大阪府堺市)の東京駐在広報担当者によると、看板は早川町に栃木工場が開設された年と同じ1968年に設置された。高さ3・5メートル、幅20メートルで、駅利用者や市民に長年、シャープの存在をアピールしてきた。しかし経年劣化したため大規模改修するか撤去か社内で議論した末、工場跡の売却を予定していることなど「現状を考慮」して撤去を決めたという。 工場創設時に大阪本社から転任した元社員で元市議岩村博(いわむらひろし)さん(82)=東町=は約20年前まで月3、4回の出張帰りに矢板駅で降りるたび「看板を見ると戻ってきたとほっとした」と振り返る。 2018年、同社の顔ともい
1945年の宇都宮空襲で全焼した旧宇都宮市役所内にあったとされる貴重な書物が10日、約80年ぶりに“帰還”を果たした。所有者の歴史研究家大嶽浩良(おおたけひろよし)さん(77)=今宮3丁目=が「永久に市民のものにしたい」と市に寄贈した。この書物は平安時代から明治末期までの宇都宮の歴史が記されており、戦火で焼失したとみられていた。 書物名は「宇都宮郷土誌料 沿革之部ノ内」。宇都宮の名前の由来や宇都宮城の成り立ち、神社やお寺、街がどうやってできたのかなど、全て手書きで記されている。 編さん時期の記載はない。大嶽さんや市教委文化課は、明治期の末ごろと推定している。明治40年代、地方改良運動の一環として、全国各地の自治体で郷土誌編さんが行われた。県内でも当時の他の自治体の「郷土誌料」は残っており、項目の内容が一致する。 また表紙には「図第一号」とある。戦前、宇都宮には図書館がなかったことから、大嶽
「九尾の狐(きつね)伝説」で知られる栃木県那須町湯本の国指定名勝「殺生石」で、イノシシ8頭の死骸が見つかっていたことが9日分かった。群れで行動するうちに付近に迷い込み、硫化水素などの有毒な火山ガスを吸ったとみられる。殺生石周辺でタヌキといった動物の死骸が発見されることはあるが、関係者は「これだけまとまった動物の死骸は聞いたことがない」と驚いている。 殺生石園地を管理する環境省日光国立公園那須管理官事務所によると、7日午前10時20分ごろ、業務のために殺生石を訪れた同事務所職員が死骸を発見。8頭のうち成獣は3頭で一回り小さな幼獣が5頭。いずれも園地内で特に硫化水素や亜硫酸ガスの発生が多いとされる殺生石の右奥付近に横たわっていた。 同事務所は県などに相談し、豚熱感染によるものではないと判断。翌8日午前9時半から同事務所と那須町などの職員計8人で死骸の回収作業を行った。死骸は8日のうちに焼却処分
老朽化が進む栃木県立美術館(宇都宮市桜4丁目)と県立図書館(同市塙田1丁目)について、県が昨年3月に閉館した県体育館の跡地(同市中戸祭1丁目)を移転先の候補地として検討していることが11日、関係者への取材で分かった。老朽化や耐震性が課題となっている宇都宮中央署(同市下戸祭1丁目)は、現在の県立美術館の場所に移す方向で検討している。県庁前の栃木会館跡地(同市本町)の活用では、民間活力の導入も視野に入れることも分かった。 美術館と図書館はいずれも築50年が過ぎ、バリアフリー対応や収蔵能力などの面で課題があった。宇都宮中央署も建て替えが必要とされ、芝生広場となっている栃木会館跡地の利活用方法も注目されていた。 体育館跡地や県庁周辺の整備について、福田富一(ふくだとみかず)知事は昨年6月の県議会一般質問で、いちご一会とちぎ国体・とちぎ大会終了後に方向性を打ち出すとし、美術館と図書館の在り方には「『
【佐野】市内のそば店でつくる佐野そば商組合はこのほど、佐野名物「大根そば」をPRするチラシを作製した。 「大根そば」は、そばと千切り大根を交ぜて食べる郷土料理。生の大根やゆでた大根をそばの上にのせたり、ゆでた大根とそばを交ぜたりするなど、食べ方はさまざまだ。同組合長の小林定雄(こばやしさだお)さん(72)は「佐野はもともと良いソバとおいしい大根が採れる場所で、食べ物がなかなか手に入らなかった貧困時代にそばのかさ増しとして大根が入れられたのが始まり」と説明する。 チラシはA4サイズで、表には大根そばに関する情報、裏には市内のそば店を示す地図が載っている。小林さんは「コロナ禍でそば店は大きなダメージを受けたが、徐々にお客さんを増やしていく取り組みの第一歩としたい」と意気込みを語った。 市内のそば店や越名町の佐野プレミアムアウトレットなどで配布している。 「そば」の記事一覧を検索
【那須】昭和~平成に閉校した小中学校ゆかりの資料を集めた特別展「郷愁 懐かしの我が母校~那須町小中学校の移り変わり~」が、芦野の那須歴史探訪館で開かれている。明治初期からつづられた小学校の沿革誌や大正時代に撮影された記念写真など約120点を展示。地域住民からの提供や統合先の学校に保管されていた資料を集めたため、全体の約7割は初公開。同館学芸員の作間亮哉(さくまかつや)さん(26)は「当時を振り返り、若い人にも地域の歴史を伝えてほしい」と来館を呼び掛けている。 少子化に伴い、小中学校の統廃合を進めた「町学校適正配置等計画」が昨年度終了。これを受け、これまでに廃校した学校の歴史を次の世代につなげようと、同館が企画した。
県内で最大震度5強を観測した13日深夜の地震では、観光地を含む県北地域の各地で停電が起きたほか、公共施設なども被災し、関係者らは対応に追われた。 【那須塩原】揺れの最中に停電 宿泊客へ対応奔走 13日午後11時過ぎの地震で揺れている最中、塩原温泉郷も停電に見舞われたという。 「岩盤で地盤が強固な塩原で、こんなに揺れたのは久しぶり」。同市塩原の旅館「彩つむぎ」女将の君島理恵(きみしまりえ)さん(58)は「長引く揺れに驚いていたら、停電になった」と振り返る。 当時は5組の客が宿泊。停電が長引くことを想定すると「朝食の準備ができない」。各部屋にランタンで明かりを届け、「とにかく食料を確保しないと」とすぐさま10キロ近く離れたコンビニエンスストアに車を走らせた。 幸い電気は午前2時ごろに復旧したが、各施設の補助電源が切れた後の2時間程度は、温泉郷全体から明かりが消えていたという。 復旧後、ポンプが
下野新聞の前身となる「栃木新聞」の創刊号を含む1878(明治11)~90(明治23)年の新聞1777号分が25日、栃木県立図書館から下野新聞社に返還された。県立図書館に資料として委託していたもので、社内に戻るのは45年ぶり。 栃木新聞は1878年6月1日に栃木市で創刊した。その後、第2次、第3次栃木新聞を経て、84年3月7日から下野新聞として発行されている。第2次時代には、田中正造(たなかしょうぞう)が編集長を務めていた。返還された新聞には、第1~3次栃木新聞の各創刊号や題字が下野新聞となった最初の紙面などが含まれている。 第1次栃木新聞創刊号の1面には、初代県令鍋島幹(なべしまみき)が勅任官に昇進したことに伴う増給の通達や、入れ墨禁止など軽犯罪の罰則を定めた条例の施行が官令として掲載されている。 蔵を建てた正直者の男性が泥棒のうわさを立てられたことに腹を立て自殺する、といった地域のニュー
大田原市那須与一伝承館は10月1日から、宇都宮・会津仕置(しおき)430周年記念特別展示「豊臣秀吉(とよとみひでよし)と那須(なす)氏-激動の天正18年-」を同館で開催する。那須氏に対して小田原攻めへの参陣を求めたり、再興を許して領地を認めたりした秀吉の書状を公開するほか、那須与一(なすのよいち)が用いたと伝わる太刀も展示する。重藤智彬(しげとうともあき)主任学芸員は「秀吉が大田原城に来たという史実をまず知ってほしい」としている。11月23日まで。 同展は、秀吉が1590年(天正18年)に小田原城の北条(ほうじょう)氏を滅ぼし、宇都宮城と会津若松城で大名の配置や改易などの戦後処理を行った同仕置から430年を迎えた節目として企画。 (残り:約 611文字)
県内の多くの公立図書館で電子書籍の貸出件数が増加している。コロナ禍の中、図書館へ行かずに借りられる便利さなどが要因という。1カ月間の貸出件数が前年比10倍以上に伸びた図書館も。電子書籍を扱う「電子図書館」を持つ自治体は県内で5市町だが、導入へ向けた動きも出始めている。 電子図書館は、電子データ化された本をスマートフォンやタブレット端末向けに貸し出すサービス。印刷会社などでつくる電子出版制作・流通協議会によると、県内では7月1日時点で高根沢、大田原、さくら、日光、那須塩原の5市町が実施している。 高根沢町は電子図書館の貸出件数が多い月でも30件ほどだったが、今年3~5月は毎月100件以上になった。町図書館は新型コロナウイルスの影響で2月末~5月末まで休館し、この間に電子図書館の利用が増えた。特に4月は141件で前年(11件)と比べて約13倍に。特に小説、旅行のガイドブック、絵本が人気を集めて
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