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ブックマーク / yamamomo.asablo.jp (16)

  • 『高校に古典は本当に必要なのか』: やまもも書斎記

    長谷川凜・丹野健・内田花・田川美桜・中村海人・神山結衣・小林未來・牧野かれん・仲島ひとみ(編).『高校に古典は当に必要なのか』.文学通信.2021 https://bungaku-report.com/blog/2021/06/post-968.html 「古典は当に必要なのか」という議論については、これまでに書いてきた。このを読んでも、私の考えるところに大きな変化はない。 やまもも書斎記 2019年1月18日 「古典は当に必要なのか」私見 https://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/18/9026278 やまもも書斎記 2019年1月26日 「古典は当に必要なのか」私見(その二) http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/26/9029000 やまもも書斎記 2019年2月16日 「古典は当に必要なのか」

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    takehikom 2022/06/14
  • 『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』: やまもも書斎記

    勝又基.『古典は当に必要なのか、否定論者と議論して気で考えてみた。』.文学通信.2019 https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-16-6.html https://bungaku-report.com/blog/2019/09/post-601.html このは出てすぐに読んだのだが……読んで思ったことなど書こうと思いながら、時間がたっている。それは、このに書かれていることについては、すでに私が書いたこと以上のことは、もう言う必要がないと思われたからである。 やまもも書斎記 2019年1月18日 「古典は当に必要なのか」私見 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/18/9026278 やまもも書斎記 2019年1月26日 「古典は当に必要なのか」私見(その二) http://y

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    takehikom 2022/06/14
  • 『ARG』451号の感想: やまもも書斎記

    2010-11-02 當山日出夫 『ARG』451号の感想をすこし。 まず、目につくのは、 ○インタビュー 「まだ僕たちはこの長いウィキペディア坂を登りはじめたばかりだッ! -第12回図書館総合展株式会社ネットアドバンス主催フォーラム 『大規模デジタル化社会における『知』との接点 -Wkipedia、電子書籍Twitterの潮流をライブラリアンはどう受け止めるか』 に向けて、司会の佐藤翔さん(筑波大学大学院)にうかがう」 (佐藤翔×平山陽菜) である。 ウィキペディアについては、いろんな立場があるだろう。学生としての立場、教師としての立場、研究者としての立場、ライブラリアンとしての立場、など。それぞれに言うべきことはあるだろうが、わたくしなりに思うことを述べれば、まずは、そもそも、ウィキペディアがどうやって運営されているのか、そこの記述は誰がどうやって書いているのか、ということの基的な

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    takehikom 2010/11/19
    「やってみせ 言ってきかせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ」を連想した。十分になさっているんだろうと思うけど
  • Digital Preservaion: やまもも書斎記

    2010-02-21 當山日出夫 東京に行って、国会図書館での、 ディジタル情報資源の長期保存とディジタルアーカイブの長期利用に関する国際シンポジウム すでに書いたことだが、確認しておこうと思う。結論から書けば、 Digital Archives Digital Preservation これらは、区別してつかうようにした方がいい。今は、デジタル化=デジタルアーカイブ、といような意味合いでつかう傾向がないではない。しかし、そうではなく、もっと、デジタルアーカイブという言葉は、限定して使うべきだと思う。 より広義には、デジタル・プリザベイション(Digital Preservation)がまずある。そのうちで、「アーカイブズ(Archives)」の方法(その考え方、方法、倫理など)にのっとって行われるものに限定して、資料のデジタル化保存の一部について、「デジタル・アーカイブ」と称した方がいい

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    takehikom 2010/02/21
  • じんもんこん2009覚書(5): やまもも書斎記

    2010-01-08 當山日出夫 やっぱり、つづけることにする。パソコンがあたらしくなると、インストールしてあるエディタ類の設定が微妙に変わってしまうの、ついつい文章を書くのが億劫になる。ここは、一種のリハビリ的な意味で、つづきを書いていこう。 基的にA会場の方にいたので、こちらしかわからない。そのなかで、第一日目の午後の発表で、気づいたことをいくつか記す。 Subversionを用いた仏典テキスト校訂支援システムの評価 福岡整さん(ほか) なかなかいい発表だなとは思った。まず、画像データとテキストデータとの連係。そして、それを、どのように管理するか(文校訂)の問題。この場合、やはり問題になるのは「校訂」ということの定義だろう。 単純化していえば、 ・文のミスをただす(→正しい文に書き換える) ・肯定者(研究者)の文解釈として字句を改める この二つの方向がある。 そして、ややこし

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    takehikom 2010/01/09
    とりあげていただき感謝
  • 万年筆で字を書きたくなっている: やまもも書斎記

    2009-11-06 當山日出夫 別に自慢するほどのことではないが、万年筆は、いくつかいいのを持っている。 むかし、文字を書くといえば、万円筆に原稿用紙、という時代が、私の学生時代であった。やや無理をして、いいのを買ってある。というか、必要だった。一日のうち、過半を机にむかってすごす。つみあげて、十数センチ以上の原稿用紙(すくなめにみつもって)を、大学院の時に、ある仕事で書いた。 朝、入れたインクが、夜には、ほとんど切れかけている、というような分量だった。しかし、そんな時代は終わった。紙のカード、万年筆、原稿用紙に変わって、コンピュータ、ワープロ、エディタの時代である。 こうなると、今度は、ディスプレイ(ナナオ)、キービード(東プレ)が、いいと思うようになる。 一種の、実用品であると同時に、文房具道楽である。(ま、さほど大金を投じるというわけではないし、実用に使うものだから、贅沢とは思って

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    takehikom 2009/11/07
  • 漢字で書かなければならないということ: やまもも書斎記

    2009/04/02 當山日出夫 ARGの岡さんが、紹介していた。 http://d.hatena.ne.jp/arg/20090327/1238108166 牟田静香.『人が集まる! 行列ができる! 講座、イベントの作り方』(講談社+α新書).講談社.2007 このは、これとして、非常に有益な内容なのであるが、気になったのは、文字についての以下の箇所。別に、ARGとは関係ないのであるが。 >>>>> 区報など行政の広報では、何日もかけて考えたタイトルを簡単に変えて載せてしまうので要注意です。今は方針が変わりましたが、当時は「『ココロ』としてくれ」と言っても、「漢字で書けるものはカタカナではダメだ!」ということでした。『お父さんと一緒』も当は『子育て応援団@エセナ 「おとうさんといっしょ!」』だったのに、最初のフレーズは削除され、「おとうさんといっしょ」はすべて漢字になっていました

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    takehikom 2009/04/05
    『いかにも役人らしい発想』/役人でないけどかつて大学祭で「きょうかん酒場」の企画実行に関わっていたとき、様々な意味を込めてひらがななのに、「教官酒場」で請求来るわ、「共感酒場」のスタンプあるわでした
  • 『学問の下流化』:大学の教科書: やまもも書斎記

    2009/01/07 當山日出夫 竹内洋(2008).『学問の下流化』.中央公論新社 読んで印象に残ったところをいくつか。 第3章の「大学改革のゆくえを考える」。これは、『大学改革の社会学』(天野郁夫、玉川大学出版部、2006)の紹介。このなかで、次のように書いてあるのが印象的。このにおける指摘として、 >>>>> アメリカの大学は単なる企業モデルに終わるものではない。知の合理化をもとめる「知の企業体」でもあり、他方では大学人が必死に「知の共同体」を守り、そだててきたことをわすれてはならないという。(p.165) <<<<< で、これにつづいて掲載が、「大学の「教科書」の昔と今」(pp.168-173)。 この最後につぎのようにある。 >>>>> 最近の授業は、パワーポイントやビデオを併用しながらおこなっている教師も多い。だから、こうした視聴覚教材とも連動した、CDやDVDつきの新しい教

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    takehikom 2009/01/08
    『場合によると、教室が、パワーポイント映写の劇場(無論、学生は、途中での入退出自由)になりかねない』
  • パワーポイントでの学会発表の是非: やまもも書斎記

    2008/10/13 當山日出夫 「たけひこ」日記で、さらにパワーポイントの使用に言及していただいたので、さらにつつけて。 http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20081012/1223761513 昨日、東京大学で、訓点語学会。発表者7名のうち、パワーポイントを使ったのは、最後の発表の私だけ。この学会、発表は年齢順なので、つまり、最年長者の私だけ。他の、若いひとたち(主に、大学院生)は、まったく使用せず。 これって、どうかしてんじゃないの……と思いたくなる。普通なら、若い人たちの方が、情報機器(パソコン)など、使いこなせている、と思うのだが、この場合は、そうではない。 口頭発表の学会でありながら、発表者は、ただ、用意してきた、レジュメを、読み上げるだけ。会場の人は、ただそれを、耳で聞きながら、ひたすら、レジュメを見るだけ。 こういうスタイルの学会も「あり」なの

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    takehikom 2008/10/13
  • 岡田さんにこたえて: やまもも書斎記

    2008/10/05 當山日出夫 やむをえず、「パワポ2003」と「パワポ2007」についての解説書を、オンラインで注文してしまった。同じ会社の、同じシリーズで。 岡田さんが、10月2日の記事に、コメントしてくれている。 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2008/10/02/3795355/tb 大学の授業でパワポをつかうかどうか。 非常なハイレベルの議論をすれば、大学教育における教授法の問題であり、さらには、学知の継承の問題でもある。一般的にいって、大学の先生というのは、自分が学生の時に、先生にならった、その方式を、踏襲して、今の学生に教える。 パワポを使って習ったことのない先生に、パワポを使ったらいいですよ、といっても、所詮、無理な注文かもしれない。まったく、新しいことにチャレンジするぐらいの気概がいる。 また、パワポを使うには、その時間の授業内容が、きち

  • 人間文化研究機構フォーラム: やまもも書斎記

    2008/03/23 當山日出夫 時間はさかのぼるが、ようやく、 人間文化研究機構/研究資源共有化一般記念公開フォーラム(2008-3-10) の話しをしておく。これは、ある意味で記念のイベントでもあるので、通常の研究会・学会とは趣がことなる。だが、今後における、人文学でのコンピュータ利用(デジタル・ヒューマニティーズ)を考えるためには、出ておかないといけない。 まず、人間文化研究機構、というものの位置づけが、一般にはわかりにくいかもしれない。(実は、私もよくわからない)。とりあえず整理すれば、 大学共同利用機関、というものが存在する。例えば、国立天文台とか国利情報学究所とか・・・である。これらが、「人間文化研究機構」「自然科学研究機構」「高エネルギー加速器研究機構」「情報・システム研究機構」などにわかれえている。 そのうち「人間文化研究機構」は、国立歴史民俗博物館・国文学研究資料館・国際

    takehikom
    takehikom 2008/03/27
  • 『ARG』314号:研究会で何が語られたか知りたい: やまもも書斎記

    2008/03/17 當山日出夫 ここで、あえて苦言を呈するが、立命館GCOE(日文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点)では、毎週火曜日に開催の火曜セミナーについては、専用のブログで、その経過を報告し、また、その場に参加できなかった人、発言できなかった人が、後から議論を発展できるように……という方針でいる。だが、実際は、な~んとなく、とどこおってしまっている感じ…… と、このように記すのは、ARG314で紹介、また、ブログ版でも紹介の 東京大学大学院情報学環ベネッセ先端教育技術学講座(BEAT)による公開研究会「BEAT Seminar」 があるからだ。 http://d.hatena.ne.jp/arg/20080316/1205643799 実際に、東大のベネッセの講座にアクセスしてみると、実に詳細に、研究会の様子が記録されている。 BEAT Seminar http://www.b

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    takehikom 2008/03/20
    『話しっぱなし、聞きっぱなしでは、もったいない。せっかく時間を使って、研究会に出たり、話しを聞いたりしたのなら、そこで得た知見から、さらなる高みへとのぼることができる、そうすべきであろう。』
  • WORDで何を教えるのか: やまもも書斎記

    2008/03/14 當山日出夫 ブログ「大学教員の日常・非日常」で、「いつかGoogleを教える日」が興味深い。 http://app.blog.livedoor.jp/yahata127/tb.cgi/51930190 大学での情報処理教育といっても、所詮は、「高校で学べなかった人のための、WordとExcelPowerPoint教室」である、とする。 これには、同感。だが、一方で、大学で、WORDを教えるとするとき、それは、単なる、ちまたのパソコン教室ではないのだヨ、ということは、強調している。教えたいのは、WORDの操作法ではなく、アカデミックな文書の書き方と、そのための道具としてのWORDの使い方である……ということを、かなりくどく何度も言う。 この意味では幸いなことにというべきか、大学のコンピュータが07年度からXPになった(それまでは2000)。で、導入してある、オフィスの

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    takehikom 2008/03/16
    自分のところは,pptxを最初に送ってきたのは1年ゼミの学生でした.次に研究室のボスから「pptxって何?」と.学内演習室のOfficeはこの春2007に.私もupgradeしましたが,pptxで配布していくかどうかは悩みます.
  • 『アメリカ下層教育現場』: やまもも書斎記

    2008/02/23 當山日出夫 すでにいろんなブログなどで書かれている。特に、贅言を加えることもないと思うが、デジタル・ヒューマニティーズの視点から、考えてみる。 『アメリカ下層教育現場』(光文社新書).林壮一.光文社.2008 素朴な感想である……このに描かれているような人々、アメリカ社会における「下層」の人たち、だが、人口から見れば決して少数とはいえない、このような人たちにとって、このブログで考えている「デジタル・ヒューマニティーズ」は、どんな意味を持つだろうか。 きわめて、悲観的・否定的な答えしか得られそうにない。「デジタル」がどうのこうのと言う前に、そもそも、教育とは、社会とは、ということを考えなければならなくなる。 コンピュータを使った最先端の人文学研究、といえば聞こえはいいが、それと同時に、世の中には、このような人々がいる、ということを忘れてはいけないであろう……という程度

  • やまもも書斎記

    2024年3月13日 當山日出夫 BS世界のドキュメンタリー 事実の代償 私はロシアで伝え続ける 二〇二三年、イギリスの制作。 ウクライナでの戦争……ロシアでは「戦争」ということばをつかうことも許されていない……がはじまったころ、日のメディア、テレビのニュースなどでは、モスクワからの中継があった。しかし、それもいつのまにか姿を消してしまっている。ニュースの時間にモスクワから現地支局の記者がレポートするということは、今ではない。 こういう番組がどうして日テレビでは作れないのかと思う。(まあ、現地にいるスタッフの身の安全ということも考えることになるとは思うのだが。) ロシアの独立系メディア、「ノーバヤ・ガゼータ」のことは名前は知っている程度だった。ムラートフのことは、ノーベル賞のときのことをかすかに記憶している程度のことである。 ジャーナリストの役割は権力批判だけではないと思うが、しかし

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    takehikom 2008/02/04
    まず教えるべきは「提出されたレポートはどのように処理されるか」ではないかと.それを各学生が理解してくれたら,学籍番号・氏名のない答案,答案のコピーも減ると思う.
  • 学会発表と市民講座: やまもも書斎記

    2008/01/12 當山日出夫 今日(12日)の朝になって、ようやく、土曜講座のパワーポイントをつくりおえた。あまり、時間がなかったので、これまでの学会発表(訓点語学会)に使用したものを、ほとんど流用して、その前後に、「はじめに」と「おわりに」を追加する方式。 一般向け講座であるから、専門用語(と思われるもの)は、除いておくか、少し書き換える。また、その後、いろいろ工夫してみている、カラーユニバーサルデザインになるように、配色を(文字色・矢印など)を変える。 とにかく、景観文字(デジタルカメラの写真)が中心で、「こんな字が使ってあります」ということであるから……見れば、分かる(はず。) JIS漢字の改訂の細かな経緯とか、それ以前に、どのような仕組みで、コンピュータの文字は見えているのか(文字コードとグリフ)などの説明は、一切、省略することにした。時間的余裕もないし、これにかかわると、話し

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