だが、朝廷は前例のないことを何より嫌がるもの。当初は難色を示されてしまう。それでも、家康から「なんとか前例を探してほしい」と依頼された公家の近衛前久と吉田兼右がよい働きをすることになる。万里小路家の古文書から、次のような事例を発掘したという。 「源氏である徳川の惣領(そうりょう)の筋は2つあり、そのうちの1つは、何らかの理由があって藤原氏に改姓した経緯がある」 家康にとって都合のよい記述が、このタイミングで見つかるとは……。怪しさしかないが、しつこさは相手を疲弊させる。もう面倒になったのだろう。提出された正親町天皇はこれを認めている。家康の本姓は「源」から「藤原」に変更されることになった。 こうして永禄9(1566)年、家康は思惑どおりに、「松平」から「徳川」に改姓することに成功し、朝廷から従五位下三河守に叙任されることになった。 伝記では語られない家康の泥臭い工作 苦難に耐え忍ぶ姿ばかり