将棋世界2005年8月号、角建逸編集長(当時)の「プロ棋士への挑戦 -プロジェクトS-」より。 トリビアの種から 事の始まりは、2月3日発売の本誌3月号「盤上のトリビア」だった。山岸浩史氏がアマチュアの瀬川耕司さんを取り上げ、彼の「プロになりたいんです」という衝撃的な発言を載せたことが全ての発端である。 奇しくも同日からアマ竜王の加藤幸男さんの竜王戦自戦記が読売新聞で掲載開始。加藤さんはその第3譜で「プロになる道」と題して瀬川さんについて触れ、「瀬川さんをプロ棋界に受け入れる―。そんな議論があってもいいのではないか」と提言された。 これを受けて将棋連盟で行われた棋士会、瀬川さん本人からの嘆願書が理事会宛に届いたこと、棋士総会でプロ入り編入試験の実施が決議されたことまでの一連の流れは、野月七段の朝日オープン・プロアマ戦の文章に詳しい。 瀬川晶司さんは、昭和45年3月23日生まれの35歳。佐藤