新米と秋刀魚のわた焼き お刺身用の秋刀魚を買いました。1尾250円です 3枚におろして、秋刀魚のわたに酒、味醂、醤油で調味して1時間ほど漬け込み、グリルで焼きました 秋刀魚のわた焼き わたの、苦味が程よくマイルドに調味され、クセになる味わいです 艶やかな新米と一緒に 自家製お漬物 土…
分厚かった。いろいろ思うことはあるけど、天野祐吉氏の個別広告に対するコメントを引用するというのが、最終号っぽいかな。 特集:クリエイティブ・シンポシオン2009 (広告批評 336号) 出版社/メーカー: マドラ出版発売日: 2009/04メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 21回この商品を含むブログ (34件) を見る 資生堂が売っているのは、"もの"じゃない、"美の約束"です。約束をするからには、その保証書が要る。その役目をしているのが広告です。広告表現の品質が、商品の品質の保証になっているのです。(資生堂の広告に対して) ナイキが売っているのは、ナイキのスポーツ用品ではなくて、スポーツの空気なんです。その「空気」の表現が、並みの表現じゃない。(ナイキの広告に対して) 広告の基本の役目は、「評判」を作り出すことだと僕は思っていますが、ホワイト家族のシリーズが、なぜこんなに評判に
「ゆるさ」の考察についての素材として、身近なブログを取り上げてみたいと思います。私自身は、ブログをやるのもやらないのも自由だし、やるならやるで、その人が好きなようにやればいいんじゃないかな、せっかくの個人が持てるメディアなんだしさ、という感じなので、この文章は、ブログ論ではなく「ゆるさ」を考えるうえでのひとつのきっかけくらいな感じでお読みいただければ幸いです。 * * * * たとえばだけど、とあるブログがあって、ひとつは練りに練られた完璧なエントリが月に1回更新されるブログ、もうひとつは、そこそこのクオリティをキープしながら毎日更新されるブログ。どちらのブログが人気が出るか。たぶん、後者でしょう。きっとそれは、いろいろなブログのPVを時系列で調べれば、実証可能だと思います。 もちろん、人気というものをPVで計るというのは、あるひとつの尺度にすぎないし、練りに練られた完璧
2009.05.01 営業・マーケティング マス広告がスルーされている決定的要因とは? 中村 修治 有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役 日本の社会に、「情報流通」というコトバが世間に流通しはじめたのは、1998年あたりだったと記憶する。1999年7月のNTTの新体制スタートでは、「グローバル情報流通産業」を目指すと宣言。あれから10年が経ったわけである。 では、果たして、この10年間に「情報流通」の量は、どのくらい増えたのか?その辺りのことが、経済産業省発表の「情報流通センサス」レポート平成18年版に掲載されている。データは、平成8年から平成18年までの10年間のもので直近10年というわけではないが、一番近い、正確な数値と言うことで掲載させていただく。 ①発信情報量 各メディアの情報発信者が、1年間に送り出した情報の総量。複製を行って発信した場合及び
忙しかった。 多分、来週になるとそういうことはなくなるのだけど、電波の入りにくいところに行くつもりなので、ブログを更新する頻度は落ちるかもしれない。 マーケティングや広告関係の人も、あえて景気の話すらしない、という風情になっている気もする。 で、今年前半は、というか今年いっぱいは価格がらみの要素が最重要ポイントになって、そのうちの幾つかの潮流は定着するように思っている。 よく言われるのが「不況時の低価格志向ではなく、価値が見合わうものに流れが移る」というものだ。つまり、こういう論調は楽観論と共に語られる。 でも、それは嘘。 「単なる低価格」というのあ93年ごろの「価格破壊」の頃に体験していて、たしかにその時の輸入ビールの味や激安スーツの出来は「安かろう●●かろう」といったイメージもあったけど、近年の「低価格商品」は、大体のものが「価値に見合っている」のだ。 大手流通のPBなど
先日、宣伝会議のコピーライター養成講座の特別体験講座を受けてきた。 そのまとめ。 目次 言葉で世の中を動かそう コピーライターへの道 課題 解説 宣伝会議のコピーライター養成講座の宣伝 この講座で得られること コピーライターが求められている理由 コピーライターにはどうすればなれるか・・・その決心と、努力 キョロキョロしよう・・・観る フムフムする・・・聞く ワイワイする・・・話す ムチャクチャする・・・熱中 ウンウンする・・・書く コピーライターのためのコラム 感想 参考書籍 最近書いたまとめ記事 言葉で世の中を動かそう コピーライターへの道 講師は、理論派コピーライターの谷山雅計氏。 まず最初に課題が出された。 課題 『古本屋を若者にもっと利用してもらうためにキャッチフレーズを書いてください』 15分で3つ書くように言われた。 全員分を回収し、30分後谷山さんが戻ってきた。 解説 なぜこ
Disclaimer このブログは高広伯彦の個人的なものです。ここで述べられていることは私の個人的な意見に基づくものであり、私の雇用者には一切の関係はありません。 Powered by Movable Type 3.17-ja さて。誤解を恐れずに言うと、CPA Cost Per Acquisition (獲得単価)ばかりに注目した検索連動型広告の利用法は、検索連動型広告の可能性を大きく捻じ曲げている、と以前より思っている。僕自身は広告会社自体も含めて広告とネット業界にどっぷりハマっているわけだが、特に検索連動型広告の業界では、(言い方悪いが)“猫も杓子もROI”な状況、及び、“検索連動型広告中毒患者”を多数見かける。これらがダメ、というわけではないが、購買行動プロセスにおける極々購買に近い部分だけを見ているに過ぎないのに「検索連動型広告は(広告)効果が高い」なんて非常にナンセンス。実際
私の住む街にハンバーグ屋さんがあります。値段も手頃で、そこそこの人気。カウンターオンリーで、U字に曲がったカウンターの中にキッチンがあり、その中で店主がハンバーグを焼いてくれます。ひとりでも気楽に入れるので私はよく行くのですが、味の方はというと、まあ普通。人によってはまずいと言うかもしれません。目玉焼きの付いたスタンダードバーグが580円だから、あんなもんだろうなという感じで、通い詰めています。 でも、私、そのハンバーグ屋さんでひとつだけ好きなところがあります。それは、味噌汁。油揚だけのシンプルな味噌汁なのですが、お出汁が煮干しで旨いんですよね。昼はサービスで、夜は100円。私は夜でも味噌汁を必ず頼みます。 * * * * もし、このハンバーグ屋さんが広告をつくってほしいと頼んで来たら、私はどうするかな、と考えてみました。価格は、ファーストフードには負けているし、正
広告は情報だ...そうした観点で配信の最適化を考えれば、単純な態度変容モデルそのものに懐疑的になるだろう。ただ、配信最適化論者が態度変容の概念を無視しているわけではない...「態度」の定義が違っているのではないか。 「革新的流派」が、ここに新しい定義を見出せるだろうか。 ただ、そもそも広告で態度変容が起きるのか?ということをゼロベースで疑ってみることが、実は重要でスリリングな議論かもしれない。実は「広告を見て態度変容が起こる」というのは「かつて」成立した概念かもしれないのである。 それは世の中全般において「購買欲求が高い」ような時代だったから、という考えである。 また経済的に上り調子で「買い物で失敗してもやり直しが効く」ことが暗黙の了解だった時代の理屈、というようにも言える。 つまりモノが行き渡り、かつ経済的にも「買い物の失敗」が許されなくなったいま、「広告による態度変容」という
では、広告で態度変容が起きるようなメッセージってどうやって作るものなのだろうか?何百というコピー案やデザイン案を並べて「人の心が動く」ようなクリエイティヴを考えることが、これからも求められるのだろうか? ウェブ広告などに携わり、ターゲティングの精緻化こそが重要と主張する人の中には、そうしたクリエイティヴは不要どころは、邪魔だという人もいる。「余計なクリエイティヴはうざい」ということなのだろう。 余計なメッセージよりシンプルに「お勧めのもの」があれば十分という考えである。 分かりやすい例でamazonの「この本を買った人は、この本を買っています」というメッセーについて考えてみよう。このメッセージは、態度変容を起こすのに十分なメッセージなのだろうか。それとも、よりクリエイティヴィティが必要なのだろうか。 視点を変えてみよう。あなたがレストランに行って、メニュー選びに迷っている時、こんな
ポジショニングについて、さらにもう少し。 ケラーのポジショニング論には、ちょっと分かりにくい概念が出てくる。「相違点連想」と「類似点連想」だ。 相違点については、分かる。差別化である。類似点連想、というのは「他のブランドと共通した連想」ということである。ケラーの言葉だと「ゲームに参加するための"プレイ料金"」ということになる。 ポジショニングの優れた例として、ケラーは「ミラー・ライト」(ビール)の例を挙げている。だが、面白いことにトラウトも著作の冒頭で、まず「ミラー・ライト」のケースを挙げているのだ。 ただしケラーのような理屈抜きに「ポジショニングの基本条件をはっきり押さえた直球勝負のコピーである」と評している。こんなコピーだ。 「ミラーのライトビールには、あなたが求めているものがすべて入っている。でも、カロリーは控えめ」Everything you always wanted
クルマは幸せの象徴であった。少なくても広告表現上はそうだし、現実生活においてもそうだった。現実と広告の世界におけるシンボルは一致していたのだろう。 とりあえず「あった」と過去形で書いてみたものの、いつ頃まで「象徴」であったのだろうか。もちろん、高度成長期はそうだろう。僕が入社したあとにバブルが来て、その頃も同様の文脈だった。 潮目が変化したのは、90年代半ばだと思う。この頃に複数の自動車のCMがきわめて類似したアプローチをとった。 「クルマを買うまでのプロセス」を描いたのである、 それまでのクルマの広告は、「商品をいかによく見せるか」が最大テーマだったといってもいい。そのために海外のダイナミックな景観を求めてロケに行ったり、走りのシーンにこだわり続けた。 そこにおけるクルマは「完成された商品」であり、その完成度の高さを競い合っていたともいえる。 一方で「買うまでのプロセス」を描
マーケティングと広告との関係とか線引きについては、別に決まりがあるわけでもない。ただ、世の中には広告、特にマス広告をおこなわないマーケティング活動も山ほどあるので、広告を前提にして「マーケティングの変化」を論じると、本質を見失うのではないか。 広告=ラブレター論に「陥穽」を感じたのはそういう理由である。 ところが日本では広告業界がマーケティングについて発信している割合が多いために、広告を前提にした議論になるようだ。 近年の「AIDMAからAISASへ」というのも、その最たるものだろう。ネットの時代になってマス広告のような効果は変質する。それはそうだろうけど、AISASだって結局attentionを起点にしている。それは広告という「部分」からの発想である。 では、どんなモデルなのか? 消費者行動論で代表的な「購買プロセスの5段階」というのは、この図表のようになっている。スタートは広
ベムがクッキーなる技術と向き合ったのは1996年、インフォシークの広告配信技術の説明を受けた時だ。クッキーみたいにポロポロと落ちて行った先まで追跡できるからという俗語と教わった。それから四半世紀以上、クッキーの権化だったグーグルもプライバシーにかかわるトレンドから、クッキーの代替技術を提唱している。いろんなカンファレンスでも「クッキーレス時代にどうする」というテーマで喧しい。 しかし、本質は代替技術をどうするという話ではない。個人情報を扱う企業の振舞いが試されている。プライバシー対応に対する企業姿勢の問題で、経営者が宣言することであって、情シスなり法務が都度その時点のガイドラインに対応すればいいということではない。 ベムはSDGsの18番目に個人情報に対する企業姿勢を加えてもいいのでは?と冗談で話すくらいだ。個人情報との向き合い方に関して、企業姿勢が問われるということを早く経営者に認識させ
広告が変わろうとしている。その背景はどこにあるのだろうか。それを、マーケティングとメディアの生態系の変化としてとらえているのが、世界的なコンサルティング会社ブーズ・アンド・カンパニーの岸本義之氏だ。これからの時代の新聞広告の役割も併せて聞いた。 ――今の広告が置かれている状況をどう見ていますか。 昨今の世界的金融不況の波が広告に影響がないとは言えませんし、それが短期的に企業の広告費にも影響を与えることは確かです。しかし、もう少し長期的な視点で重要なのは、マーケティングと広告の構造的な変化を認識することだと思います。私はそれを「生態系レベルの変化」だと言っています。 メディアの生態系が変化した ――具体的にはどういうことですか。 これまでのマーケティングとメディアの生態系は、40年以上前にテレビの普及とともに形成されたものです。テレビは、大勢に、かつ一方的に情報を見せるメディアで
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