◇東北の郷里めざし続々避難 同時代の共有体験に 大正期の社会に最も深い傷を残した出来事は、1923年9月1日の関東大震災かもしれない。近代日本で最悪の自然災害というだけではない。「帝都」東京が壊滅し、朝鮮人の虐殺などを引き起こしたことは、自由な時代の空気に影を落とした。東日本大震災に襲われた今、88年前の経験から何を学ぶべきか。当時の人々の動きから考える。【大井浩一】 関東大震災は、東北地方を含めた「東日本震災」の側面を持っていた。東京市(当時15区。面積は今の23区の約8分の1)に住む約250万人の6割が家を失い、約100万人が一時は市外へ避難した。多くが東北と関東甲信越の各県へ逃げ、また東海道線が不通となったため信越線回りで名古屋以西へ向かった。みな郷里を目指したのだ。 大正初めの大凶作や第一次世界大戦の「大戦景気」により、この時代は都市への人口移動が急速に進んだ。 北原糸子・立命館大