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letterdust 通称「頭がよすぎる」/テーマがフェミニズムなんだから「女性であること」は女性差別を指すに決まってるだろうにびっくりするくらい婉曲表現よめないな、この人。 2009/07/17 相変わらず、びっくりするくらいバカだな、てめーわwww わざわざ婉曲表現しているのは何故かを論じてるんだよバカwww そんなことも分からねえのかバカwww ほんの些細なこと(今回は言い換え)でも違和感を感じたらthroughせず、そこへズブズブとメスを入れて切り込んでいくと、いろいろ別なものが見えてきたりするんだよwww 書かれてもいないことを勝手に読み取っちゃあダメだが、書いてあることに出来るだけ忠実に、しかしそこからどれだけ飛躍できるかが醍醐味なんだよ! お前みたいなバカにこの真似が出来るか!? 出来ねえだろ、人が何を言っているのかさえ読み取れねえんだからよ!! 屑は屑らしく、分を弁えて大人
「もてる女」「仕事のできる女」というテーマは女性誌でもよく取り上げられますし、女性同士の会話でもよく話題になります。 例えば「美人やかわいい人はもてる」「頭のいい人や段取りのいい人は仕事ができる」などの前提はもちろんあるのですが、女性の場合は“ある程度”のところまでならば、「YES」と言える人の方が「もてる」し「仕事ができる」と思われるものです。 この“ある程度”がポイントなのですが。 よく女性同士で話していて、「あの人は美人(かわいい)なのにもてない」と言われる女性がいます。 こういう女性は、美人であっても、相手に「NO」と言っていたり、「NO」のサインを出していると思われることが多く、なかなかもてないものです。 仕事についても同様です。 会社員であれば、上司から「これをやってください」と言われたら「はい」と引き受ける人、フリーランスでも「やります」と引き受ける人の方が、仕事ができるとい
1 表現の自由の価値 内心における思想や信仰は、外部に表明され、他者に伝達されてはじめて社会的効用を発揮する。その意味で、表現の自由はとりわけ重要な権利である。 表現の自由を支える価値は二つある。一つは、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという、個人的な価値(自己実現の価値)である。もう一つは、言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという、民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値)である。表現の自由は、個人の人格形成にとっても重要な権利であるが、とりわけ、国民が自ら政治に参加するために不可欠の前提をなす権利である(芦部信喜「憲法 第三版」p.162) 第12回<「表現の自由」はなぜ大事? http://www.jicl.jp/chuukou/backnumber/12.html 「表現の自由」、「知る権利」は私たちの政治にとって不可欠であり、民主政治にとって重大な意味を
アンスコム『インテンション―実践知の考察』の中心的概念である「実践的知識(観察によらない知識)」についての検討。 結局買ってしまった&ようやく届いた。ぱらぱらする。(こんなことではリハビリの道は険しいなぁ.....) id:contractio:20090325#p3 / http://www.bookpark.ne.jp/cm/uths/select.asp 送料あわせると ほぼ5000円だが、ざっと一読したところの見立てでは「買う価値はあった」感じではあります。20回くらい読めばもとはとれるかな。どうせ大本は電子ファイルなのだから、PDFとかでも売ってほしいところ。 ところで、(これは──哲学ローカルな作法の問題であるので──なんら非難ではないのだが)薄さと参照文献の少なさにまず驚いた。 ちなみに著者のかたは こんな翻訳もしておられますな: ニック・ザングウィル、「加害者の動機づけ―ブ
文化系トークラジオ Life TBSラジオFM90.5、AM954にて、偶数月の最終日曜日25時~生放送!出演は鈴木謙介ほか。
自分が女性であるということを強く意識しはじめたのは、結婚してから、正確には子供を妊娠してからでした。 違えだろ。自分が「女性だから損をしている」ということを強く意識しはじめたのが、結婚してから、子供を妊娠してからなんだろ。 子供を妊娠して初めて、私は自分の女性性に対してふくざつな思いを抱くようになりました。 違えだろ。「性の違いで役割や嗜好を決定するという社会的圧力」、すなわち社会規範が女性に強いる役割分担に対してふくざつな思いを抱くようになったんだろ。 「女性だから損をしている」のは、「女性であるということ」の一側面に過ぎない。「性の違いで」「決定」された「役割や嗜好」だって、同じく「女性性」の一部分である。何故、このようなおかしな言い換えをするのだ? いちいち嘘くせえんだよ。 何かの問題を冷静に考えることができるということは、その問題に対する切実さが少ないことを意味しません。 この言い
◆Danto, BBP もはや大分記憶がおぼろげになりつつある中で、ちょっとメモ。 自分にとってダントという人は、幾つか短い論文を読んでも「結局何をやろうとしているのかよく分からない人」という印象がずっとあって、その点ではこの本(に収められた諸論文)ではダント自身の積極的なスタンスというか哲学的な「人となり」がかなり明確に示されていて成る程と納得する所は少なからずあったのだけれど、しかし残念なことに、そうしたダント自身の積極的な主張というのはおよそ魅力的とは言いがたい、というのが素直な感想。いずれにしても、ダントという人は自分にとっては「ほとんど何から何まで考えを異にする哲学者」ということになりそうである。 行為というテーマに関しては、本書には“Basic Actions and Basic Concepts”(1978)および“Action, Knowledge, and Repre
◆Taylor, HAL ひとまず読了。 個人的には、「なぜ行為が哲学の問題となるのか」という問いをめぐる懐の深い考察、またその中でも、行為者性に関するテイラー独特の解釈学的視点に立った感情の捉え方(人間的な価値を開示するものとしての感情の役割)、といった点が特に興味深く感じたし、多くを教えられたとも思う。(とはいえ、テイラーのスタンスでは「いかにして動物(人間以外の、言語を持たない動物)は感情を持ち得るのか」という問いをめぐって、かなり苦しい選択を迫られることにもなる。) 行為の哲学や心の哲学の主流的な動向の中では恐らく、The Explanation of Behaviorでのメルロ=ポンティ的なアプローチについて時折思い出されたように言及されるのを別にすれば、テイラーの仕事にきちんと目を向けるということはこれまでほとんど為されてこなかったと思われるけれども(またそれはある意味で
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