論文「通俗的「男脳・女脳」言説がはらむ問題」(http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/publications/pdf/UTCPBooklet15_07_Tsutsui.pdf)に関して、@krtnbさんより、講義で使って頂いたとのご報告を頂きました。(http://twitter.com/krtnb/status/19241635730)どうもありがとうございます。 以下、ご報告を受けてのコメントですが、長くなってしまったのでこちらに書きました。 内容に関して少しコメントさせていただくと、「要するに脳の構造の男女差なんてほとんどない」と言ってしまうのは、それはそれでまずい、というのが私の考えです。 「脳の構造の男女差」を考えるならば、「男女の脳に差はあるの?ないの?」とざっくり問うのではなく、脳のどの部分における、どのような差を問題にするのか(構造的な差か機能的な差か)、
一九六〇年代後半から、英米においてセックスについての哲学的議論がはじまった。議論されたのは、売買春やレイプ、ポルノグラフィなどだが、それらを問題にするには、「性的」とは一体どういうことかが明らかにされねばならなかった。私はこの論文で、性的行為や性的欲望を巡る初期の議論、とりわけ、ネーゲルやソロモンが行なった「現象学的記述」とゴールドマンやソーブルが行なった「概念分析」の双方の議論を辿りながら、それらの有効性と限界性を見極めようとした。 ネーゲルは、サルトルを手掛かりに、二人が互いに相手の興奮を感じて自分もさらに興奮を昂ぶらせていくという「相互人格的認知」を性的行為の規範的なありかたと考え、そうした相互性を欠いた行為を性的倒錯と見做そうとした。しかし、特定の性的行為のありかたの現象学的記述から性的行為の「規範」を短絡的に導き出してしまうところに、彼の問題点があったと思われる。性的行為を感情
イクメンというバズワードに対して、否定的もしくは肯定的に各々の立場から考えることがあると思います。今回は htotuka の観測範囲から見える部分をまとめてみました。 ※kawanojikazoku氏のブログから「ウンチのオムツ替えをするお父さんは5%いないのか http://togetter.com/li/36989 」というやりとりが発生しましたが、地味にイクメンに関してもやりとりが派生していたのでその部分についてまとめたものです。
本稿はフランク・ジャクソンの「知識論証」の歴史を叙述するサーヴェイ論文である。この論証をめぐる論戦の展開を時系列に沿って追う。 知識論証と物理主義をめぐる問題は心の哲学において最も議論されているテーマのひとつである。多くの研究者が多くの意見を提出しているため、論戦の状況を整理する必要がある。本稿は主要な見解を網羅的に紹介することを目指す。 本稿ははじめに知識論証の内実を紹介する。次に、この論証をめぐる論争の歴史をサーヴェイするが、その際に時代を三つに区切り、ジャクソン、チャーチランド、ルイスらが活躍する論争初期、ライカンやチャルマーズが参戦する論争中期、ジャクソンが「転向」した後の近年の論争をそれぞれ詳細に叙述する。
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