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ブックマーク / technique.hateblo.jp (46)

  • 構成プロセスの困難と、《つながりかた》 - Freezing Point

    臨床社会学ならこう考える 生き延びるための理論と実践 作者: 樫村愛子出版社/メーカー: 青土社発売日: 2009/11/24メディア: 単行購入: 4人 クリック: 59回この商品を含むブログ (14件) を見る ずいぶん興奮しながら読んだ。 第3章「現代社会における構築主義の困難」(参照)で、樫村はラカン派の立場から「構築そのものの困難」を論じてくれている*1。 しかし彼女は、構築の問題を「同一化」と「隠喩」に還元してしまう。これでは、フレームに監禁されたまま子どものような遊びを繰り返すしかない。私はここでこそラカンにつまづき、《ジャン・ウリ/ガタリ》を必要としたのだ*2。 「同一化と隠喩」ではなく、その都度その場で、権力をうまく生き直すこと。たんに外形的に組み直せばいいのではなくて、内在的分節がそのまま権力の営みであり、自らの内なる構成過程であること。ここのポイントがないから、樫村

    構成プロセスの困難と、《つながりかた》 - Freezing Point
    contractio
    contractio 2010/01/15
    20100112「エスノメソドロジーでは、「研究者自身にとってもこの活動は臨床的意義を持ち得る」という、取り組み主体の構成プロセスのモチーフが見当たらない」の参照先。
  • 2010-01-12

    概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学 作者: 酒井泰斗,浦野茂,前田泰樹,中村和生出版社/メーカー: ナカニシヤ出版発売日: 2009/04メディア: 単行購入: 7人 クリック: 116回この商品を含むブログ (98件) を見る「STS Network Japan 関西定例研究会>『概念分析の社会学』合評会」 「登録不要、参加費不要、どなたでもご参加いただけます」とのことで、参加させていただいた。 合評会全体をバランスよくまとめる作業は私には無理だし期待もされていないと思うので*1、私の興味を持ったポイントを少しだけメモ。 【※発言記録については、発言者からの承諾を取っていませんし、あとで書き換える可能性があります。エントリーは、いち聴講者による個人的なメモです。ご注意ください。】 冒頭で酒井泰斗(id:contractio)氏*2から、「エスノメソドロジーは何であるか」とい

    2010-01-12
    contractio
    contractio 2010/01/12
    ご来場ありがとうございました。後日、暇を見つけて私もエントリをあげたいとおもいます。/書きました。その1:http://d.hatena.ne.jp/contractio/20100112#p2
  • 参加の実態分析? - Freezing Point

    『概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学』pp.262-5、酒井泰斗(id:contractio)氏による「おわりに」より(強調は原文): 社会的秩序は、そのもとで暮らす人々が実際に規範を運用することをつうじて作り上げられているのだから、その運用のあり方を記述することは社会学的研究なのである。 (略) 書の分析が、行為や活動や経験における理解可能性を獲得するために人びとが実際に用いている概念を手がかりにして行われていることを示すためには、私たちとしては、「概念分析」という言葉を手放すわけにもいかなかったのである。だからもう一度強調しておきたい。「社会的実践の概念分析」は「規範の運用技能・運用方法の記述的解明」に照準を合わせている。 「概念分析」は、理論装置や説明図式を与えるものではない。したがって、こうした研究は「理論の適用(と検証)」という形をとることができないし、まとまった議論

    参加の実態分析? - Freezing Point
    contractio
    contractio 2009/05/27
    参照ありがとうございます。/「《社会参加臨床の基礎研究》という側面を持たないでしょうか」。──〈(原理的には)持ちうるはずだし、(実際に)持つといいな〉と考えながらつくった本ではあります。
  • 2007-12-23

    少し時間が経ってしまいましたが、先日の「カテゴリー化」に頂いたレスポンスについて。 「二、三年心理療法受けたら治るんじゃね?」(hotsumaさん) 「精神医学が臨床的に有害というのはよく分からない話」(井出さん) 私が問題にしていたのは、既存の専門性をベタに信じ込むことのまずさです。とりわけそれは、「知的な」まずさというよりも、各主体が社会化されるときの、臨床上のまずさにあたる。 ここでは、専門性を主張するお二人の主体事情も問われます。専門性への没頭においてみずからの心理的・経済的マネジメントをやりくりしている人が、その私的事情をパブリックに押し付けていないかどうか。そのような押し付けが集団となって専門職の共同体を形作り、圧力団体のように機能していないかどうか。ひきこもりは、むしろそのような制度順応の事情をこそ問い直すモチーフだと思います。 個別ジャンルについて知る努力をしつつも、専門性

    2007-12-23
    contractio
    contractio 2007/12/23
    まえの文章よりは分かりやすくなった。
  • 2007-12-03

    【その2からのつづき】 「「ひきこもり」のリアルを知るために 井出草平著『ひきこもりの社会学』刊行記念座談会」(荻上式BLOG) 今回の座談会は、自分の居る場所で自分がどのように組織され関係を維持しているかを分析しない3人が*1、静態的な観察対象としてひきこもりの話をしている。この方針は、「社会にはいろんな人がいたほうがいい」という発想に基づく点でたいへんいたわりのあるものだが、「それを問題にしている自分自身」が、その受容の態度において分析されないまま肯定されており、「ひきこもりを対象化する制度的目線」については、対象化=論点化されていない。目線を体現する自分の位置づけを、分析的に検討する知的作業がまったくない。その拒絶の方針自体が、ひきこもりに不都合な環境を作る。 *1:分析するということは、失態や誤魔化しも素材にするということだ。ディシプリンで居直るところに分析はない。 ここで補助的に

    2007-12-03
  • 2007-11-19

    【その1からのつづき】 「「ひきこもり」のリアルを知るために 井出草平著『ひきこもりの社会学』刊行記念座談会」(荻上式BLOG) この座談会は「ひきこもりのリアル」と題されているが、読者は一定の社会学的知見を得るだけで、「ひきこもりのリアルを語れるようになった」というナルシシズムにひたるだろうか。ここでは「リアル」という呼び水と語られた内容がイマジネール(想像的)に利用され、座談会の参加者までが相互承認に陥ってしまう。必要なのは、その相互承認のロジックを分析することだ。その分析自体がすでにひきこもり問題への着手であり、これは調査事業それ自体とは別枠の事業にあたる。 井出: 研究の終了予定は、家族が2年後、不登校調査が3年後、海外比較が5年後くらいですかね。それくらいで一定の成果は出せるかなと思っています。ここまで行けば「ひきこもり」という現象の輪郭はほとんど描けると思います。 (略) 井出

    2007-11-19
    contractio
    contractio 2007/11/29
    うわー... むつかしくてなにいってるかわかんないよー。