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ブックマーク / note.com/yuuuuuiiiii (5)

  • なぜ、若者は「顔を隠す」ようになったのか|嘉島唯

    の流行顔を追ったこの動画。最後を彩ったのはマスクをつけた女性だった。ちょうどこのYouTubeが話題になった際、アメリカから来た会社のメンバーが「どうして日マスクをつけている人が多いの?」と質問してきた。 その時、ふと思った。顔を隠す人が増えたと。 三種の神器−−マスク、メガネ、イヤフォンインフルエンザやPM2.5の予防のマスク市場は拡大したと言われている。これが2009年。でも、現在では、体調と関係なく装着する「だてマスク」が人気だ。すっぴんを隠す用途のほか、安心するためにマスクをつける人も多い。 これに似ているのが、「だてメガネ」だ。2011年のPCメガネが大流行したことをきっかけにブレイクしたように見える。メガネは視力を補助するタメだけのものではない。目の周りをフレームで囲い、素顔にフタをしてくれる存在でもある。 そして最後にイヤフォン。音楽を聴くのはもちろん、耳を塞ぐために

    なぜ、若者は「顔を隠す」ようになったのか|嘉島唯
    contractio
    contractio 2016/03/05
    自然発生的社会学
  • ワセジョという幻影|嘉島唯

    きまじめで融通がきかず、きさくでけなげできかん気で、なまじ男子よりもあたま回転がはやいものだからバカを愛でることを知らず、かといって個性と特性と天性をくべつできるほどの世知もなく、理想のなにものかになれるものなど学年にひとりいるかいないかなのに、このわたしこそがひとかどの人物にならなければいけないし、なれるはずだという幻想から逃れられず、映画と演劇と文学に造詣があるふりをしつづけ、過か拒におちいりがちなここにいるしんどい娘たちは、ワセジョと総称される。 これは清水博子さんの小説、「Vanity」の一節だ。「ワセジョ」とは、いわゆる早稲田大学に通う、または通っていた女学生たちを指し、彼女たちはこのようなメンタリティーを持つとされる。たかが4年間。それもサークルやアルバイトなどバラバラな過ごし方をしている大学で、人のメンタリティは似通っていくのだろうか? 「何者かになりたい」受け皿早稲田大

    ワセジョという幻影|嘉島唯
    contractio
    contractio 2015/11/24
  • なぜ、高知に住みたいと思えないのか|嘉島唯

    東京でしか消耗できないからです。 「イケハヤ書店」が「まだ東京で消耗してるの?」に変わってから早1年。高知の魅力をたくさん知りました。 べ物は当に安くて美味しい。大自然に囲まれた、東京にはない豊かな暮らしがそこにはあるのでしょう。高知の素晴らしさを知るたびに、「まだ東京で消耗してるの? 移住しなよ」と声が聞こえてきます。 でも、私は一瞬も「地方に移住したい」と思ったことがありません。というか、1ミクロンも共感できない。 なぜか? それはイケダさんが所帯持ちであり、私が寂しがり屋な独身だからです。氏の豊かなライフスタイルは、ご人が相当な人格者で、かつ仲間(家族)がいないと厳しいでしょう。人とうまく関係性が築けない私からしてみれば、若いうちに所帯を持つ人って異次元なんです。もうその時点で思考の次元が違う。 独身女性は、東京でしか生きられない。そう唱えたのは、「負け犬の遠吠え」の酒井順子さ

    なぜ、高知に住みたいと思えないのか|嘉島唯
    contractio
    contractio 2015/11/04
  • なぜ、女子はこじらせるのか|嘉島唯

    こじらせ女子ーー彼女たちが「発見」されて久しい。雨宮まみさんの著書「女子をこじらせて」が発売されたのは2011年。その存在は、80年代に中森明夫さんによって発見された「おたく」のように、ある程度一般化されてきたようにも感じる。 こじらせ女子は2010年代において「発見」されたある文化的種族は、潜在的に存在しているにもかかわらず、名づけられないと認識されない。「こういう人クラスに一人はいるよね~」という名もなき存在である。しかし、その存在は名付けられることによって、「発見」され「定着」していく。たとえば「おたく」や「メンヘラ」「サブカル」など命名されることによって、私たちはイメージを共有してきた。言葉とは元来そういうものだろう。 文化的種族は人種や宗教のように絶対的なものではない。それはおうおうにして社会要因によって生まれるものだろう。たとえば、戦前に「おたく」は存在しえなかった。それは紛れ

    なぜ、女子はこじらせるのか|嘉島唯
    contractio
    contractio 2014/11/16
    making up people.
  • 「漂わせ系女子」が微増している|嘉島唯

    あなたの周りにもいませんか? 加工アプリ全盛期。セルフィはもちろん最近買った服から、今日のランチ、街の広告までみんなありとあらゆる日常をSNSにアップする時代になりました。Instagramはもちろん、FacebookのアルバムやTwitopic、集積した写真は、それぞれのユーザーの性格や価値観、ライフスタイルを表現します。 そんな最近、よく見るなぁと思うのが「漂わせる写真」。それは単純なツーショットではなく「誰か(多分80%異性)と一緒にいるのを漂わせている写真」を指します。名言はしないけど、見ている者に「幸せな時間」を思わせる、そんな写真。ちょっと例を挙げてみます。 Case 1:対岸の彼 べ物を撮っているつもりが、向こう側に座ってる人がちらっと写るパターン。手とか服装で男であることがわかります。この時にうっかり写ってしまった人のことを「対岸の彼」と私は呼んでいる。ゆるふわちゃんがよ

    「漂わせ系女子」が微増している|嘉島唯
    contractio
    contractio 2014/10/09
    いまどきベンヤミンが許されるのは厨二まで。
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