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ww2に関するdazedのブックマーク (86)

  • 戦争をすると人間は頭が悪くなる - 山下泰平の趣味の方法

    藤森淸一朗という人がいた 藤森淸一朗という人がいた。戦前は開戦に反対し、戦後はまれによくいる妖怪みたいな人……伝わるかどうか不明だが畑正憲みたいな感じ……になった。石原莞爾とかと同じくらいのレベルの超すごい人である。(事実として戦時中にそう言われてたっぽい) 藤森は北京駐在武官として呉佩孚との会談などを通じ、中国の実情を把握した上で、対中戦略の誤りと対米戦不可避を正確に予見した。それを書面にし中央に具申したが容れられず、昭和15年に予備役に編入した。終戦時には鈴木貫太郎のブレーンとして働き、戦後は一時的に民主公民教育に転じた。 その後は一元協会、日民族独立運動などを主催し、個人誌『独立』を278号まで刊行、海軍将官出身でありながら天皇の戦争責任を問い続けた人物で、状況認識力、知的独立性、時流に迎合しない判断力において、明らかに優れた知性を持っていた。 戦時中と戦後で書くことが全く変る人は

    戦争をすると人間は頭が悪くなる - 山下泰平の趣味の方法
  • 満蒙開拓とは何だったのか?今、「証言者たち」に向き合う意味

    拓け満蒙! 行け満洲へ! 満州農業移民を募集するこのポスター画像を目にした時、私は強烈な違和感を覚えた。 日が「大陸国家」になることを夢見ていると感じたからである。 日は四方を海に囲まれた島国であり、歴とした「海洋国家」だ。 大陸からの文物や技術は海からもたらされ、海によって平和が守られてきた。そして、海の向こうに広がる大陸からの脅威にいかに備えるかが、有史以来、日の安全保障の根幹であり、立国の基であった。 やがて、19世紀の帝国主義の時代、西欧列強がアジアを次々と植民地化し、日の存立に危機感を覚えた武士たちは明治維新を成し遂げ、近代国家への転換を果たした。日はその後、陸軍・海軍を持ち、大陸国家である清帝国やロシア帝国の脅威に向き合い、多くの犠牲を払いながらも勝利を収めた。 「古人曰く勝って兜の緒を締めよと」 連合艦隊司令長官・東郷平八郎は「聯合艦隊解散之辞」でこう締めくくった

    満蒙開拓とは何だったのか?今、「証言者たち」に向き合う意味
  • 昭和天皇の「激怒」が日本の行く末を決めた…侍従が語る「クーデター」一部始終

    宮内庁は昨年にインスタグラムを開設し、年4月からはYouTubeも始動した。SNSにより人々の皇室との接点は格段に増えたが、我々が触れられるのは画面越しの“表層”に過ぎない。いつの時代も、皇室という厚い帳の奥にある人間としての素顔を知り得るのは、苦楽を共にする限られた側近のみである。 かつて、そんな閉ざされた聖域で、昭和天皇の“影”のように50年間を過ごした侍従、入江相政。彼がその目に焼き付けたのは穏やかな日常だけではなく、激動の時代に翻弄されながらも国を背負い続けた陛下のありのままの姿だ。「週刊現代」1985年1月9日号より再編集して、昭和天皇の実像をお届けする。 第1回 陛下に仕え続けた50年間私が、陛下のお側に出たのは昭和9年の10月、ついこの間、満50年になった。こんなに長い間仕えようとは思わなかった。よくもよくもつとめたものである。 そもそも大正の末に、東大へ進もうというとき、

    昭和天皇の「激怒」が日本の行く末を決めた…侍従が語る「クーデター」一部始終
  • 治安維持法100年:日常の絵を描いただけで投獄、104歳の生き証人が語る不条理

    戦時下の思想や言論を統制した治安維持法。その中で、日常生活を絵に描いただけなのに学生らが投獄される事件北海道・旭川で起きた。次々と摘発の対象を広げた法の暴走の結果だ。同法制定から100年の今年、104歳の「最後の生き証人」菱谷良一さんに証言してもらった。 菱谷 良一 HISHIYA Ryōichi 1921年旭川市生まれ。旭川師範学校(現北海道教育大学旭川校)の美術部員だった41年、治安維持法違反で逮捕(生活図画事件)。43年には懲役1年6カ月、執行猶予3年の有罪判決となる。戦後、名誉回復に向け、国家賠償の請求活動を続ける。2025年11月で104歳。治安維持法に関する「最後の生き証人」と言われる。 先生の逮捕 「まあ、しかし、嫌な事件だったなあ。まともに行けば学校を出て、(美術の)先生をやれたのになあ」。菱谷良一さんは84年前の1941年、19歳だった自分の身に起きた「事件」について、

    治安維持法100年:日常の絵を描いただけで投獄、104歳の生き証人が語る不条理
  • (内閣総理大臣所感)戦後 80 年に寄せて - 先の大戦の終結から、80 年が経ちました。 この 80 年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました──

  • 【読書感想】中華料理と日本人-帝国主義から懐かしの味への100年史 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

    中華料理と日人-帝国主義から懐かしの味への100年史 (中公新書 2861) 作者:岩間 一弘中央公論新社Amazon Kindle版もあります。 中華料理と日人 帝国主義から懐かしの味への100年史 (中公新書) 作者:岩間一弘中央公論新社Amazon 肉まん、ジンギスカン、餃子、焼売、ラーメン、麻婆豆腐、ウーロン茶。あの味はなぜ懐かしいのか。 帝国主義の時代に広まり、戦後の日人の心と体を癒してきた中華料理。 地域や家庭で愛されてきた品々は、誰が、いつ、どうやって日にもたらし、なぜこれほど普及したのか――。 文化人、実業家、軍人、料理人たちの情熱と葛藤に光をあて、日中華料理100年の軌跡を世界史的な視点から描く、文化の物語。 この新書のオビには「なぜ中華は感情を揺さぶるのか」というキャッチコピーがありました。 僕がまだ子どもだったころ、父親が家族を行きつけの中華料理店に、よ

    【読書感想】中華料理と日本人-帝国主義から懐かしの味への100年史 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
  • 第二次世界大戦の東欧が2600万人の血で染まった理由 – 橘玲 公式BLOG

    ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。 今回は2018年12月公開の記事です。(一部改変) roamer.rat/Shutterstock ****************************************************************************************** ポーランド、クラクフ郊外のアウシュヴィッツ、ベルリン郊外のザクセンハウゼン、ミュンヘン郊外のダッハウ、プラハ郊外のテレジーンの強制収容所を訪れて、ホロコーストについてはなんとなくわかったつもりになっていた。だがアメリカ歴史家ティモシー・スナイダー(イェール大学教授)は、『ブラックアース ホロコーストの歴史と警告』(池田年穂訳/

  • 日本とドイツの「愛国」はどこがちがうのか? – 橘玲 公式BLOG

    ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。 今回は2018年3月公開の記事です。(一部改変) Andreas Wolochow/Shutterstock ****************************************************************************************** 前回は、アメリカで1990年代半ばに起きた「愛国」をめぐる論争について書いた。 参考:「愛国」について真面目に考えてみる 論争の発端は、哲学者のリチャード・ローティが『ニューヨーク・タイムズ』紙に寄稿した「非愛国的アカデミー“The Unpatriotic Academy”」で、「国」という大きな物語を認めない文化サヨ

    dazed
    dazed 2025/09/05
    "同じ戦争末期において、ドイツ軍が東部戦線でドイツ住民の生命を救おうとしたことと、関東軍が満州で日本人を見捨てたことのちがいが、それぞれの国の「愛国」に大きな影を落としている"
  • ビルに共産党批判のメッセージ 戦勝記念日直前に―中国・重慶:時事ドットコム

    ビルに共産党批判のメッセージ 戦勝記念日直前に―中国・重慶 時事通信 外信部2025年09月05日15時22分配信 中国・重慶市のビルに投影された共産党批判のメッセージ(Xに投稿された動画より・時事) 【北京時事】中国内陸部の重慶市で、3日の「戦勝80年」記念日直前、ビルの壁面に習近平指導部を批判する巨大なメッセージが投影された。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)などが5日までに報じた。 【特集】「弱い者がさらに弱い者をいじめる」 無差別殺傷が頻発する中国の伝統と国民性 8月29日夜、「共産党がなくなってこそ新しい中国がある」「赤いファシストを打倒し、共産党の暴政を打ち負かそう」といったメッセージが、約50分にわたり次々と映し出された。向かいにあるホテルの一室からプロジェクターで投影され、画像がX(旧ツイッター)に投稿された。 同紙によると、実行したのは同市近郊出身の男性で、ホテルの部屋

    ビルに共産党批判のメッセージ 戦勝記念日直前に―中国・重慶:時事ドットコム
  • 中国が軍事力を誇示、朝ロ首脳も出席 戦勝80年記念式典を1分半で - BBCニュース

    第2次世界大戦における日の正式な降伏から80年を迎えた3日、中国の北京で戦勝記念式典と軍事パレードが行われた。

    中国が軍事力を誇示、朝ロ首脳も出席 戦勝80年記念式典を1分半で - BBCニュース
  • インドネシア大統領、一転参列 中国軍事パレード、「強い要請」受け:時事ドットコム

    インドネシア大統領、一転参列 中国軍事パレード、「強い要請」受け 時事通信 外信部2025年09月03日10時29分配信 インドネシアのプラボウォ大統領=8月31日、ジャカルタ(AFP時事) 【ジャカルタ時事】インドネシアのプラボウォ大統領が3日、中国・北京での「抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年」記念日の軍事パレードに急きょ参列した。もともと招待を受けて訪中を予定していたが、国内の反政府デモ激化を受けて8月末に中止を発表。その後、中国側からの「強い要請」を受けて翻意したという。 デモで混乱、20人不明 人権団体、情報募る―インドネシア 大統領府によると、プラボウォ氏は2日夜にジャカルタの空軍基地を出発。3日夜には帰国する。訪中後に予定していた日訪問は見送られる見通しだ。 国際 政治 最終更新:2025年09月03日13時32分

    インドネシア大統領、一転参列 中国軍事パレード、「強い要請」受け:時事ドットコム
  • 「日本は戦争しなければよかった」とはいうけれど、じゃあどこまで時間を巻き戻せば戦争を回避できたのだろうか?→さまざまな「もしも」が寄せられる

    更科悠乃@小説「快傑令嬢リロット」ただいま連載中!@空想科学小説作家 @yuno_sarashina 『戦争をしなければよかった』とはいうけれど、昭和16年の御前会議の時点で戦わない選択肢選んでも石油の全面禁輸措置らってるから時すでにお寿司やからな。どこまで時間を巻き戻せばいいのだろうか? 2025-08-17 12:55:05 滝野川守(たきのがわのかみ) 🇯🇵support🇺🇦 @takitandai18m54 @yuno_sarashina 南満鉄をアメリカと共同経営してアメリカとの良好な関係を維持、日英同盟の維持ですかね。ただ戦略眼の無い軍人が軍部内に跋扈している限り、国際協調外交を採りたくても515や226みたいなクーデターの危険は常につきまといそう。それか日露戦争で負けて莫大な賠償金払い続けて戦争自体不可能にするとか 2025-08-17 15:27:10 名無し岩手

    「日本は戦争しなければよかった」とはいうけれど、じゃあどこまで時間を巻き戻せば戦争を回避できたのだろうか?→さまざまな「もしも」が寄せられる
  • 【読書感想】続・日本軍兵士―帝国陸海軍の現実 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

    続・日軍兵士―帝国陸海軍の現実 (中公新書 2838) 作者:吉田 裕中央公論新社Amazon Kindle版もあります。 続・日軍兵士―帝国陸海軍の現実 (中公新書) 作者:吉田裕中央公論新社Amazon アジア・太平洋戦争で約230万人の軍人・軍属を喪った日。死者の6割は戦闘ではなく戦病死による。この大量死の背景には、無理ある軍拡、「正面装備」以外の軽視、下位兵士に犠牲を強いる構造、兵士たちの生活・衣住の無視があった。 進まない機械化、パンをめぐる精神論、先進的と言われた海軍の住環境無視……全面戦争に拡大する日中戦争以降、それらは露呈していく。 書は帝国陸海軍の歴史を追い、兵士たちの体験を通し、日軍の質を描く。 太平洋戦争の実態を検証し、「日軍」のイメージと実態の乖離を新書で広い範囲の人に伝えた『日軍兵士』の続編です。 fujipon.hatenadiary.com

    【読書感想】続・日本軍兵士―帝国陸海軍の現実 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
  • 世界はどのように第2次大戦の終結を祝ったのか 当時の映像で振り返る - BBCニュース

    ヨーロッパにおける第2次世界大戦は1945年5月に終結したが、イギリスやアメリカ、英連邦諸国などは、その後も東アジアで日との戦闘を続けた。 日との戦争では、イギリスおよび英連邦の兵士約7万1000人が死亡した。そのうち1万2000人以上は、日の捕虜収容所で死んだことが明らかになっている。

    世界はどのように第2次大戦の終結を祝ったのか 当時の映像で振り返る - BBCニュース
  • 敗戦から80年 - 内田樹の研究室

    敗戦後80年が経った。敗戦の記憶が遠ざかるにつれて、敗戦が日人にもたらした生々しい知見が失われつつある。それは何だろうか。歴史資料を渉猟するには及ばない。私が思い出すのは小津安二郎の映画の中の二つの台詞である。 一つは『彼岸花』で佐分利信がつぶやく言葉。芦ノ湖のほとりで、(田中絹代)が戦時中防空壕で一家四人必死に抱き合っていた時を思い出して、往時を懐かしむのを遮って、夫(佐分利信)が吐き捨てるように言った言葉である。「俺はあの時分が一番厭だった。物はないし、つまらん奴が威張っているしねえ。」 もう一つは『秋刀魚の味』。かつての駆逐艦艦長(笠智衆)が戦争を回顧して「負けてよかったじゃないか」と微笑する。それを聴いて一瞬怪訝な顔をしたかつての水兵(加東大介)が「そうですか。そうかも知れねえな。馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね。いや、艦長、あんたのことじゃありませんよ」と応じる。 たぶ

  • 太平洋戦争で捕虜となった男の「終戦の日」

    太平洋戦争で捕虜となり、オーストラリアの収容所で暴動に加わるが生き延びた男が迎えた「1945年8月15日」 今年は戦後80年。昭和20(1945)年8月15日正午、天皇自らが全国民に語りかける「玉音放送」で、戦争終結が伝えられた。日政府はこの日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定め、東京の日武道館で毎年、全国戦没者追悼式が挙行されるのをはじめ、全国各地で戦没者、戦争犠牲者の追悼行事が行われている。 ここでは、私がこれまで30年にわたってインタビューしてきた、最前線で戦っていた海軍軍人だった人たちそれぞれの「8月15日」を振り返り、シリーズで紹介しようと思う。なお、証言者の多くは、残念ながら鬼籍に入っている。 この連載を第1回から読む:<明確な「国際法違反」の指示に困惑…「パナマ運河攻撃」の途上、太平洋上で終戦を迎えた日海軍の「潜水空母」> 二度と帰れるはずのなかった故国の土を踏ん

    太平洋戦争で捕虜となった男の「終戦の日」
    dazed
    dazed 2025/08/04
    カウラ事件生存者のインタビュー記事。暴動の際の投票について「いまも民主主義とは言っても、選挙には同じ危うさがつきまとうんやないでしょうか」との言葉が重い
  • なぜ「満洲事変」は起きたのか…その背景にあった、知られざる「第一次世界大戦の影響」

    戦後80年を迎え、私たちは「あの戦争」とどのように向き合えば良いのでしょうか。 日はどこで「間違えた」のか。そもそもいつ始まったのか。掲げた理想はすべて誤りだったのか。「大東亜」は日をどう見ていたかーー。 7月17日発売『「あの戦争」は何だったのか』(講談社現代新書)著者の歴史家・辻田真佐憲さんが、右でも左でもない「戦争の全体像」を描き出すために、素朴な疑問から「あの戦争」を問い直します。 (※記事は、辻田真佐憲『「あの戦争」は何だったのか』の一部を抜粋・編集しています) パリ講和会議においては、民族自決の原則を掲げるかたちで、オーストリア=ハンガリー帝国やオスマン帝国の解体などが行われ、多くの民族国家が新たに誕生することとなった。しかし、この原則は、東ヨーロッパ地域に限定されて適用された。アジアやアフリカにまで広げてしまえば、列強が保有する植民地の独立を正当化することになりかねなか

    なぜ「満洲事変」は起きたのか…その背景にあった、知られざる「第一次世界大戦の影響」
    dazed
    dazed 2025/07/23
    “辻田真佐憲『「あの戦争」は何だったのか』”
  • 戦争の現場にいた、軍人ではない人間の視線

    「状況芳しくなく、腹は決まっています」 「これが最後の通信になるかもしれません」 「足の悪い者や病人は濁流の中に呑まれて行く」 最前線、爆弾投下、連絡員の死、検閲……何が写され、何が写されなかったのか? 新刊『戦争特派員は見た――知られざる日軍の現実』では、50点以上の秘蔵写真から兵士からは見えなかった〈もうひとつの戦場〉の実態に迫る。 (記事は、貴志俊彦『戦争特派員は見た――知られざる日軍の現実』の一部を抜粋・編集しています。秘蔵写真の数々は書籍でお楽しみいただけます) プロローグ戦後80年——私たちは戦争の姿をどれだけ知っているだろうか。 書は、戦時下の報道体制のもとで従軍特派員が残した写真や記事を手がかりに、戦争の時代をこれまでにない視点から浮かび上がらせることを目的としている。 具体的には、前線に身を置きながら、戦場を飛び回って取材をつづけた特派員の視点を通じて、戦争そのも

    戦争の現場にいた、軍人ではない人間の視線
    dazed
    dazed 2025/07/23
    “貴志俊彦『戦争特派員は見た――知られざる日本軍の現実』”
  • 大平洋戦争で初の「玉砕」と発表されたことで知られるアッツ島ですが、占領時の島民の運命を本日まで知りませんでしたー一つの文化を破壊した戦争|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)

    大平洋戦争で初の「玉砕」と発表されたことで知られるアッツ島ですが、占領時の島民の運命を日まで知りませんでしたー一つの文化を破壊した戦争人にはまるで関心を持たれていなかったアリューシャン列島のアッツ島に、日軍が上陸したのは1942(昭和17)年6月6日から8日にかけてでした。そして戦略拠点としては価値の低いアッツ島、キスカ島占領が当時、大々的に報道されています。こちら、同年6月11日の読売新聞です。 横ぶちぬきの見出しで「米の対日北方攻撃地点破砕」と列島の所要点を確保、とあり、これがアッツ島の上陸占領でした この紙面、実はミッドウェー海戦の報道です。アリューシャン列島攻撃はミッドウェー作戦の牽制作戦として行われたのですが、主作戦たるミッドウェー島攻略・米機動部隊撃滅という2つの目的はいずれも達成できず、逆に日は主力空母6隻中、この時出撃した4隻全空母と搭載機すべてを失う大敗北。米

    大平洋戦争で初の「玉砕」と発表されたことで知られるアッツ島ですが、占領時の島民の運命を本日まで知りませんでしたー一つの文化を破壊した戦争|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
  • 東京大空襲とは 1945年3月10日発生 なぜ約10万の遺骨の名前がわからず 遺族に返還されないのか?| NHK

    1945年3月10日の東京大空襲。 犠牲者は、推定で10万人以上にのぼりました。 実は80年たっても犠牲者の遺骨のほとんどは名前がわかっておらず、今も、都内の施設に安置されています。 いったいなぜ?そのカギとなる資料を独自に入手しました。 母と弟の遺骨はどこに… (※戦争の実態を伝えるため遺体の画像を掲載しています。) 河合節子さん(85歳)は、東京大空襲で母親と2人の弟を亡くしました。 1945年3月10日未明、東京が大規模な空襲に見舞われました。大量の焼夷弾(しょういだん)が投下され、木造家屋が密集した下町では大火災が発生しました。 東京が空襲を受けたエリアを示した地図です。 河合さんの家族が住んでいたのは現在の江東区。3月10日の大空襲で甚大な被害が出ました。 家族で生き残ったのは疎開していた河合さん。そして炎の中やけどを負いながら一命を取り留めた父親でした。後に父親は亡くなった3人

    東京大空襲とは 1945年3月10日発生 なぜ約10万の遺骨の名前がわからず 遺族に返還されないのか?| NHK
    dazed
    dazed 2025/03/09
    “遺族から「戦災者慰霊塔」を建立したいという要望があったものの、都として応じない方針が書かれています。その理由として挙げているのが、GHQの指導方針。「日本國民に戦争を忘れさせたいのである」”