函館旅行の醍醐味はやはり海鮮。日中の観光が終わったら、美味しい海鮮に舌鼓をうちながらお酒を飲みに出かけたいですよね。 今回は、函館出身・函館在住のライターがおすすめする、海鮮居酒屋をご紹介。地元民が食べに訪れるお店は外れません! ぜひ参考にしてください。
【乙部】道南の飲食店などが集まるイベント「to be O market(トゥ・ビー・オー・マーケット)」が30日午前10時から午後3時まで、町北部の町栄浜ふれあいセンターで開かれる。1月以来となる2回目の開催で、今回は新たに熱気球の搭乗体験も行う予定だ。...
函館工業高環境土木科2年の青山拓実さん(17)が、高校生にとっては難関とされる国家資格「測量士補」に合格した。同高から合格者が出るのは2年連続。青山さんは「見たことのない問題が解けるようになるのが面白かった」と笑顔で振り返る。...
「子供ものづくり教室」が23日、道立函館高等技術専門学院(函館市桔梗町)で開かれた。市内外から小学生約40人が訪れ、丸いすやフィギュアなどの製作に取り組んだ。...
函館市から長崎市に本年度の平和大使として派遣される中学生4人の任命式が20日、市役所で行われた。新型コロナウイルス禍の影響で派遣は4年ぶり。市民から寄せられた折り鶴を手に、8月9日に開かれる平和祈念式典に参加する。...
奥尻島リポート/7 230人が犠牲となった1993年7月の北海道南西沖地震から30年。その後、何度も全国各地を襲う災害があった。奥尻島は5年で「完全復興」を宣言したが、北海道大大学院地震火山研究観測センターの高橋浩晃教授(52)は警鐘を鳴らす。「奥尻島のような復興はもう望めない。復興を放棄する地域も出てくるだろう」【聞き手・真貝恒平】 南西沖地震で壊滅的な被害を受けた奥尻島はわずか5年で「完全復興」を宣言した。当時はバブル経済が崩壊したとはいえ、まだその名残があり、国も被災地の復興に潤沢な予算を投入することができた。 2011年の東日本大震災後は、なんとか復興に必要な費用とマンパワーをつぎ込むことができた。だが、震災から10年以上が経過し、国も自治体も財政力の脆弱(ぜいじゃく)化が著しい。地域のために国が十分な国費を投入することは厳しくなっている。 南西沖地震からの30年で社会情勢は大きく
旧函館区公会堂など、歴史的建造物が多く残る函館。まるでタイムスリップしたかのような異国情緒漂うレトロな街歩きが堪能できますが、グルメの進化はとどまることを知りません。今回は函館の新定番をたっぷりご紹介します。 最初に訪ねたのは、重要文化財 旧函館区公会堂近くに2022年にオープンした「ジョリージェリーフィッシュ 元町公園店」。 本店は函館中心部から車で20分ほどと観光地から少し離れた場所にあるため、観光客にも名物を味わってもらいたいとこの場所に2号店を開店したんだそう。 名物は、ピラフの上に豪快にステーキをトッピングし、函館の名産トラピストバターをふんだんに使用したしょうゆベースのソースをかけた「ステーキピラフ」こと「ステピ」。 最近では、函館の「ソウルフード」とも言われていますね! このステピがさらに進化したんです。
ちょうど20年前、国際学術組織DOCOMOMO(ドコモモ)の「日本の近代建築100選」に、札幌市南区の住宅が選ばれた。建築家、上遠野徹(かとの・てつ、1924~2009年)の自邸。道内からの選出はこのほか、佐藤武夫が設計し、日本建築学会賞も受賞した旭川市総合庁舎(1958年築)のみだった。 北国のモダニズム建築を極めたとされる上遠野は、実は函館生まれ。道庁立函館工業学校(現函館工業高)建築科で学び、市内の邸宅見学で「住宅への関心が芽生えた」と、のちに回想している。福井高等工業学校(現福井大)を経て戦闘機関連の工場に就職。この頃、フランク・ロイド・ライトの弟子アントニン・レーモンドの設計図集に夢中になる。...
【森】23日午前11時ごろ、町内森川町の町道脇にクマ1頭がいるのを車で通りかかった女性が目撃し、森署に通報した。同署によると、クマは体長1メートルほどで、すぐに沢の方に立ち去ったという。現場は最寄りの住宅から約100メートルほどの場所で、同署は注意を呼びかけている。
【上ノ国】23日午前8時15分ごろ、町内館野の住宅敷地内に体長約1メートルのクマ1頭がいるのを近くに住む男性が目撃し、江差署に通報した。同署によると、男性は屋外で作業しており、通報するため自宅に入るとクマは立ち去っていたという。同署は現場付近をパトロールし、周囲の住民らに注意を呼びかけた。
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