今春の統一地方選で注目すべきが、北海道の函館市長選だ。俳優の大泉洋さんの兄が出馬表明したのも興味深いが、他にもある。対岸で建設中の電源開発大間原発(青森県)を巡り、建設差し止めを求める訴訟を主導するのが現市長で、4選を目指す彼を推すのが自民党の地方組織。翻って党総裁の岸田文雄首相は原発活用に前のめりだ。「ねじれ」を想起させる現状をどう捉えるべきか。函館市長選を通し、原発論議のあるべき姿を考えた。(岸本拓也、山田祐一郎)
北欧・フィンランド発祥のスポーツ「モルック」の人気が高まっている。ここ数年で競技人口が急激に増加し、来年8月には北海道函館市でアジア初の世界大会が開かれる。一方、公園の使用に苦情が寄せられたり、中心団体が人手不足に陥ったりして、急速な普及に伴う問題も起き始めた。広く市民権を得ることができるのか、新たな段階を迎えている。(宮畑譲)
性的マイノリティーの支援や相談に当たる人材の育成へ、NPO法人「共生社会をつくるセクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク」共同代表理事の原ミナ汰(た)さん(65)=函館市=らが講師を務める講座が来年一月から、川崎市で開かれる。原さんに、育成にかける思いを聞いた。(竹谷直子) 原さんは出生時は女の子と登録されたが、性自認は男女に当てはまらない「Xジェンダー」。小さい頃から自覚し悩んできた。大人になり性的マイノリティーの仲間は増えたが、パートナー同士のトラブルなどが起きた際の相談先がほとんどないと感じてきた。「八〇年代には、理解ある弁護士一人を見つけるのも難しかった」と明かす。 公的な相談機関では「そんな人(性的マイノリティー)はいない。当事者であることを言うな」と誤った対応もあった。「小さい頃から『おかしい』『直しなさい』といろんな局面で自分のありようを否定され、相談してもこれでは、孤
勝浦市から提供された第九青函丸船影の写真=出典「青函連絡船60年のあゆみ」(1968年、青函船舶鉄道管理局) 太平洋戦争末期、津軽海峡への就航目前、勝浦沖で座礁、沈没した青函連絡船「第九青函丸」の研究が近年、青函連絡船の乗組員OBでつくる「青函連絡船史料研究会」の手で進められている。戦局悪化に伴い、安全性を落としてまで建造した結果、海の藻屑(もくず)となった悲劇の船。OBらは「津軽海峡を見ずに沈んだ青函連絡船のことを忘れないでほしい」と願う。 (山田雄一郎) 第九青函丸は、戦時中、北海道-本州の鉄道輸送のため、津軽海峡を往復する青函連絡船の増便が必要となり、一九四五年二月十五日、神奈川・浦賀で完成。同二十七日、函館へ向け横浜港を出て、護衛の海防艦「四阪(しさか)」が先導し、房総半島南端を北上する最中に「関東の鬼ケ島」と呼ばれる勝浦沖の暗礁に乗り上げ、沈没した。当時の勝浦町民らが遭難者の救助
江戸時代から明治時代にかけ日本海中心に交易を担った商船、北前船の歴史などを記した書籍八十三冊を寄贈したとして、石川県加賀市役所は十三日、横浜市都筑区の森紀元さん(78)に感謝状を贈った。書籍は加賀市中央図書館に収めて研究に役立てるほか、一般への貸し出しもする。 森さんの母で昨年八月に亡くなった和子さんが、北前船主の子孫にあたる。和子さんは全国で書籍の収集など研究を進め、加賀市をたびたび訪れていた。森さんは「母にとって加賀は第二のふるさと」とゆかりの地への寄贈を申し出た。 「海商三代 北前船主西村屋の人びと」など一族の歴史を記した書籍をはじめ、「函館市史」など北前船を通じて加賀市と関係の深かった地域の資料もある。加賀市役所で同日、贈呈式があり、森さんは「感謝状は母の墓前に供えたい」と話し、宮元陸市長は「大変貴重な資料ばかり。本当にありがたい」と感謝した。
北海道奥尻町(奥尻島)の町立奥尻高校が来年度、全国から生徒を募集することを決め、来月二日に都内で説明会を開く。同町は一九九三年七月の北海道南西沖地震で津波の被害に遭い、死者・行方不明者百九十八人を出した。復興は果たしたものの、過疎化の流れは止まらないまま。学校関係者は「若者が増えれば島全体が活気づく。島の未来をかけている」と訴えている。 (上田千秋) 募集するのは、来年四月の新入生の定員四十人のうち半分の二十人。従来は、町内と道南西部の檜山地方の生徒しか受験できなかったが、通学区域規則を改定。全国どこからでも受験できるようにした。 地震で壊滅的打撃を受けた町は、移転や盛り土、緊急避難用の高台を整備するなどし、少しずつ、時間をかけて再建してきた。ただ、人口は減り続け、地震前の九三年六月に四千七百十一人だったのが二千八百十人にまで減少。今年一月の六十五歳以上の高齢化率も36・1%と、道全体の2
七月下旬、午前六時。函館山の麓にスピーカーの声が響く。岡本一信さん(48)の移動販売車が、海を見おろす坂道をゆっくりと下っていくと、待ちかねた住民が次々に集まってきた。
「道民の悲願」という北海道新幹線が部分開業し、新幹線が初めて北の大地を走る。観光面の期待は大きいが当初は赤字が続く。赤字在来線も抱えるJR北海道は、どう経営を再建するのか。 新幹線に乗る機会のなかった道民も多く、四十年がかりの悲願実現に地元は祝福ムードだろう。ただ、この間に格安航空の台頭など環境は大きく変わった。昨年の北陸新幹線金沢ルート開業ほどの成功は見込めない現実がある。 今回開業するのは新函館北斗-新青森間の百五十キロ弱だ。新青森で東北新幹線と接続して東京まで直結となるが、所要時間は最速でも四時間二分かかる。新幹線か飛行機かを選ぶ目安とされる「四時間の壁」を破れなかった。加えて函館市街地までは空港の方が新幹線駅より近く、時間的に空路の優位は明らかだ。
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