1907年9月15日(日) 9月11日モロッコのドリュド将軍からの朗報を伝える下記の内容の電報がパリに届いた。 《今朝、霧と地勢のおかげで幸いにも我々はタデール(Taddert)を急襲することができた。モロッコ軍の陣営は燃やされ、軍勢はバラバラになった。我が軍と戦艦「栄光」(Gloire)からの協同砲撃が功を奏して敵軍は攻撃に持ちこたえることができず、追い払われた。当方の被害は、戦死者1名、負傷者6名のみであった。》 アラブ人たちは反攻を企てたが、30分間の戦闘の後に撃退された。彼らは陣営が破壊されるのを知るや、周辺の農場に火を放ち、彼らの陣営では解体されずに残ったテントは一つもなかった。火災は非常に多くの毛皮を燃やしてしまったが、テントの中には高価な金品は何も見つからなかった。彼らがカサブランカで略奪した戦利品はあらかじめ内陸に向けて運び出されたものと思われる。 9月15日、ドリュド将軍