出雲大社(いづもおおやしろ/いずもおおやしろ)は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社。祭神は大国主大神[1]。式内社(名神大)、出雲国一宮で旧社格は官幣大社[2]。神社本庁の別表神社[2]。宗教法人出雲大社教の宗祠。 二拝四拍手一拝の作法で拝礼する[3]。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。 名称[編集] 古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」[4]、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある[5](前者は現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混在、後者は現代仮名遣い)。歴史的仮名遣いでは「いづもおほやしろ」となる。 一般的には「いづもたいしゃ」と読まれており[4]、複数の辞書・事典でも見出しの読みを「いずもたいしゃ」としている[
石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)。上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる[1]。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれた。明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱された。本項では石見銀山の概要と歴史、および2007年に登録された世界遺産としての石見銀山についても言及する。 概要[編集] 鉱脈は石見国東部、現在の島根県大田市大森の地を中心とし、同市仁摩町や温泉津町にも広がっていた。日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44年)に国によって史跡に指定。2007年(平成19年)6月28日にニュージーランドのクライストチャーチで開催されていた第31回世界遺産委員会でユ
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