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ブックマーク / nogawam.blogspot.com (22)

  • kokubo 氏の“反論”について(2)

    この記事が書かれた経緯については「kokubo 氏の“反論”について(1)」を参照されたい。ここでは朴裕河氏がFacebookのポストで引用した kokubo 氏の主張をとりあげる。kokubo 氏のポストを直接閲覧できないのは残念であるが、朴裕河氏が自身の責任において『帝国の慰安婦』批判への反論として紹介したものであるから、引用された限りの主張について検討することにする。なお、反論の対象となっているのは当ブログの記事「歴史修正主義は何によってそう認定されるか」である。 問題の記事で私が指摘したのは、「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」(『帝国の慰安婦』104ページ)と主張する際に、朴裕河氏が元日軍兵の証言を恣意的につまみいしている、ということであった。ここでまず確認しておかねばならないのは、「民間人が勝手に営業し

  • kokubo 氏の“反論”について(1)

    去る4月22日、朴裕河氏はツイッター及びFacebookにおいて、kokubo 氏が私に対して行った”反論”(後にみるように反論の体をなしていないので引用符でくくってある)を紹介した。朴裕河氏からの直接の反論ではないが、彼女は kokubo 氏の書いたものについて「その通りだと思った」とのことである。 朴裕河氏が紹介した kokubo 氏の”反論”は3つある。2つは氏が自身のブログで公表したものであり、残る1つはFacebookのポスト(「友達」限定公開なのか、私は閲覧できない)を朴裕河氏が自身のポストで転載したものである。ここではまず、2つのブログ記事について見てみることにしよう。 ・「河を渡っている慰安婦の写真は「朝鮮人慰安婦」である〜能川元一氏に反論する」(2015年12月29日) ・「この能川元一氏の『帝国の慰安婦』批判は最初で最大の間違いである。〜能川元一氏に反論する」(2016

    kokubo 氏の“反論”について(1)
  • 歴史修正主義は何によってそう認定されるか

    誤解されがちなのですが、歴史修正主義的な主張は「結論が通説と違うから」とか「日軍を美化しているから」といった理由で「歴史修正主義的だ」と判断されるわけではありません。神ならぬ私たちは歴史記述それ自体だけをとりあげて「これは史実に合致している」とか「史実に反している」と判断することはできないからです。肝心なのはむしろある歴史記述(と主張されているもの)がどのような方法で導き出されているか、です。史料の取捨選択やその解釈、史料からの推論などがまったく妥当性を欠いている場合に「偽史」とか「歴史修正主義」という判断が下されるわけです。「おかしな結論」が出てくるのは「おかしな方法」が用いられているからなのです。一定の合理性を備えた方法によって導き出された歴史記述同士の対立は学術的な議論の対象になりますが、歴史修正主義は「疑似科学」の一種であって「歴史学の内部における、通説への挑戦」ではありません。

  • 見開き図版、綴じ(ノド)部分について

    『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(能川元一+早川タダノリ、合同出版、2015年9月)に掲載された図版のうち、見開きで掲載されているため綴じ(ノド)部分が判読しにくくなっているものが少なからずあります。以下、隠れている綴じ部分のみを掲載いたします。 ・図1-1 ・図1-2 ・図1-6 ・図1-9、1-10 ・図1-12 ・図2-1 ・図2-5 ・図2-6、2-7 ・図2-8 ・図3-3 ・図3-4 ・図3-9、3-10 ・図3-11 ・図4-6、4-7 ・図4-8

  • 「慰安婦」問題否認論と痩せ細った「自由」

    南京大虐殺否定論と日軍「慰安婦」問題否認論との間には共通点が多々ありますが、かなり重要だと思われる違いもあります。後者の場合、「まさに日軍『慰安所』制度が性奴隷制であった」ことを示す文書を得意げに持ち出して旧日軍を弁護しようとする現象が非常にポピュラーなのですが、前者についてそういうケースはあまり記憶にありません。日軍「慰安婦」問題の場合、ある事実の存否をめぐる争い以上に存否については争いのない事実についての理解の違いが焦点となることが多いということです。 例えば否認派は「廃業を許可する規定があった」とか「外出を許可されたとこの文書に書いてある」などと主張します。廃業や外出に「許可」が必要であったという事実こそ、軍「慰安所」制度が性奴隷制とされる所以なのですが。その点を指摘されると「働かなければっていけないのは我々だって同じだ」とか「会社員だって勤務中に勝手に出かけることはできな

  • 『憎悪の広告』図版関連データ(非公式版)

    『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(能川元一+早川タダノリ、合同出版、2015年9月)に掲載された図版について非公式に集計したデータです。 ・総図版数=146点 うち複数の章で重複して用いられているものが5点あるので実質は141点。 ・『正論』の広告が59点、『SAPIO』の広告が41点、『諸君!』の広告が38点、その他が3点。 臨時増刊号を除外して計算すると、『正論』と『諸君!』については調査対象期間(ただし『諸君!』は2009年に廃刊)の広告の2割超をカバー。『SAPIO』は2012年11月号以前は月2回刊だったため母数が大きく、1割程度の収録率。 ・1994年〜1999年のものが26点、2000年〜2004年が40点、2005年〜2009年が38点、2010年以降が37点。 ・広告にレイアウトされた肖像写真の数。(  )内は寄稿者として登場している号の数

  • 『憎悪の広告』(合同出版)、まもなく刊行です

    『神国日のトンデモ決戦生活』(合同出版/ちくま文庫)等の著書がある早川タダノリさんとの共著、『憎悪の広告−−右派系オピニオン誌 「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』が合同出版より9月上旬に刊行されることとなりました。 http://www.godo-shuppan.co.jp/products/detail.php?product_id=481 全208ページで141点の図版(うち139点が右派論壇誌の新聞広告)を掲載、広告に踊るコピーを通して右派論壇の20年史を描き出そうとする試みです。 に盛り込めなかった情報などは当ブログやツイッターなどでおいおい補足させていただく予定です。

  • 「未来のための歴史パネル展」プロジェクトについて

    今、日では過去の侵略や加害の歴史を軽視したり、なかったことにしたりしようとする、歴史修正主義の動きがさかんになっています。テレビ、書籍、新聞、雑誌といったメディアでも、政治の場でも、過去の歴史を都合よく解釈し「日はつねに正しかったのに、不当に攻撃されている」とする主張がよく見られます。市民会館などの公共施設でこうした意見を広めるパネル展を多くおこなっている団体もあります。こうした動きはアジアの国々や人々や、外国とのつながりを持つ、日で暮らす人々への敵意や憎悪を煽ったり、差別と偏見を強めたりします。 私たちは、こうした状況を見過ごすことはできない、と決心しました。私たちは、人が差別されたり追放されたりする社会を望みません。人と人、国と国が対立し争い合う未来を望みません。未来は、過去の歴史をきちんと認識することによってしか開けません。多数派の人々にとって心地のよい物語だけが語られる社会に

  • 『帝国の慰安婦』における植民地/占領地の二分法について/『帝国の慰安婦』私的コメント(4)

    1. 『帝国の慰安婦』における「植民地/占領地」図式 日軍「慰安婦」とされた女性たちの境遇が多様であったこと、その多様性をもたらす要因の一つが女性の国籍およびエスニィシティであったことは先行研究においても指摘されてきたことである。その限りでは、「植民地出身の慰安婦」と「占領地出身の慰安婦」の区別そのものは目新しいものではない。『帝国の慰安婦』の特徴は植民地/占領地という区別を強調することにより、占領地出身の「慰安婦」は「厳密な意味では『慰安婦』とは言えない」(45ページ)とまで主張するところにある。 では植民地出身の(というより朝鮮人の)「慰安婦」と占領地出身の「慰安婦」の違いとは何か? 『帝国の慰安婦』によれば、その違いは「そこで朝鮮人は『日人』でもあった」(57ページ)こと、他民族の「慰安婦」とは異なり「〈故郷〉の役割」(45ページ)や「女房」(71ページ)としての役割、「精神的『

  • 千田夏光氏の「時代的拘束」について

    『帝国の慰安婦』は「いわゆる『慰安婦問題』の発生後の研究や発言が、『日軍』をめぐる過去の解釈にとどまらず、発話者自身が拠って立つ現実政治の姿勢表明になった」とし、1973年に『〝声なき女〟八万人の告発−−従軍慰安婦』(双葉社)を刊行した千田夏光氏については「そのような時代的な拘束から自由だった」であろうとしている(いずれも26ページ)。73年に書かれたが91年以降の「時代的な拘束」をまぬがれているのは当然であり、またそれゆえに一定の意義を持つであろうことは確かだろうが、逆に千田氏は千田氏で彼自身が属した時代に「拘束」されてもいたはずである。 例えば双葉社版97-98ページ、講談社文庫版122ページには元関東軍参謀原善四郎氏と千田氏との対話の形で次のようなやりとりが記されている。 (前略) 「すると、朝鮮人女性は兵隊の精神鎮痛剤もしくは安定剤だったのですね。日人の女性を集めることは考え

  • かつて自分が援用した資料を否定する秦郁彦氏

    秦郁彦氏が日軍「慰安婦」の総数についての推定を下方修正し続けてきた歴史についてはすでに多くの方が指摘している。だが3月17日に日外国特派員協会で行った会見で、秦氏は他にも過去の自分の著作を否定するかのような発言をしている。マグロウ・ヒル社の歴史教科書に、「慰安婦」が「天皇からの贈り物である」という記述があることについて、秦氏は「国家元首に対する、あまりにも非常識な表現だろうと思います」と述べた。だが1999年の著作『慰安婦と戦場の性』は『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』(曾根一夫、白石書店、1993年)を援用し、「慰安所」に行こうとする兵士たちに上官が「大元帥陛下におかせられましては、戦地に在る将兵をおいたわりくだされて、慰安するための女性をつかわしくだされ……」と訓示した例があることを紹介している(74ページ)。秦氏はこの事例について「隊長たちは、部下兵士たちに慰安所を使わせる名

  • 『帝国の慰安婦』の驚くべきアナクロニズムについて/『帝国の慰安婦』私的コメント(3)

    『帝国の慰安婦』は41ページで森崎和江の『からゆきさん』(朝日新聞社、1976年)から次のような引用を行っている。傍点を下線に改めた。 女たちは野戦郵便局から日々ふるさとへ送金した。送られる金は、はじめのうちは一人一日百円以下は少なくて、四、五百円のものもいるというぐあいだったが、やがて国内の娼妓と同じ苦境におちいった。女たちの数がますますふえていったためである。これらの店にあがることもできない兵士や労働者たちを客とする私娼窟もふえた。(森崎、一五五頁) この引用の第一の問題点は、引用文中にある傍点(ここでは下線)が森崎の原文には存在しない、ということである。傍点が引用者によるものだという断り書きもない。『帝国の慰安婦』には千田夏光の著作からの引用に際しても無断で傍点を付した箇所が複数ある。いずれも、研究者にあるまじきルール違反である(注1)(注2)。 しかし問題点はそれだけではない。著者

  • 『帝国の慰安婦』における「平均年齢25歳」の誤り/『帝国の慰安婦』私的コメント(2)

    『帝国の慰安婦』が「〈慰安婦=少女〉のイメージ」(64ページ)を批判するために援用している資料の一つが、有名な「日人捕虜尋問報告 第49号」である(153ページにも資料名は記されていないが、おそらくはこの尋問報告が念頭におかれている記述がある)。もっとも、『帝国の慰安婦』巻末の参考文献には、この尋問報告も収録された『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』が挙げられているにもかかわらず、「平均年齢は二五歳」という一句が船橋洋一の『歴史和解の旅』(朝日選書)から孫引きされている。ここで朴裕河が尋問時の年齢と「慰安婦」にされた/なった時の年齢とを区別せずに論述していることについては、すでに yasugoro_2012 さんが指摘されている。しかしこれ以外にも、この資料の扱い方の問題点はいくつかある。 まず厳密に言えば尋問報告書には「平均年齢は二五歳」ではなく「平均的な朝鮮人慰安婦は二五歳くらい」

  • 1991年のある投書

    1991年の7月30日、すなわち植村隆氏による金学順さんに関する最初の記事が掲載されるわずか10日前ほどの『朝日新聞』(大阪社)朝刊の「女たちの太平洋戦争」欄に、次のような投書が掲載されていた。投書の主の氏名は伏せるが当時74歳の在日コリアン男性である。 欄によれば「大阪M遊郭から来た慰安婦もいたから、金に買われた女性も多い」とあったが、彼女らは軍人の慰安婦になるため身を売ったのではない。年配の方なら彼女たちの境遇は理解出来ると思う。ちなみに朝鮮人の娘たちは強制連行である。 どちらにしても、この女性たちは日軍のなぶりものにされ、慰安婦という不浄なレッテルを張られたまま使い捨てにされ、その後の詳しい消息は今も不明のようである。かろうじて生き延びた女性が今は老女となり、日国に何人かいると聞くが、この老女たちは過去の忌まわしい出来事を語ろうとはしない。 (中略) 時には日人から「侵略も

  • 「和服・日本髪の朝鮮人慰安婦の写真」とは?/『帝国の慰安婦』私的コメント(1)

    『帝国の慰安婦』(朴裕河、朝日新聞出版、2014年)については「慰安婦」問題をめぐる報道を再検証する会のブログでも情報発信をしてゆく予定になっているが、こちらのブログではあくまで私個人の責任においていくつかコメントしていきたい。 まず最初にとりあげたいのは、『帝国の慰安婦』の24ページで言及されているある写真について、である。著者はその写真について、次のように言っている。 「占領直後とおぼしい風景の中に和服姿で乗り込む女性。中国人から蔑みの目で見られている日髪の女性」。おそらくこの言葉が、あの十五年戦争における「朝鮮人慰安婦」を象徴的に語っていよう。なぜ朝鮮人慰安婦が、「日髪」の「和服姿」で日軍の「占領直後」の中国にいたのか。そしてなぜ「中国人から蔑みの目で見られてい」たのかも、そこから見えてくるはずだ。 これまでの慰安婦をめぐる研究や言及は、このことにほとんど注目してこなかった。し

    「和服・日本髪の朝鮮人慰安婦の写真」とは?/『帝国の慰安婦』私的コメント(1)
  • 「見なかった」証言の詐術

    『産経新聞』が連載「歴史戦」の第9部で「兵士たちの証言」を引き合いに出して南京大虐殺否定論を展開しています。2月15日の第1弾では熊第6師団の下士官として南京攻略戦に従軍した人物が登場しています。 しかし記事中にもあるように、第6師団はなにぶん師団長が戦犯裁判で死刑になっているため身内をかばう意識が強く、この師団の関係者の「見なかった」「なかった」証言は一番あてになりません。偕行社の『南京戦史資料集』にも第6師団だけ「不法殺害を思わせる手記、日記の類い」が載っていない。これについて秦郁彦氏は「連隊会は第六師団を担当した編集委員の努力に感謝したという話が伝わっている」としています(『南京事件 増補版』、290-291ページ)。 1984年に『朝日新聞』が第6師団歩兵第23連隊(都城)の兵士の日記に南京戦での虐殺が記されているのを報じた際には、連隊会が“犯人探し”をした、という実績もあります

  • 歴史修正主義の手法に見られるパターン

    心理学者のセス・C・カリッチマンは『エイズを弄ぶ人々ー疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(化学同人、2011年。原題 Denying AIDS: Conspiracy Theories, Pseudoscience, and Human Tradegy, 2009)においてエイズ否認主義の典型的な手法をまとめています。実はこの手法は疑似科学一般にも、さらには歴史修正主義においても見られるものです。カリッチマンは科学ジャーナリストのマイケル・シャーマーの分析に着想を得ているのですが、シャーマーはホロコースト否定論が疑似科学と同じパターンの論法を使用していることを指摘しています(『なぜ人はニセ科学を信じるのか II』、早川文庫)。以下にカリッチマンの指摘の主なものをメモしてコメントを付します。太字になっているのは原文の小見出し。 第4章  否認主義者のジャーナリズムと陰謀説 エイズをめぐる大

  • 「ネット右翼」の道徳概念システム(4)

    『現代の理論』(明石書店)2008年新春号に掲載された拙稿の元原稿を、許可を得て公開します。一部の表現に違いはありますが論旨に変わりはありません。なお、執筆した2007年当時の情勢を念頭に置いて書かれたものであることをご承知おきください。 四 募金活動や(イラクでの)人質へのバッシング、「祭り」の対象となった人物への誹謗中傷や個人情報の暴露などは「ネットにおける道義心の欠如」の現われとして語られることもあるが、むしろ「ネット右翼」は過剰に道徳的であると言うことができる。募金活動への批判は「両親が自宅などの資産をまず処分すべき」といった主張を含んでいたし、イラク人質事件の際も政府の勧告を無視して危険地帯に渡航し、社会に「迷惑をかけた」ことが非難の対象となったのであった。 とはいえ、刑事事件については「被害者(遺族)の立場」を重んじることを主張しながら、従軍慰安婦問題に関しては被害者を「嘘つき

  • 「ネット右翼」の道徳概念システム(3)

    『現代の理論』(明石書店)2008年新春号に掲載された拙稿の元原稿を、許可を得て公開します。一部の表現に違いはありますが論旨に変わりはありません。なお、執筆した2007年当時の情勢を念頭に置いて書かれたものであることをご承知おきください。 三 前置きが長くなったが、ここで「ネット右翼」が特にどのようなトピックをめぐって活発に発言しているのかを見てみることにしよう。ただし、以下のリストは網羅的であることを目指してはいない。 (1)歴史認識・東アジア情勢 中国韓国北朝鮮に「特定アジア」という蔑称が用いられ、これら三国についての否定的な情報を虚実取り混ぜ消費、再生産している。戦争責任はもっぱら「特定アジア」が言い立てているというのが彼らの認識であり、それゆえ安倍前首相がアメリカの圧力によって「従軍慰安婦」についての自説を表向き撤回したことは「中国によるロビー活動の結果」であるといった陰謀論的

  • 「ネット右翼」の道徳概念システム(2)

    『現代の理論』(明石書店)2008年新春号に掲載された拙稿の元原稿を、許可を得て公開します。一部の表現に違いはありますが論旨に変わりはありません。なお、執筆した2007年当時の情勢を念頭に置いて書かれたものであることをご承知おきください。 二 ここではいわゆる「ネット右翼」を考察の対象とするわけであるが、その可能性と意義について予備的な考察が必要である。 というのも第一に、「ネット右翼」なる概念はネット上であまり評判がよくないからである。批判の第一点は、「ネット右翼」なるものは実体としては存在しない、というものである。ネット上の投稿は大部分が匿名で行なわれるものであり、その発言を現実の個々人へと結びつけることは実際的には不可能である。ネット上に右派的な発言が多数みられるからといってその背後に多数の右派が存在するとは言えず、まして右派組織があるとは言えない。ネット上で右派的な発言をする者が実