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ブックマーク / interdisciplinary.hateblo.jp (14)

  • 鶏刺し(鳥刺し)のはなし - Interdisciplinary

    togetter.com ↑これを読んで、色々考える所あり。整理も兼ねて。 鶏を生する習慣がある地域における、生鳥肉の衛生基準 https://www.pref.miyazaki.lg.jp/eiseikanri/kenko/ese/documents/000183422.pdfwww.pref.miyazaki.lg.jp ↑(PDF)宮崎 www.pref.kagoshima.jp ↑鹿児島 宮崎の基準は結構前のもの。改定の有無は不明。鹿児島は2018年に改定。 鹿児島の改定は、水切りの手順追加。筋胃・肝臓(砂肝とレバー)を生可から除外(PDFに差分情報あり)。 地元の店で、調理済みの鶏刺しまたは、鶏刺し用の肉を見ると、たいてい皮がついており、炙ってある(焼烙殺菌の結果)。これは香ばしさや歯ごたえ、味にも関係。 新鮮なほうが危険? 新鮮なほうが危険、との意見があるのは、病原

    鶏刺し(鳥刺し)のはなし - Interdisciplinary
  • 《偽陽性》などの言葉について - Interdisciplinary

    www.sponichi.co.jp 体操の内村航平選手が先日、新型コロナウイルス感染症に対する検査を受けて陽性になりましたが、昨日、結局は偽陽性であった旨の発表がなされました。 この報道を受け、偽陽性なる語が、いくらか話題になっています。その中で、偽陽性の意味合いがきちんと理解されていない場合もあるように見受けられますので、簡単に説明をします。 ❓偽陽性って聞いた事無い。最近作られた言葉なのでは 違います。偽陽性(false positive)は、古くから、検査に関する議論の文脈で用いられてきたものです。 たとえば、古い文献を探すと、1928年に既に用例が見られます↓ www.jstage.jst.go.jp 斯る強き偽陽性反應を呈した血清 ただ、同じ語でも微妙に意味合いが変化していく事もあるので、なるべくはっきりと現代的な意味で用いられているもので探してみます。それでも、1950年代の

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  • イケダハヤトさんのホメオパシー紹介記事について - Interdisciplinary

    プロブロガーのイケダハヤトさんが、次のような記事を上げておられました。 www.ikedahayato.com これは、虫刺されや蕁麻疹などが、ホメオパシーで治るらしい、と紹介している記事です。イケダハヤトさんは自ら試してはおられないようですが、twitter上のつぶやきにある、それが効いたという体験談にリンクしてあります。 こちらで紹介されているホメオパシーというのは、18世紀末の医師であるハーネマンを源流とする療法で、同種の法則などの原理に基づいて構築されています。それは、何らかの症状をもたらす物質は、その症状を無くすためにも用いる事が出来る、というような考え方で、治療には、物質を水やアルコールで薄めて(希釈)よく振った(振盪)物を与えます。その薄めた物を、ホメオパシー・レメディ(以下、単にレメディと表現します)と呼びます。レメディは、砂糖玉に染み込ませるなどして与えます。狭い意味では

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  • ポストモダンにおける、自然科学概念を用いた比喩、の意義とは - Interdisciplinary

    訳が分かっていないのに、「ポモはダメ!」と言いたがる残念な人達 仲正昌樹【第22回】 – 月刊極北 改段が無くて(br タグと空白挿入で改段代わりにしているようです)、「バカ」が連発されている、大変見端の悪い文章ですが、主旨としては、ポストモダン思想に対する的外れの批判に対する反論、というものです。 ここで書き手の仲正氏は、いわゆるソーカル事件に言及し、それに端を発する議論について要約と検討をおこなっています。ソーカル事件というのは、物理学者のアラン・ソーカルが、科学社会学系の雑誌『ソーシャル・テクスト』誌にデタラメ・パロディ論文を投稿し掲載された、という経緯を別の雑誌において暴露した事から始まる論争を指します。 その言及部分で仲正氏は、ソーカル事件を、しかし、ソーカル事件は、哲学の根幹に関わる問題ではない。かなりトリビアルな話である。と評しています。つまり、ソーカルがおこない、糾弾した事

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  • 『1万票差でも多数確実が出せるワケ』という記事について - Interdisciplinary

    1万票差でも多数確実が出せるワケ - ゆとりずむについて、いくつか不正確に思える所がありましたので、シンプルに指摘します。 サンプル数 標に属するデータ数の事をサンプル数と表現するのは誤り。サンプルサイズが正しいです。 サンプル比率 サンプルサイズ / 母集団サイズ という量を、サンプル比率(リンク先の画像の表を参照)と表現してはいけません。表の上の方に載せられている標比率と全く同じ言葉(日語か英語かの違いだけ)なのに、違う意味が指されています。標比率や標割合というのは、標に属する、ある性質を持った要素の数の割合、の意味で、標の大きさを母集団の大きさで割った量は、(標)抽出率などと呼ばれるのが普通です(私は、抽出割合と表現します)。 信頼区間 表中にある信頼区間の列に書かれている数値は、信頼区間ではありません。これは、誤差幅や精度の半分、です。通常、信頼区間と言った場合には

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  • 「放射脳」は「ニセ科学批判の取り巻き」が言い始めた? - Interdisciplinary

    「放射脳」なんてのもニセ科学批判の取り巻きが言い始めたんだよね。あれを学者が言い始めたのは、かなり残念だった。ただの中傷ですから。 http://twitter.com/mika_berry/status/569930884192686080 ※強調引用者 私は、放射脳なる言葉は、最悪の罵倒表現だと思っています。それで、その言葉がどのように使われ始めたのか、という所にも関心があります。 さて、 「放射脳」なんてのもニセ科学批判の取り巻きが言い始めた という事が言えるには、 ニセ科学批判の取り巻きというのがどのような概念か説明出来る 言い始めた者を特定出来る 少なくとも、この2つの条件を満たす必要があるはずです。 あのような好ましからぬ表現を編み出した、のはとても残念な事でありますし、誰がそれを言い出したのかは知っておきたい所です。この方には、発言の根拠となった具体的の所を示して頂きたいもの

    「放射脳」は「ニセ科学批判の取り巻き」が言い始めた? - Interdisciplinary
  • 【メモ】「科学のようで科学で無い」 - Interdisciplinary

    科学のようで科学で無いというのが、ニセ科学の一般的な定義。 ある説なり活動なりが科学のようで科学で無いと言える場合、それに関わる論者の認識を問題にする事が出来る。すなわち、 わざと 気 という分類。 間違った事を吹聴する時、その吹聴する主体は、意図的にそれを行う場合もあれば、全く気でそう主張する場合もある。 まず気 これは、自分が提唱する説なり、有用であると信ずる方法なりについて、それが当に科学として認められるべきものだと確信している。つまり、騙そうとする意図は無いと言える。 対して、わざと これは、自分が吹聴するものが科学で無い事を知っている場合。科学で無いと解っているにも拘らず、それが科学であると言う。 その目的に応じてさらに分類する事が出来るだろう。 他者を騙して利益を得る目的 その場に参加する者が、対象がニセモノである事に了解を持っている、という場に提出する目的 1は要する

    【メモ】「科学のようで科学で無い」 - Interdisciplinary
  • 「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」について - Interdisciplinary

    はてなブックマーク経由で、疑似科学とされるものの科学性評定サイト の存在を知りました。 そのサイトは、 サイトでは、サプリメント、民間代替医療、生活環境改善、自己啓発、不思議現象など、疑似科学と疑われるものについて、これまで判明している知見から、その効果の主張に伴う科学性の程度をおしはかる試みを行っています。 というテーマであるらしく、世間に流布される色々の説が評価されています。私も疑似科学やニセ科学といった問題には関心があるので、サイトを眺めてみましたが、概念の整理が充分では無かったり、評定のしかたについて疑問に思われる所がありました。エントリーでは、それらについてメモ的に書きます。 ※以降、当該サイトを便宜上、「評定サイト」と略す まず、評定サイトでは、その効果の主張に伴う科学性の程度を評定するための条件として、9つのものを挙げています。すなわち、 透明性 再現性 客観性 論理性

    「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」について - Interdisciplinary
  • 実証科学における「証明」 - Interdisciplinary

    実証科学の議論において証明という言葉を使う時には注意をしなければならない、というのは私がしばしば書く事ですが、サミール・オカーシャの科学哲学のに、この点に関する明瞭な記述がありますので、引用しましょう(強調は引用者による)。 帰納法は科学において中心的な役割を担っているが、われわれのことば遣いのせいで、この事実がなかば覆い隠されてしまうこともある。たとえば、新聞を読んでいて、遺伝子組み換えトウモロコシが人間にとって安全であることの「実験的証明」を科学者が見つけたという記事に出会ったとしよう。この記事が意味しているのは、科学者が問題のトウモロコシを多数の人間に試験的に摂取させたところ、害を被った者はいなかったということである。しかし厳密にいえば、たとえばピュタゴラスの定理が数学者によって証明されるのと同じ意味で、トウモロコシの安全性が「証明」されたわけではない。「遺伝子組み換えトウモロコシ

    実証科学における「証明」 - Interdisciplinary
  • 誤解しやすかったり紛らわしかったりする統計の話達 - Interdisciplinary

    統計の話題で、こういう誤りをよく見るなあ、とか、ここら辺はややこしいなあ、的なものを、エッセイ風に書いてみます。 各トピックの最後に、参考資料を紹介したりします。 色々な話題を扱うので、エントリー全体で、このくらいの知識を持っている層向け、みたいな想定はしていないです。下に行くほど、知っている人向けになる、という感じ。 標数と標の大きさ 調べたい集団全体から採り出した個体の数の事を、標数と書くのをよく見かける。でも正確にはこれは、標の大きさと言う。この違いは、標という言葉をどのように捉えるか、に起因するもの。標を、調べたい集団に属する要素と考えるか、含まれる集合と捉えるか。前者で考えると標数を使う事になるけれど、抽出した集まりそのものを標とすれば、標数とは言えなくなる。で、集合に属する要素の数の事を、集合論では大きさというので、それを踏まえて、標の大きさと言う。 たとえ

    誤解しやすかったり紛らわしかったりする統計の話達 - Interdisciplinary
  • 「科学的に正しい/間違っている」は後で - Interdisciplinary

    それまで得られた知見から全く外れた主張に対して、科学的に間違っているとか、科学的に正しい反論などと言うのは、後にするべきで。 それは、初めから科学的という言葉・概念に重きを置いている人には効果的かも知れないけれど(あっちよりこっちの方が科学的だ、とシンプルに納得出来るので)、人はしばしば逆に、科学的では無い事を重視したりします。組織などの硬直性や、権威に頼る姿勢、といったものを、科学におけるネガティブな特徴と捉え、むしろ、そこから外れた主張にこそ価値がある、と看做す訳です。 だからそういう人に対して、いきなり科学的には……とやってしまうのは、逆効果の場合があると。 だから、先に示すべきは、理屈であり理路である、と私は思います。こういう思考の過程を辿る、こういう制度を作る、こういう仕組みを守る。そうすれば、あるいはそうしないと、知識の正当さは確かめられない、と、理屈でもって解らせる。それが先

    「科学的に正しい/間違っている」は後で - Interdisciplinary
  • ちょっとだけやわらかく噛み砕いてみる――『「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針』 - Interdisciplinary

    前置き 「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター - うさうさメモ usausa1975さんによる、A Rough Guide to Spotting Bad Science | Compound Interestの訳文のポスターバージョンが完成したそうです。 この訳文は労作で、その内容は、巷にあふれる科学にまつわる情報を吟味するに有用な指針であり、参照する価値があると思います。usausa1975さんは、良い仕事をなさったと思います。 さて、有用な指針である「ダメな科学」を見分けるためのおおまかな指針ですが、いくつか、これが初めから理解出来るならそもそも騙されにくいのではないかという意見や、これでもまだ難しいのではないだろうかといった指摘も見られました。確かに、盲検試験やサンプルサイズなどの見慣れない用語がタイトルに入っていたり、文章が簡潔であったりするので、不案内な人にと

    ちょっとだけやわらかく噛み砕いてみる――『「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針』 - Interdisciplinary
  • 「食文化」と生レバー - Interdisciplinary

    先日の牛レバ刺し禁止を受けて、代わりに豚のレバ刺しを提供する店が出ている、というのが話題になっており、テレビ等でも紹介されています。その事を受けて、品安全委員会も注意喚起を行いました⇒品安全委員会:豚肉や豚の内臓(レバーなど)による中毒等にご注意ください | 品安全委員会 - の安全、を科学する そのような流れで、「また文化を制限するのか」という擁護的意見があり、またそれに対して、「豚肉(や内臓)を生する事の何が文化か」という批判が行われたり、議論になる場合があります。 私はそういうのを見て疑問に思うのです。 文化云々と言う人は、何をもって「文化」とそうで無いものを分類しているのでしょうか。それは、習慣とされてきた時間的な長さによりますか? それとも、される空間的な広さによって決まるのですか? あるいは、他に何か注目すべき条件があるのでしょうか。 文化である/で無い

    「食文化」と生レバー - Interdisciplinary
  • 割烹着の由来 - Interdisciplinary

    リケジョと割烹着:小保方さん報道に関連して(その2) : 大隅典子の仙台通信 大隅さんは、割烹着の由来について、 実は「割烹着」は、理科実験を含む「作業着」として開発された、ということをご存知でしょうか? 割烹着は、実は日女子大学校(現在の日女子大学)で生み出されたものです こう表現なさっています(強調は引用者)。 しかし、少し調べてみると、たとえば次のようなページが見つかります。 着物が汚れず、料理もしやすい服装を考えた結果、「割烹着」を考案、教場にて着用 赤堀料理学園/赤堀フードコーディネータースクール これは、赤堀料理学園の歴史を紹介した公式ページで、そこには、当該学園の前身である赤堀割烹教場において、赤堀峯吉によって割烹着が考案された、とあります。また、同サイト内にある別のページ( http://www.cook.co.jp/pickup_tennenseikatsu.html

    割烹着の由来 - Interdisciplinary
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